MENUMENU

原発再稼動と世論


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授


印刷用ページ

 最近、ブレア政権下で欧州担当大臣を務めたデニス・マクシェーンの「BREXIT: How Britain will leave Europe」という本を読んだ。

 英国の当面最大の外交課題はEU離脱問題である(英国のEU離脱のことをBritain とExit を組み合わせ、Brexit と呼んでいる)。2013年2月、キャメロン首相は2015年5月の総選挙で保守党が勝利したら、英国とEUとの権限関係その他を交渉した上で、英国がEUに留まり続けるか否かを国民投票に付すると約束した。本年5月の総選挙で保守党が単独過半数を制したことにより、国民投票が2016年中にも行われることになる。

 私を含め、英国に駐在する日本企業・政府機関関係者が普段交流している英国人と話をすると「EUに改革が必要なことは事実だが、英国がEUから離脱する等有り得ない」という答が返ってくることがほとんどだ。確かに経済論理で考えればEU離脱は有り得ない。英国のEU加盟国との貿易は全貿易額の50%を占め、モノ、サービス、人、資本の移動が自由にできるという域内統一市場のメリットが失われることになれば、英国経済にマイナスの影響が出る可能性が極めて高いからだ。EU離脱派はノルウェーやスイスの事例をあげ、英国がEUから離脱しても、統一市場へのアクセスのメリットを維持できると主張しているが、域内統一市場のメリットは関税が無税というだけではなく、様々な規制、基準が統一されていることにある。EUから離脱すれば、こうした規制、基準の策定になんら関与することなく、そのまま受け入れるしかない。

 反EU感情の背景の一つは、「人の移動の自由」に基づく移民の増大が英国人の職を奪い、社会サービスにただ乗りしている、というものであるが、きちんと分析すると、移民の納税額と社会サービス支出を比較すると経済効果はネットプラスとの結果も出ている。

 このようにEU離脱論には経済合理性がほとんどないのだが、世論調査を見ると離脱派と残留派が拮抗していることに驚く。昨年9月のスコットランド独立の住民投票のときも、経済合理性で考えれば、スコットランドの分離独立など冗談のような話のはずだったが、一時は独立支持が残留派を上回る勢いを示した。

 デニス・マクシェーンは、「国民投票は感情、怒り、失望に左右され、合理的な損得勘定では動かない(A referendum is about emotion, anger, disappointment- it is not a rational profit-and-loss judgement)」と述べ、国民投票の結果、EU離脱との結論になってしまうことに強い危機感を表明している。

 同時に彼は英国で広く読まれているタブロイド新聞(サン、デイリーメイル等)の反欧州キャンペーンが国民の意識に強い影響を及ぼしていることも指摘する。こうした新聞の欧州関連の記事はしばしば反ブラッセル感情を煽るための誇張に満ちており、はなはだしい場合には明らかな嘘も含まれているという。

 「英国で考えるエネルギー環境問題」と英国のEU離脱問題がどう関係するかというと、英国におけるEU問題を、我が国における原発問題に置き換えて見ると、多くの共通点が見出せるからだ。

 原発の再稼動がエネルギーコストの低減、エネルギー安全保障、温暖化防止という点で最も費用対効果の高い方策であることは明らかだ。もちろん、再稼動に当たって、安全性が前提であることは言うまでもない。そのために独立機関としての原子力規制委員会が設立され、格段に強化された新基準に基づき、再稼動の審査を行っている。安全性の確認された原発の再稼動を進めることは、何の問題もないはずだ。

 そこで再稼動反対論者がしばしば持ち出すのが「国民的合意がない」という議論である。とはいえ「国民的合意」とは曖昧な概念だ。原発のようなイシューでは「何が何でも反対」という人々は常に存在する。それを根拠に「国民的合意がない」と言うのではお話にならない。そこで持ち出されるのが「各種世論調査で見ても再稼動反対が多数」という議論である。例えば昨年8月の日経新聞の世論調査では再稼動反対が56%、推進が32%という結果だった。他のメディアの世論調査を見ても、数字の違いはあるものの、再稼動反対が賛成を上回っていることは変わらない。経済面、エネルギー安全保障面、温暖化防止面でメリットがあり、専門家による安全性の確認があろうとも、世論調査の数字を前面に出し、「世論が反対している」と言われてしまうと、議論がそこで止まってしまう。経済合理性のないEU離脱が英国の世論調査で根強い支持を獲得していることを想起させる。

