水素社会を拓くエネルギー・キャリア(最終回)

エネルギー・キャリアの開発利用の進め方


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター

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 これまで4回に渡ってMCH(メチルシクロヘキサン)、液体水素、アンモニアの3つのエネルギー・キャリアについてご紹介してきた。【表1】にそれらの特徴をまとめてみよう。

表1

【表1】エネルギー・キャリアの特徴のまとめ

 この表から分かるように、エネルギー・キャリアにはそれぞれ特徴がある。私は、将来はエネルギー・キャリアのうちどれか一つだけが選択されるということではなく、用途毎に適切なものが、その長所を生かした形で導入されるようになると考えている。少量、短距離の輸送であればエネルギー・キャリアを用いることなく、水素を気体のまま、高圧容器に入れて輸送するという、現在も利用されている形態(高圧水素)も将来に渡って残るだろう。

 ただ仮にそうだとしても、エネルギー・キャリアの開発利用を進めていくためには、いつごろ、どのような用途に、どの程度の量の水素エネルギーが導入される可能性が大きいかを見極めたうえで、その用途向けの水素エネルギーを輸送、貯蔵するのにもっとも適したキャリアを見定め、その開発利用と社会実装のための取組みを行っていくことが必要である。なお、ここで「水素エネルギー」という用語を使っているのは、液体水素から気化した水素の利用、MCHまたはアンモニアから脱水素した水素の利用のみならず、アンモニアの直接利用を包含した利用形態を念頭においているからである。

 いつごろ、どのような用途に、どの程度の量の水素エネルギーが、導入される可能性が大きいのかということについては、客観性の高い情報と科学的な分析に基づいてシナリオの形でまとめ、関係者の間で共有されることが重要である。このような水素エネルギーの導入シナリオの例は、連載の第7回で紹介した。こうしたシナリオにより、バック・キャスティングによって現時点で取り組むべき課題やその優先順位等を見定めることができようになる。もちろんこうしたシナリオは、情勢の変化に応じて適宜見直されることが必要だ。

 用途毎にもっとも適したキャリアを見定めていくためには、主な水素エネルギーの用途毎に、海外のCO2フリー水素源から、水素をエネルギー・キャリアに変換し、日本に輸送したのち、水素エネルギーの利用サイトまで運び、使用に至るまでの供給チェーンの全体を見渡して、キャリア毎にその供給チェーンの構築に係る技術面、コスト面及び社会実装面の課題と課題解決のフィージビリティを評価して、その優劣を比較していくことが必要だろう。

 技術面の課題解決に係るフィージビリティの評価とは、先の供給チェーンの中で、克服しなければならない技術課題がどれほどあるかを評価することである。コスト面のそれは、供給チェーンを経て運ばれた水素エネルギーのコストが、使用段階で許容されるコスト要件をクリアできる見込みがあるかについての評価である。そして社会実装面の評価では、供給チェーンの構築に必要となるインフラ、施設、設備等の整備に要する社会的投資スケールの規模感の把握に加えて、所要の安全確保と社会から受容を得るための方策について評価、検討される必要がある。

 技術面での課題の評価にあたっては、例えば【図1】のような形で3つのキャリアの供給チェーンを一つの図に模式的にまとめ課題を整理することによって、供給チェーンの構築に係る技術的課題の全体像を俯瞰し、総合的な観点から供給チェーン間の優劣や特徴についての評価を行うことができるだろう注1)。ただ、ここに例示された「課題」を見ても分かるように、それらの課題の中には質が異なるものがあるために、単純に相互比較ができる訳ではない。また、供給チェーンの長さ(距離)や立地条件などによっては、そのチェーンのフィージビリティに大きな影響が及ぶものがあることに留意する必要がある。(例えば、液体水素は通常の距離であれば、既に開発された液体水素輸送用のタンクローリーやコンテナで運ぶことができるが、輸送距離が一定以上になると輸送の経済性は大きく悪化すると言われている。)

図1

【図1】水素ST向けの水素エネルギーの供給チェーンの全体像

注1)
なお、【図1】は、「水素ST向けの水素エネルギーの供給」チェーンについてのものであるが、これはあくまでも例示であり、必ずしもこの供給チェーンに係る技術的課題を網羅的に示したものとはなっていない。

