福島で見る風評被害(3)
風評の固定化と「生もの」としての情報
越智 小枝
相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師
先日南相馬市の市役所の方とお話ししたときのことです。南相馬市では、震災後7年近くが経過した今でも、水道水を飲まない、県産の農産物を避ける、という方の割合が高止まりしている、という話になりました。しかしその理由は、不安であったり偏見であったり、というものとは少し違うようです。
「県産品を避ける人々は、この7年間それでやって来れたんです。だから今さら県産品に切り替える必要がない、と感じている方が多いんじゃないでしょうか。」
今、福島に対する風評被害の払拭を妨げている大きな要因の一つに、このような風評被害の「固定化」があると感じます。その背景にあるのは、マスメディアが伝える情報と科学情報との間にある相容れない齟齬です。
科学情報の賞味期限
「私にとって福島と放射線の知識は、震災の後1ヶ月くらいで止まっています」
つい最近東京在住の方から聞いた言葉です。
大きな災害が起きた時の報道を見ていると、どんな大きな事件であっても2週間目の週末を過ぎた途端に報道は縮小します。東日本大震災の後も、福島県外の多くの方にとって、福島のイメージは最初の2週間で定着し、その後ほとんど変化することがなかったのかもしれません。
マスメディアの世界ではよく、「情報は生ものである」と言われます。情報には旬があり、古い情報はすぐに腐る。そのため、常に新鮮な情報を提供しなくてはいけない、ということのようです。
一方科学の世界では、情報の多くはむしろ永続的で容易には変節しないものです。むしろ、不変であるからこそ科学的真実と認められることも多いでしょう。このような科学とマスメディアの「賞味期限」の格差のために、マスメディアで科学を伝え続けることはとても困難になっています。福島から発信される、放射能やがんなどに関する科学的な情報がマスメディアの世界で容易に風化してしまうことは、ある意味当然の成り行きなのかもしれません。
では風化を避けるためには、福島では常に目新しい話題を探し求めるべきなのでしょうか? それもまた違う、と私は思います。
これまで、汚染水や甲状腺がんなどに関する「新しいネタ」が提供される度、そこへ一斉に群がって「安全・危険」「賛成・反対」といった二項対立の議論だけを伝えるような報道が、あまりにも頻回に繰り返されてきたと思います。そのような報道は人々の耳目を集めるかもしれませんが、風評被害の払拭の足しにはなり得ません。また、そういった多少刺激的な話題ですら、今となっては「賞味期限切れ」になりつつあることを考えれば、新鮮なネタのみを追い求めるマスメディアの手法には疑問があります。
「分かりやすさ」の副作用
マスメディアで科学を伝えるもう一つの難しさは、分かりやすさと正確さのバランスにあります。科学の情報は正確に伝えることが大切です。分かりやすく伝えたい、と思うあまりに科学の一部を切り取って単純化しすぎてしまうと、多大な誤解を生むことにもなりかねません。特に不安や緊張が高まっている災害時においては、善意からなされた平易な説明がむしろ社会の混乱を来たしてしまう場面がしばしば見られました。
たとえば、放射線以上に精神的ストレスの方が心配だ、ということを伝えようとして、住民の方に
「笑顔でいればがんは逃げていきますよ」
「外で運動をしないほうが不健康ですよ」
などという言葉をかけたとします。平時の健康講話であれば、こういった大まかな説明は問題にならず、むしろ喜ばれることもあるでしょう。しかし不安の高まった被災地で同じ話がなされると、とたんに一部の人々から「いいかげんな情報を流して不謹慎だ」などと謗られ、ネットで炎上してしまう場合すらあるのです。単純に一部を切り取ることのできない科学的な情報と、単純化を好むマスメディアとは、そういう点でもなかなか相容れません。
このように、福島の風評被害が中々払拭されない背景には、マスメディアという存在そのものが福島のイメージの「固定化」に拍車をかけ、風評被害の払拭を困難にしているという実情もあるのではないかと思います。
情報のレシピ
震災から7年。福島から発信される情報は、世間に対応して十分に変化してきたとは決して言えません。今でも7年前と全く同じ映像を繰り返すような報道も少なからず見かけます。
「事実が変わらないのだから、同じメッセージを繰り返すのは仕方ないではないか」
そう思われる方もいるかもしれません。しかしそれは賞味期限の切れた情報を陳列し続けるようなものなのではないでしょうか。今の福島を伝えるために、私たちは情報そのもの以上に、福島の情報のレシピについてもっと考えていかなくてはいけないと思います。
たとえば今の北朝鮮と米国との緊張が高まる中、「今こそ日本中が放射能の知識を得ておかなくてはいけない」という観点から放射線教育を強化することも、長い目で見れば風評被害払拭の一助になるかもしれません。あるいはがんの話題が報道された時に、あらためて放射線も含めたがんのリスクに対する知識を広めることも大切でしょう。
もちろん、情報の発信の仕方を間違えば、福島が余計な偏見を持たれてしまう危険がありますので、十分な配慮は必要です。しかし今の世の中では、人々に「検索」されない情報はどんなに発信されても情報の大海に消えていくばかりです。私たちは細心の注意を払いつつも、勇気をもって福島の情報を調理していかなくてはいけない時にきているのではないでしょうか。
次回:福島で見る風評被害(4)