 確かに種々の政策を実施する上で、世論は重要な考慮要素であり、世論調査はその一つバロメーターだ。しかし、外交安全保障政策やエネルギー政策のような国の根幹にかかわる問題を世論調査の結果にしたがって対処してよいものなのだろうか。世論調査はある事項について賛成、反対等の四択で意見を聞くだけだが、現実には、その事項は多くの政策課題と複雑に関連しているのがほとんどだ。こうした相互関係を理解した上で、何を優先するのか、といった複雑な問いかけは世論調査ではできない。原発再稼動も、単に原子力が好きか嫌いかという単純な問題ではなく、日本経済、エネルギー安全保障、温暖化防止にも多次元で関わる問題であり、再稼動の前提条件となる安全基準のクリアはすぐれて技術的な問題でもある。「再稼動に賛成、反対」といった単純な問いかけでは、こうした多方面に関わる問題への理解を踏まえた回答が得られるとは思われない。また世論調査の数字をもって「再稼動に国民の多くが反対している」と論ずるのであれば、国政選挙、地方選挙いずれにおいても「安全性の確認された原発は再稼動させる」という方針を掲げた自民党が勝利し、「再稼動反対、脱原発」を掲げた政党が敗北していることをどう考えるのか。これもまた民意の反映ではないのか。

 「世論調査で不十分なら、イタリアやスウェーデンのように原発の是非を国民投票にかければよい」との反論もあるかもしれない。しかし、考えて見てほしい。国民投票で国策を決めるのであれば、国民の負託を受けた選良が様々な問題を様々な視点から討議し、方向性を決定するという代議制民主主義などいらなくなってしまう。英国の歴史家アクトンは「国民投票は、決定を審議から切り離し、重要な手段を立法府から国民全体の投票に委ねることであり、代議制原則を覆すものである(A referendum overrules the representative principle as it carries important measures away from the legislature to submit them to the vote of the entire people, separating decision from deliberation)」と喝破している。

 しかも、マクシェーンが指摘するように世論調査、国民投票では、しばしば合理的思考ではなく、感情が結果を左右する。彼は「自分の議論を人々に信じさせるためには、自分自身が自説を強固に信じ込まねばならない。欧州問題について、最も確信に満ちているのはEU離脱を至高の目的とした人々である。EU残留派の『EUには色々問題点はあるが、総合的に考慮すればEUに残った方が得策だ』という議論は人々の心に響かない」と言っている。これを日本に置き換えれば「原子力問題について、最も確信に満ちているのは、原子力の危険性を理由に脱原発を至高の目的とした人々だ」ということになる。「原子力はリスクゼロではないが、最大限の安全性を確保している。日本の置かれた経済・エネルギー情勢や温暖化問題を理由に原子力オプションは必要だ」と説かれるよりも、「原子力は危険だ。事故があったらお終いだ。そうした心配をしなくて良いように、脱原発すべきだ」と主張する方が遥かに単純かつ人々の感情に訴えやすい。しかも英国でEU、欧州に関するネガティブ情報がメディアに溢れかえっているように、日本の一部メディアやネットの世界では、「美味しんぼ」の鼻血騒動に代表されるように、原子力の危険性を扇動するような情報が溢れかえっている。

 このような状況下で、原発再稼動に関する世論が一朝一夕で変わることは難しいだろう。幸いなことにEU国民投票を決めてしまった英国と異なり、日本では原発再稼動の是非、あるいは原発そのものの是非が国民投票に委ねられてはいない。しかし世論におもねり、原発全停止状態を放置しておくようでは、事実上、世論調査が国民投票の役割を担っているようなものだ。再稼動を支持する世論が多数派になるまで、原発全停止が続き、日本経済、エネルギー安全保障、温室効果ガス排出にネガティブな影響を与え続ける状況を放置しておいて良いのだろうか?私の答は「否」である。世論は結果責任を負わないからだ。原発再稼動に限らず、安保法制、TPP。消費税、社会保障等、国益と世論に乖離がある政策は多々ある。その時々の世論に不人気ではあっても、国家百年の計のために必要な政策を打っていくことこそが、選挙で国民の付託をうけた政治の責任ではないだろうか。「偉大なこと、合理的なことを成し遂げるための第一条件は、世論から独立していることだ(To be independent of public opinion is the first formal condition of achieving anything great or rational)」というドイツの哲学者ヘーゲルの言葉を今こそ思い出したい。

記事全文(PDF)



英国で考えるエネルギー環境問題の記事一覧