「炭素価格」を廻る論考(第1回)

~日本に炭素価格はないのか?~


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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はじめに

 COP21で「パリ協定」が合意されたことに伴い、「炭素価格」が脚光を集めている。「炭素価格(Carbon Price)の定義は、世界銀行によると「炭素排出にかかわる外部不経済をその排出源に結び付けるものであり、これによって汚染排出から生じるダメージについて、それを引きおこした者、削減できる者に負担させることができる。また炭素価格は汚染者に対して経済的なシグナルを送り、汚染行為を止めるか、排出を削減するか、汚染コストを負担しながら汚染を続けるかについての判断を迫るものである。」要するに温室効果ガスの排出に伴う環境コストを顕在化させることで、その排出者に排出削減を実施するためのインセンティブをつける仕組みということである。
 一方、「パリ協定」を実施していくには「炭素価格」の導入が必要だと唱える人たちの主張を聞くと、「炭素価格が必要」=「排出権クレジットが必要」=「排出権取引制度が必要」 という短絡的な論理になっている。世界銀行の報告書注1)でも炭素に価格付けする手法として、排出権取引制度(ETS)と炭素税の2つのみを挙げて分析しているが、上記の定義と同様の環境効果をもたらすような、排出者にインセンティブ付けをする政策手法は、排出権取引や炭素税以外にも様々に存在しており、炭素価格イコール排出権取引、ないしは炭素税というのは話を単純化しすぎである。
 一方国内の一部では、「パリ協定」合意以降、「日本は排出権取引制度の導入に後れを取っており、従って日本は炭素価格がない環境後進国であって、「パリ協定」の目標達成に向けての努力を怠っている」という論調が飛び交っている。たとえば1月30日付の日経新聞によると「長期の温暖化対策を検討する環境省の有識者会議(座長=大西隆・日本学術会議会長)は、政府が掲げる2050年に温暖化ガス80%減という目標の達成に向けて炭素税や国内排出量取引制度など「カーボンプライシング」の導入が有効だとする提言案をまとめた。」と報道されている。
 本稿では、「炭素価格」の本質について考察したうえで、こうした「日本環境後進国論」に全く根拠がなく、むしろ実態をよく理解すれば「炭素価格」先進国であるということを論考していく。

喧伝される「炭素価格」

 COP21で「パリ協定」が合意され、2020年以降、世界全体で気候変動問題に取り組むための京都議定書に代わる新しい枠組みが始動することになった。先進国、途上国を問わず、各国が自主的に温暖化対策の目標を掲げて国連に登録し、その進捗について透明な手続きの下、定期的に報告・検証していくという、「プレッジ&レビュー型」の枠組みである。先進国にのみ削減義務を割り振り、経済発展に伴い温室効果ガス(GHG)の排出増を続ける途上国を免責にした、京都議定書型の「二分論」と「トップダウン・アプローチ」が、気候変動対策として有効に機能しなかったことを考えれば、全員参加で取り組むこのアプローチは歓迎すべき進展である。
 しかし、COP21に先立って国連気候変動枠組条約事務局がまとめた報告書によれば、各国が提出した約束草案(INDC)を積み上げても、パリ協定が掲げた、「気温上昇を産業革命以前に比べて2℃以内に抑える」という長期目標を達成するためには、GHG排出の削減量が150億トンも足りないとされている注2)。実に日本の年間総排出量の10倍以上もの不足である。
 これを受けて一部の環境経済学者や環境NGOなどからは早速、「パリ協定」の目標を追求するためには各国の削減目標の野心度の引き上げが必要であり、また化石燃料、とりわけCO2排出の多い石炭の使用を厳しく規制する必要があるとし、そのための手段としてCO2排出にペナルティを掛ける「炭素価格」を導入する必要がある、と喧伝され始めている。実際筆者が参加していたパリのCOP会場でも、さまざまなサイドイベントで「炭素への価格付け」の必要性を訴える議論が繰り広げられていた。

