蟷螂の斧

-河野太郎議員の電力システム改革論への疑問①-


国際環境経済研究所前所長

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 つまり、製造原価が違うとはこのことだ。自由化しようがしまいが、家庭用の電気は大口需要家向けの電気よりも製造原価は高い。したがって、家庭用電気が大口需要家向け電気より高いのは、製造原価の違いから言って自然なことだ。議員ご自身が主張されているわけではないが、仮に、現時点で両方の電気が同じ電気料金になっているとするならば、それは大口需要家で(過剰に)稼いだ利益で家庭用電気料金を低く抑えるよう内部補助していることになってしまう。その状態をそのままにして自由化するならば、家庭用への新規参入を阻む競争制限行為となってしまう。逆に言えば、いまの家庭用料金が製造原価を反映して(大口需要家向けより)高いことで参入が可能となり、自由化の狙いが実現するのである。
 
 電力システム改革が進めば、今後は家庭用についても、電力を多く消費する需要家に対する大口割引が自由になる。ところが、これまで規制下に置かれていた家庭用の料金は、使えば使うほど単価が高くなる料金制度を採用している。「大口割引」とは真逆だ。これを「ブロック逓増型二部料金制」というが、いったいどういう考え方に基づくものなのだろうか。
 実はこういうことである。電気は生活の必需品である。生活を維持するのに最低限必要な電気の量に対しては単価を割安に設定し、経済的弱者や社会的弱者に配慮しなければならない。これは電気料金設定を通じた所得再分配政策=社会福祉政策である。これも議員ご自身がそこまでおっしゃっているわけではないと思うが、単に自由化を進めて競争的環境を作れば何でもうまくいく、社会正義も実現できると考える自由化推進論者は多い。改革プロセスのさなかでは、自由化政策・競争政策によっては、所得再分配は実現できないという基本的な問題点を忘れてしまっていることが常である。改革が完了してから、こうした分配問題が表面化し、政治問題となるのが普通だ。小泉政権下で進めた経済構造改革(自由化)が弱者を置いてきぼりにし、その後分配政策を前面に押し出した民主党に政権を奪われたことを、自民党は忘れてしまっているのだろうか。自由化がダメというわけではなく、それが政治的万能薬ではなく、さまざまな有権者層に配慮していく必要があるということなのだ。