 コスト面での評価の例として、海外のCO2フリー水素源から国内の水素エネルギー利用サイトに至るまでのエネルギー・キャリア別の水素エネルギーのコスト比較の例を【図2】に示す。(なお、この図は、既存の文献注2)に収載されていた情報をもとに筆者が作成したものである。)【図2】の分析結果は、分析に用いられている仮定や情報を見直す必要があることから、その結果数値にとらわれることは適当でないが、こうした分析を行うことによって、エネルギー・キャリアで運ばれる水素エネルギーコストの構成要素とコスト要素間の相対的大きさについて、一定の情報を得ることができるだろう。それにより、今後のコスト低減の余地の評価や優先研究開発課題の特定についての参考情報を得ることができると考えられる。

図2

【図2】各エネルギー・キャリア別の水素エネルギーのコスト推計例

 実際にコスト分析を行う際には、分析の前提条件や仮定について十分に検討されるべきことはもちろんであるが、加えて、こうした分析には次に述べるような困難が伴うことも理解しておく必要がある。まず、水素エネルギーの利用環境-例えば、利用場所に利用可能な熱源があるかどうか(これはMCHの脱水素コストに大きく影響する)、既存の施設や設備が利用可能かどうかなどの要因によって評価結果は異なり得ることである。また、エネルギー・キャリアの種類によって供給チェーンを構成する設備機器や技術の成熟度が異なるものがあるために、供給チェーンが既存技術により構築できる場合と、開発中の技術を含めて構築を図る場合とのコスト推定結果の比較可能性の問題もある。さらに、分散型エネルギーとして水素エネルギーが利用される場合には、許容されるコスト要件は、特定のエネルギー利用環境の下(例えば、離島や系統電力線から隔絶された地域での利用や「余剰」の再生可能エネルギーの利用等)では、通常の環境のそれとはかなり異なったものとなるだろう。

 このようにこれらの評価は、単純なものでも簡単にできるものでもない。さまざまな要因を考慮した総合的なものとならざるを得ないだろう。さらに、当然のことながら、これらの評価は、最新の情報や研究開発の進捗状況等を踏まえつつ、繰り返し行っていくことが必要である。

 エネルギー・キャリアの開発利用を通じて水素エネルギーの導入を図り「水素社会」を構築していくことは、既存のエネルギー社会システムを変革する取組みである。こういった変革を進めていくためには、こうした多面的かつ総合的な評価情報を広範囲の関係者間で共有したうえで、それぞれのプレーヤーが創意工夫を発揮しつつ、技術合理性、経済合理性の高い取組みを進めていくことのできる環境を作る必要がある。このためにはさまざまな困難があったとしても、試行錯誤などを繰り返し、こうした評価に挑戦していくことが重要だ。

 こうした取組みを続けながらエネルギー・キャリアの開発利用を進めることにより、可能な限り早期に「水素社会」が到来することを期待したい。水素エネルギーの導入により「水素社会」を構築していくことは、日本のエネルギー・環境制約を克服することのできる数少ない実際的な方途と私は考えるからだ。

 さて、以上で「エネルギー・キャリア」についての解説をひとまず終わることとしたい。当初の目論見とは異なって計12回、半年以上に渡る長期の連載となってしまった。長い間お付き合いいただいた読者の方々、国際環境経済研究所の担当者の方にはお礼を申し上げたい。エネルギー・キャリアの開発利用に向けた取組みは現在進行中である。水素エネルギーや、エネルギー・キャリアの普及、利用の状況について、また新たな方向性などが見えてきたら、その段階でまたご報告したい。

 最後に繰り返しになるが、本連載中に記した見解や意見は、個人のものであることをお断りしておく。

注2)
JST科学技術未来戦略ワークショップ 「再生可能エネルギーの輸送・貯蔵・利用に向けたエネルギーキャリアの基盤技術」報告書(平成24年7月28日)に収載されている(財)エネルギー総合工学研究所 村田氏講演資料)

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