炭素価格の必要性

 この「炭素価格」必要論の背景にあるのは、経済学でいうところの「外部費用の内部化」という考え方である。化石エネルギー消費を前提として発展してきた人類の近代社会・経済活動では、エネルギーの消費によってもたらされる生活水準の向上や経済厚生といったメリットを享受する一方で、そこから派生する温室効果ガス排出というデメリットは周辺環境に出しっぱなしになっていて、いわば環境コストが外部化されていることで、誰も責任を取らない構図になっている。これを是正するためには、排出される温室効果ガスに価格を付けて費用を内部化し、「タダで」外部環境に排出できないようにすればよい、というわけである。
 これを具体化するもっともシンプルな政策が「炭素税」である。化石燃料の消費に伴いタダで外部に放出されている温室効果ガス(大半は化石燃料の燃焼によって発生するCO2である)に、排出量に応じた課税をすれば、温室効果ガス排出コストを内部化することができ、その排出を抑制するインセンティブをつけることができるというわけである。

疑似炭素税としての排出権取引制度

 この「炭素価格」による外部費用の内部化によって、温室効果ガス排出の大規模な削減を世界に先駆けて検討したのがEUであった。しかしここで問題が発生する。炭素税を導入することで「炭素価格」を実現するためには、EU参加各国間で、「共通炭素税」を導入し、かつその徴税手続きを行わなければならない。EUは戦後、鉄鋼・石炭分野の経済連携から始まり、各国の主権を統合EUに徐々に移管・統合することで発展してきた、超国家的経済連合であるが、人の国境の緩和(シェンゲン条約)、金の国境の緩和(共通通貨ユーロの導入と欧州中央銀行の創設)という段階までは統合を進めてきたものの、加盟各国の立法権や財政自主権については依然として各国の主権のもとに位置づけられており、その根幹をなしている課税・徴税権については、あくまで各国政府の専権事項となっている。(ギリシャ危機の根底にある問題の本質は、まさに共通通貨ユーロを導入し、金融政策のEU中央集権化を進めながら、財政政策については各国の主権に委ねている現在のEUの構造そのものにある)こうしたEU統合の実態の中で、共通炭素税の導入は、最もシンプルな炭素価格制度と認識されながらも、各国が徴税権をブリュッセルの欧州委員会に移管することを拒んだ結果、導入が見送られ、その代案として欧州排出権取引制度(EU-ETS)が導入されたのである。
 排出権取引制度は名称こそ「取引制度」となっているが、実態は「排出枠割り当て、取引(Cap&Trade)制度」であり、環境政策的に見れば実は「取引」は重要ではなく、「排出枠割り当て」がその本質である。政府によって温室効果ガスを大量に排出する事業者毎に、一定のルールに基づき排出枠を割り当て、各事業者は原則その枠内で事業活動を行うことが義務付けられる。ただし、与えられた枠を余らせた事業者と不足する事業者の間で排出枠を金銭取引することが認められており、その取引される排出枠を「クレジット」として証券化し、相対ではなく多くの事業者が参加する証券市場を介して取引することで、対象事業者間全体で需給均衡を図るという制度である(つまり取引の有無にかかわらず、本制度によって担保される排出量は、各事業者への初期の割り当て排出権の総和で一定となる。すなわち、名前となっている「取引」によって総削減量が大きくできるわけではない)。
 効率改善ないしは不景気によるものも含めた事業縮小によって、与えられた排出枠を余らせた事業者は、排出権クレジットを市場で売却できる一方、事業拡大や非効率な生産プロセスのために排出枠が不足する事業者は、クレジットを市場から購入する必要となる。後者にとっては税率が変動する炭素税が課され、一方前者には後者の支払った金を財源として税の還付がなされるのと同じ仕組みであり、実質的に変動税率(マイナス税率もある)による炭素税として機能することになる。その税率=炭素価格は株価と同様、証券化された排出権クレジットの取引市場の需給バランスによって決まってくる。(実際には投機的な取引が行われるため、仲介業者が介在し、必ずしも実需給を反映しない力学で価格が決まっている。)

注1)
“State and Trends of Carbon Pricing 2015”,World Bank Group/Ecofys (September, 2015)
注2)
http://unfccc.int/resource/docs/2015/cop21/eng/07.pdf

