「核のごみ」最終処分 原発に恩恵受けた現世代が政治的意思を示せ
澤 昭裕
国際環境経済研究所前所長
(IRONNAからの転載:2015年10月8日付)
トイレなきマンション論は誤解を招く
「トイレなきマンション」というのは、原子力発電を批判する際によく使われる比喩である。つまり、原子力発電は豪華かつ先端的な設備かもしれないが、そこから生じる使用済み核燃料をどうするのかという点が不明確であり、持続可能な電源とは言えないという批判である。
しかし、この比喩は誤っている。トイレは、廃棄物の処理や処分を行ってくれるものではない。トイレというのは廃棄物を一旦収容したのち、処分場に送るために介在する施設や設備をいうのであって、それは原子力発電システムにおいてもすでに整備されているのだ。
日本では、原子力発電所において燃やされた燃料は、使用済み核燃料として再処理工程に回され、まだ使えるウランやプルトニウムを取り出して、核燃料として再利用することになっている(核燃料サイクル)。こうした核燃料サイクルを回すために、原子力発電所のサイトには、使用済み核燃料を一定期間冷やすために水に浸しておくプールが整備されている。さらに、使用済み核燃料が再処理工場に移送された後は、燃料として再利用可能な核物質を取り出した後、高レベル放射性廃棄物がガラス固化され、空冷の冷却施設に保管される。使用済み燃料プールから出した後、再処理工場に移送するまでの時間がかかる場合には、金属製のキャスクに格納し、空冷の倉庫のような施設に中間貯蔵されることもある。すなわち、「トイレ」は一応、整備されているのだ。
問題は、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体を最終的にどう処分するかということについて、国民の理解が深まっていないという点にある。つまり、トイレを通って浄化施設に送られた汚物が、最終的にどこにどう処分されるべきなのか、またそれが安全なのかどうかという点などについて、まだほとんどの国民は説明を受けていないと感じているのだ。さらに、高レベル放射性廃棄物以外にも、線量が低い低レベル放射性廃棄物(例えば原子力発電所の日常作業で消費される作業服などから、廃炉の際に出る解体構造物など)も存在し、その処分についての課題もあるが、本稿では最近国が前面に立って解決の方向を見出そうとしている高レベル放射性廃棄物の問題に絞る。
高レベル放射性廃棄物の地層処分とは
高レベル放射性廃棄物の処分方法については、1950年代ごろから米国や国際機関などの検討が行われた。この間、処分方法の選択肢としては、宇宙処分や海洋処分などが検討されたが、前者はロケットの失敗のリスク、後者は国際条約上禁じられていることなどの問題もあり、地層処分が最も現実的で有望な方法だとされている。
よくある誤解は、高レベル放射性廃棄物は長期間にわたって人間が「管理」しなければならないが、そんな長期間管理することは不可能だというものである。実は、「地層処分」とは、逆に、長期間にわたる人間の「管理」という概念を否定するものなのだ。
むしろ、人間は「自然」に比べて信頼度が低い。戦争もすれば、テロも起こす。また資源の探索にも余念がない。こうした予測不能な人間の行動に高レベル放射性廃棄物の「管理」を任せるのはリスクが極めて高い。
したがって、長期間にわたって安定している地層の中に高レベル放射性廃棄物を定置・埋設することによって、人間と接近可能な生物圏から「隔離」することが地層処分の本質なのだ。最終的には地下水などに放射性物質が溶け込んで自然界に放出されることがあっても、当該放出される量が、自然界に存在する放射線量との相対的な比較などの基準で十分安全だと評価される程度に抑えられるよう、廃棄物のパッケージングの工夫や地層の選定を行うこととする、という考え方である。
現世代の責任か、未来世代に先送りするのか
昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画や総合資源エネルギー調査会放射性廃棄物WGなどでは、可逆性や回収可能性を担保しつつ地層処分を進めること、国が科学的に適性の高い地域を示すこと等が盛り込まれた。前者は、将来新しい技術が開発されたら、施設の閉鎖前であれば安全性を確認した上で、ガラス固化体を回収し、別の処分方法をトライする選択肢を未来世代に残すという考え方だ。
この考え方は一見もっともらしく感じるかもしれない。学術会議も、合意形成に至るまでは一定期間、暫定保管を行うことにしたらどうかという提言を行っている。これも未来世代への配慮という趣旨だ。しかし、筆者は、本当にそれでいいのか?という強い疑念を持っている。こうした「未来世代への配慮」は、実は「現世代の怠慢」の同義語になりかねない。