COP20こぼれ話
-アル・ゴア氏の本当に不都合な真実-
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
COP期間中は、交渉官達による会議だけでなく様々なサイドイベントが行われる。各国・地方自治体あるいは産業界や団体がそれぞれの主張をプレゼンテーションしたり、研究者が研究成果の発表を行ったりと、会期中途切れることなく何かが行われる。昨年開催されたCOP20のサイドイベントの一つに、元米国副大統領のアル・ゴア氏が登場した。
アル・ゴア氏といえば、温暖化に対して警鐘を鳴らすドキュメンタリー映画「不都合な真実」(原題: An Inconvenient Truth)に主演し、環境問題の普及啓発活動に功績があったとしてノーベル平和賞を受賞した有名人だ。そのため、そのサイドイベントは事前申込制で人数制限がかけられていた。今でも彼は環境NGOの若者などにとっては「カリスマ」であり、壇上の彼と自分が一緒に写り込むように「自撮り」する若者の多さが印象的だった。日本人の中にも、特に温暖化問題に関心が高い人ほど、アル・ゴア氏を高く評価する人が多い。しかしそれは無邪気に過ぎるというものだ。
京都議定書がその実効性を大きく損なった原因の一つが、米国の不参加にあることに異論はないだろう。米国が京都議定書への不参加を正式に表明したのは、2001年3月28日。ゴア前副大統領と大接戦の末勝利したブッシュ大統領が、中国など既に大排出国となった途上国も不参加であり不公平な枠組みであること、米国経済への悪影響が懸念されることなどを理由に参加しない旨の演説を行ったのだ。このためブッシュ政権が温暖化対策に後ろ向きであったことを批判し、ブッシュ政権による「裏切り」を非難する声が強い。
しかし、米国の不参加は、京都議定書が採択されたCOP3の時には既に想定されるべきであった。1997年7月、COP3に先立つこと5ヶ月ほど前、米国議会上院は、米国経済に深刻な影響を与える条約、発展途上国による温暖化防止への本格的な参加と合意がない条約は批准しないことを満場一致で決議(バード=ヘーゲル決議)していたのだ。気候変動枠組み条約が1990年代初頭の状況に基いて世界を先進国と途上国とに二分し、それぞれの義務に差異を設けていること、京都議定書はその条約のもとに先進国に排出削減の義務を負わせる仕組みであることを考えれば、これほど明確に反対の意思を示していた米国議会上院が議定書の批准を承認するはずがなかったのである。
しかしゴア氏はCOP3の開催される京都に乗り込んできて、米国も参加するから日本ももっと高い目標を掲げるべきだと迫った。自身が大統領になれば議会を説得するつもりだったと好意的に解釈することも不可能ではないが、それが成功する見込みは皆無に近かったであろう。それが証拠に、クリントン政権は京都議定書の批准提案を上院に提出することすらしていない。少なくとも自国の足元がそれだけ不安定な状況で他国に目標の引き上げを迫るなど、日本人にはとてもできない芸当だ。「やるやる詐欺」とでも言いたくなる。
とはいえ、日本も多いに反省すべきなのは、米国が批准しないことを表明しても「COP3の議長国として率先して批准すべし」との単純な論で突っ走ってしまったことだ。当時、野党民主党の代表だった鳩山氏が小泉元首相との党首討論で、京都議定書の批准を強く迫っていたことは私も鮮明に記憶しているが、米国抜きの枠組みで本当に温暖化対策として実効性があると思っていたのだろうか? そういった実のある議論は国会でほとんどなされることなく、2002年5月21日、衆議院は全会一致で京都議定書の批准承認案を全承認・可決した。衆議院外務委員会の審議はわずか3時間だったという注1)。
米国が批准せず、残った先進国だけが排出削減を負う京都議定書は、中国など新興国の排出量急増によりさらに実効性を失っていく。日本が京都議定書第二約束期間に対し目標を提出しないことを宣言した2010年のCOP16では「Don’t kill the KYOTO(京都議定書を殺すな)」と書いたTシャツを着た環境NGOの若者をよく見かけたが、京都を生かして地球を殺しては(守れなければ)元も子もないだろうと思ったものだ。確かに温暖化交渉は、武器なき戦争といわれるほど国益をかけた交渉が行われるが、あの時の日本政府の主張は実効性ある温暖化対策という地球益から考えてもまっとうであった。
米国議会の勢力図や大統領選などを睨みつつ、いかに米国、そして中国という2大排出国から実効性ある目標へのコミットを引き出すか。温暖化を真剣に考えれば考えるほど、その努力こそが重要だと考える。
なお、京都議定書を巡る交渉については、弊研究所掲載の有馬純氏「私的京都議定書始末記」、加納雄大氏「環境外交-気候変動交渉とグローバル・ガバナンス」に大変詳しいのでぜひそちらも参照していただきたい。
注1) http://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/comment/2002/com0521.html