オバマ政権の環境・エネルギー政策(その12)

上院による原子力廃棄物管理法案


環境政策アナリスト

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核不拡散問題へのオバマ大統領の思い

 軍事用廃棄物の問題は米国の場合避けて通れないので核不拡散問題についても触れる必要がある。米国の核不拡散政策の嚆矢(こうし)はジミー・カーター政権だった。
 旧ソビエト連邦との冷戦下で軍拡を進めてきた米国だが、ベトナム戦争などで疲弊し、経済的にもこれ以上の拡大は難しくなっていた。1977年4月、就任したばかりのカーター大統領は、1974年のインド核実験で米国由来の濃縮ウランが使用されていた疑いを受けて、商業用再処理の無期限延期、プルトニウムの軽水炉への利用の無期限延期、高速増殖炉開発計画の変更と商業化の延期、米国内の濃縮能力の拡大、濃縮・再処理技術などの輸出禁止を定めたカーター声明を発表した。プルトニウムは経済的でなく、核拡散にもつながることから使わないほうがいいという主張だ。
 1977年には上記内容を盛り込んだ国際核燃料サイクル評価(INFCE)がカーター大統領に呼びかけて、同年5月の先進国7 カ国首脳会議(ロンドンサミット)で合意された。運転開始間近の日本の東海再処理施設の稼働延期が要請され、長い交渉が始まった。
 一方で、1979年にスリーマイルアイランド(TMI)原子力発電所事故が発生。第二次石油危機に伴う電力需要の伸びの低下と、原子力の建設工期の長期化に伴う建設費用の増加などもあいまって、それまで盛んだった新規原子力発電所建設計画はストップした。
 核不拡散政策の流れの中、当時から放射性廃棄物処分方策も同時に進めることが求められており、1982年には放射性廃棄物政策法が制定されている。
 1980年代に始まった電力自由化の流れは1990年代のクリントン時代を通して促進され、原子力発電に対する投資も途絶えた。原子力開発に伴う不拡散への脅威が常に取り沙汰された。原子力への逆風が一層強くなり、カリフォルニア州ランチョセコ原子力発電所が、一次冷却材の過冷却事故により長期間の運転停止をした結果、投資を回収する前に、1989年カリフォルニア州住民投票で廃炉が決定するという一幕もあった。
 しかし、2001年に誕生したブッシュ政権は、発足早々からエネルギー問題を重視する姿勢を示した。原子力政策にも積極的で、2005年成立したエネルギー政策法により、政府による原子力発電所の新規立地に対する手厚い支援が行われた。一方で、国際原子力エネルギーパートナーシップ(GNEP)を提唱し、カーター政権以来、タブーとなっていた再処理にも踏み込んだ政策を打ち出した。しかし、ブッシュ大統領にとっても放射性廃棄物処分問題は、のど元に刺さったとげのような存在であり続けた。
 オバマ政権下では、ユッカマウンテンプロジェクトを見直しが決まった一方で、長期的に核拡散につながらない廃棄物処理技術の開発を目指さなくてはいけない。
オバマ大統領は、選挙期間中に原子力発電の拡大と核不拡散の関係について下記のように語っている。大統領選挙期間中の2008年9月24日に発行された軍縮・軍備管理専門誌『アームズ・コントロール・トゥデイ(Arms Control Today)』誌をみると、下記のように表明をしている。

原子力セキュリティーの観点で、原子力発電の拡大はプルトニウムとウランを製造する機微技術の拡大とは切り離して進めなければならない
大統領として国際燃料バンク、国際燃料サイクルセンターの設立と、信頼できる燃料供給確保を含む新しい国際的枠組み(International Nuclear Energy Architecture)を、他国の政府とともに核不拡散を惹起させず、原子力の需要増大に対応するために確立する

 オバマ大統領はGNEPを推進した前政権と似た表現を使用しているが、GNEPと異なるアプローチを考慮していたことは言を俟たない。上記の新しい国際的枠組み(International Nuclear Energy Architecture)とはまだどのようなものになるのか具体的には述べられていないが、国際的な核拡散への課題に対応しなければならないというオバマ大統領の意気込みの強さを伺い知ることができる。

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