 つまりETSはEUにとっては、域内事業者に排出枠を設定する権限を欧州委員会に付託するだけで、各国の徴税権に抵触せずに疑似炭素税を導入できる制度だったとみることができる注3)。この「Cap&Trade制度」の疑似税性は、一般的に有権者の批判を恐れて新税の導入に慎重となりがちな政治家にとって、税を導入することを有権者に認識させない都合の良い特性である。事実、歴史的に新税金の導入や増税に極めて抵抗感が強い米国でも、オバマ政権の第一期である08~9年には、主要産業と電力部門を対象にした大規模な「Cap&Trade制度」を導入するワックスマン・マーキー法案が議会下院で僅差で可決され、導入一歩手前まで行っている。(その後上院での法案審議が様々な理由で挫折し、最終的に導入されることはなかった)当時、このCap&Trade制度が「カモフラージュされた実質的な炭素税である」という認識が薄かったことが、課税強化に常に反対する議会共和党保守派の反対を薄めていたものと思われるが、今日では米議会で多数派を占める共和党はCap&Trade制度は形を変えた「炭素税」であると認識し、「Cap&Tax」制度だとして批判するようになっており注4)、合衆国全体をカバーするCap&Trade制度が米議会を通る可能性は当面ほぼなくなっている。

多様な「炭素価格」制度

 以上述べてきた「炭素税」、「Cap&Trade制度」は世の中で広く認識されている「炭素への価格付け」制度であるが、実は炭素排出に価格を付ける方法は、この2つに限らない。
 「炭素税」と「Cap&Trade制度」は、温室効果ガス排出一単位当たりの課税賦課金あるいは排出クレジット価格が明示されるため、直接的に温室効果ガス排出に価格をつけ(コストをかけ)、その排出を抑制するという、いわば「明示的」な炭素価格制度である。ただ、温室効果ガスの中心を占める化石燃料の使用に基づくCO2の排出を抑制するためには、使用される燃料そのものに課税をすることで、発生するCO2に課税するよりもシンプルに徴税が可能となる。実際CO2排出という目に見えない気体排出物について、事業者毎に正確に測定して、課税するのは簡単ではない。一方、一定量の化石燃料を消費してエネルギーを取り出した結果発生するCO2の量は、効率性の如何を問わず一定なので、燃料そのものにその炭素含有量見合いの課税をすれば、実質的に発生CO2に課税するのと同じことになる。しかも価値のない気体として大気に放散されるCO2の量を直接測定することは、事業者にとって面倒な計算や作業を伴うが、燃料消費量であれば通常の原価管理の対象であり、追加的な作業なしに容易に計測できる。そもそも日本のように石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料のほぼ全量を輸入に頼っている国の場合、輸入通関時に通関量に基づいて最上流で燃料課税をすれば、極めて正確かつ容易に化石燃料税を徴税することができる。このように、化石燃料消費から発生するCO2に課税する代わりに、燃料そのものに課税することで、燃料の消費量を抑制するインセンティブ(例えば省エネやエネルギー効率の改善を行えば課税によって上昇した燃料コストを低減できる)を設定し、結果としてCO2排出の抑制を図るという意味で、化石燃料への課税も間接的ではあるが、簡便で効率の良い「炭素価格」制度とみなすことができる。

