電気料金値上げを主張する「脱・成長神話」(朝日新書)とピケティー「21世紀の資本」


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

印刷用ページ

 朝日新聞出版の本というだけで内容を想像することが可能だが、「脱・成長神話」(武田晴人著)は書名からも分かるように「資源制約、気候変動問題もあるなかで、成長神話を追い求める時代は終わった」というのが骨子だ。またエネルギー・電力問題に触れている部分が多い本でもある。
 経済成長を求める時代は終わったと主張する人は多い。水野和夫、浜矩子、榊原英資と何人かの名前を直ぐに思いつくことができる。著者を含め経済成長は不要と主張する人たちは、最近話題のピケティーの「21世紀の資本」をどう評価するのだろうか。
 ピケティーは、資本(資産)の収益率が経済成長率を上回るために、資産家と主として賃金を所得とする労働者との格差が拡大していると、20カ国のデータから指摘した。国民所得が、政府も貿易の影響もなく、資本からの収益と労賃だけで構成されているとすると、国民所得の成長率よりも収益の成長率が高いので、労賃部分が減少し格差が拡大しているということだ。
 欧州と米国の上位1%と10%の人が全体の富の何%を保有しているかを図‐1が示している。格差拡大の理由は資本の収益率が経済の成長率を上回り図‐2の通り国民所得のなかで資本の収益率がシェアを高めているからだ。その分労賃はシェアを失っている。ピケティーの指摘が正しいのであれば、経済成長がない社会になれば、労賃部分の下落は大きくなる。成長がない社会であれば、労賃はどんどん少なくなるということだ。経済成長と労働者の所得の伸びに乖離がある以上、経済成長がなくても良いのは資産を保有する人だけだろう。

20150126_01

20150126_02

 「世の中お金ではないよ、他に価値のあるものがある」という言葉は美しいが、多くの人はお金のことを考えないと生きていけない状態にあるのではないだろうか。この幸福感の問題については、また改めて議論することとし、本書のエネルギー問題の議論の不思議さを指摘したい。細かい点を挙げるときりがないので、3点だけ述べたい。

 「企業よりも家庭が電気を使っている」とのタイトルがあり、電力消費について、「家庭部門の消費が抑制されれば、間違いなくエネルギー供給量はそれほど高い水準を目標とする必要はなくなる」とある。ところが、示されているデータには電力消費に関するものはなく、一次エネルギーに関するものだけだ。電力販売量のデータを図‐3に示したが、タイトルと説明の誤りは明白だ。
 家庭あるいは小さな商店が主体の電灯需要を、産業用の需要が上回っているし、業務用にもオフィスビルのように企業用の需要が含まれているから、企業の需要量が家庭よりも大きく、全需要量の3分の1に満たない家庭用の消費を抑制すれば電力供給目標を高くしなくてよいという主張の根拠は不明だ。産業部門が成長すれば電力供給量の増加は必須だ。

20150126_03

 次に破綻しているのは、電力料金に関する主張だ。著者は「コストに占める電力料金などのエネルギーコストは随分小さくなっているので、電力料金の値上げがコスト圧迫要因となって日本の産業企業の競争力を阻害するという主張にはあまり説得力はありません」としている。間違いだ。
 まず、コストに占める割合が小さいから産業の競争力に大きな影響がないという主張は論理的に飛躍している。コストの割合が小さくても上昇率が大きければ、利益と競争力には大きな影響を与える。家庭用主体の電灯料金、産業用・業務用の電力料金の推移を図-4に示した。10年度から13年度にかけ、電灯料金は19%、電力料金は32%上昇した。業務部門を除いても産業界の負担は1兆4000億円以上増加している。この大半は製造業の負担増だ。製造業の12年度の純利益額は6兆6,700億円だ。電力料金の上昇が産業の競争力を大きく阻害しているのは明らかだ。

20150126_04

 さらに、「電気料金の値上げ幅はもっと大きくしなければなりません」と主張している。家庭で節約により消費量が削減されるので、その分値上げしてもよいとの主張だ。また、高い電気料金で再エネも促進されるとしている。著者は、節約余地がなく必需品の電気を使わざるを得ない弱者が世の中に多くいることは気にならないようだ。電気料金の上昇は交通費、スーパーの商品などの値上げを招くことも気にならないようだ。「電力会社の高すぎる役員賞与や給与水準、高すぎる配当とも」指摘しているが、その指摘の根拠は全く分からない。企業規模からして不当な水準にあるのだろうか。また、コストに占める比率が10%にも満たないことについては無論言及はない。
 原子力が嫌いな朝日の新書らしく、「廃炉費用などを含めたトータルのコストが計算されていない」として「産業企業の安価な電力要求を満たすことと原子力発電の再稼働は論理的にも整合性はありません」と主張しているが、著者はサンクコストという概念を知らないのだろうか。既に支出されている費用は使われたものであり、将来のコストの判断には関係しない。また、廃炉の費用は再稼働とは関係なくいずれ必要だ。再稼働の判断には再稼働に関係するコストだけを考えればよい。だとすれば、再稼働し、今ある設備を利用するほうが、電気料金は間違いなく安くなる。
 データを示さずに議論をし、エネルギー、電力問題に詳しくない読者を騙すような書籍が、なぜこれほど多いのだろうか。著者も編集者も、データをよく読み、真摯にエネルギー問題を考えて欲しい。エネルギー政策は経済に直結している。