暗示的炭素価格

 さらに炭素価格制度の究極的な狙いが、温室効果ガス排出を抑制するために、排出者に対して排出削減対策を行う何らかの経済的インセンティブを設定することにあるとすると、より間接的、ないしは暗示的(implicit)な炭素価格制度もありうる注5)
 例えば日本の省エネルギー法(「エネルギーの使用の合理化等に関する法律」1979年制定)は、化石燃料を起源とするエネルギー使用の効率基準(ベンチマーク)を設定し、各事業者にその改善、達成を求めると同時に、エネルギー使用の管理体制の確立と、政府への定期的な報告を義務付けている。この法律に基づき、各事業者がきちんとしたエネルギー管理を行い、省エネ投資を行うなどのコストをかけた努力をすれば、結果として化石燃料の消費は抑制され、CO2排出も削減できる。直接的な管理対象がエネルギー消費であるため、各事業者は必ずしもCO2(炭素)排出を意識していないかもしれないが、エネルギーの利用の高度化に向けた誘導効果によって、実質的にCO2排出にコストをかける炭素価格と同等の効果をもたらすものであり、いわば暗示的な炭素価格制度と位置づけることも可能である。
 同様に、省エネ法の下で日本が様々な家電製品や自動車などを対象に導入してきた「トップランナー基準」も、考え方によっては暗示的、間接的な炭素価格制度と見なすことができる。政府は99年から順次、様々な家電製品に対して、同種の製品の中で実現している最高水準のエネルギー効率を上回る効率を達成していくことを求め、達成した製品には消費者に分かるようなラベルを添付する政策を導入した。これが「トップランナー基準制度」であるが、これは同業事業者間で製品の省エネ性能(つまり化石燃料の消費節約性能)を向上する競争を喚起し、また消費者が製品を購入する際に、価格という指標と並んで環境性能の高い製品を選択する(少々高くても省エネ性能の高い製品を選択するように誘導する)インセンティブを付与するものである。企業は競合他社との競争の中で最高効率の製品を開発するプレッシャーを受けるだけでなく、意識の高い消費者によってそうした高効率の製品が嗜好されることで、効率が低い製品に結果的にペナルティを課している形になり、間接的、暗示的に対象製品に炭素価格を設定しているものと解釈することができる。2014年時点でこの「トップランナー基準」が設定されている機器は31品目にも上り、こうした機器はその結果として世界的に見てもトップクラスのエネルギー効率を達成しており、日本の温暖化対策に実質的に貢献している。
 さらに日本でユニークなのは、産業界が進めている「自主的取り組み」である。経団連傘下の主要61業種は、京都議定書の第一約束期間(2008~12年)に、「環境自主行動計画」の下、業種ごとのCO2排出削減目標を自主的に掲げ、対策の進捗について毎年経団連に報告し、政府審議会や第三者評価委員会の検証、評価を受けた上で公表してきた。その結果、統一目標(第一約束期間平均の年間CO2排出量を90年比±0水準に収める)を掲げた主要産業、エネルギー転換部門34業種で、期間平均で活動量が90年比2%増加する中、CO2排出量12.1%減と、目標を大きく超過達成している。これはCO2排出原単位の14%改善という、技術による効率改善効果によって達成されたものである。
 注目すべきはこの期間中、自主行動計画参加61業種団体のうち29団体が、のべ41回も自主的に目標の引き上げを行ったことである。当初97年に京都議定書合意に先立って自主的に掲げられた目標は、その時点の技術や産業の実態を踏まえた最善努力を想定して策定されたものであったが、その後の対策の進捗や技術進歩、新しい取り組みや知見などによって当初掲げた目標の早期達成見通しが立ってきた業界では、目標の野心度を自主的に上げて、より高い目標にチャレンジすることを宣言している。そこでは業界団体を通じた業界内のベストプラクティスの共有化や、業界目標を掲げることで競争問題を回避する一方、業界目標達成に向けた業界内企業間の健全な競争(peer pressure)の喚起など、自主的に野心度を高めていくためのユニークな仕組みが内在していた注6)
 こうした排出削減対策が、既述のように投資や対策費用を伴う「技術による効率改善」によって進められたことを考えると、日本では「自主行動計画」の下、企業が自ら自主的に「炭素価格」を設定し、さらにそれを対策の進捗と共に自主的に引き上げていったという実態が見えてくる。外部から強制的に炭素価格を課されるのではなく、技術や産業の実態を踏まえたベストな努力を反映した対策水準=炭素価格水準を、業界で自主的に設定するというこのユニークな取り組みも、その実態を考えれば暗示的な炭素価格制度と見なすこともできよう。

注3)
EU-ETSでは当初、各事業者への排出枠の配賦は無償で行ったため政府の収入はなかったが、その後無償配布枠を段階的に縮小し、不足分は排出権を政府からオークションで購入する制度となった。EUが加盟各国政府に供給総量を割り当てた上で、各国が排出権のオークションを実施し、有償配布する制度である。この場合、オークション収入は、実質的に税収としてEU加盟各国政府の国庫に入る(その半分以上を気候変動対策資金に回すことが求められている)ことになり、皮肉なことだが結果的に炭素税としての色彩が濃くなってきている。
注4)
例えば以下の記事参照:“A ‘Cap&Tax’ Road to Economic Disaster”, Sala Palin, July 14, 2009, Washington Post; http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/13/AR2009071302852.html
注5)
OECDが2013年に発表した炭素価格に関するレポート“Effective Carbon prices”でも炭素価格には炭素税、排出権取引といった明示的な炭素価格と他の政策に組み込まれたインセンティブ制度などの暗示的な炭素価格が存在することを指摘している。http://www.oecd.org/env/tools-evaluation/carbon-prices.htm
注6)
経済産業省「自主行動計画の総括的な評価に関する検討会とりまとめ」(平成26年4月)p17~18

※【「炭素価格」を廻る論考(第2回)~日本に炭素価格はないのか?~】へ続く

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