第3話「3/11の衝撃とダーバンCOP17:“Down but not out”」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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 COP16に至るプロセスで日本が直面したのが、京都議定書「延長」圧力という、外からの試練であったのに対し、COP17で直面したのは、いうまでもなく、2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故による内からの試練であった。
 前年の交渉で辛うじて「203高地」を確保したが、COP17では、将来枠組み構築と京都議定書「延長」問題が混然一体となって厳しい交渉が予想される、いよいよ「バルチック艦隊」がやってくると身構えながら様々な手を打ち始めた矢先の「連合艦隊」のエンジントラブルである。しかし、「武器無き戦争」たる気候変動交渉は日本を待ってはくれない。
 エネルギー政策が根本から見直しを迫られ、表裏一体の地球温暖化対策も立て直しを余儀なくされる中、「守り」のみに引きこもらず、如何に「攻め」の姿勢を維持し、交渉を乗り切っていくか。これが、COP17に臨む日本の課題であった。
 第3話では、前回に続き、カンクンCOP16からダーバンCOP17に至る2011年の気候変動交渉の流れと、日本の対応をご紹介したい。
 COP16を境に、国際交渉の構図はまた様変わりしていた。京都議定書「延長」に入らないとの日本とロシアの立場が既成事実になった事により、途上国による京都「延長」圧力はEUに向くことになった。これに対しEUは、見返りとしての将来枠組み構築のハードルを引き上げつつ、脆弱国や国際NGOにアピールしながら、途上国の分断と、米、中、印(及び露、日)など主要排出国に圧力をかける戦術をとった。京都議定書「延長」とともに将来枠組みへの道筋が描けるか(ダーバン・シナリオ1)、それとも京都議定書「延長」のみをEUなど限られた先進国が呑まされるか(ダーバン・シナリオ2)が、COP17の焦点であった。

 日本は、万全とは言えない国内態勢ながら、全ての主要国が参加する公平かつ実効性のある国際枠組み構築に向けた道筋を描く具体的提案を行い、ダーバン合意の実現に少なからぬ貢献を行った。また、低炭素成長(Low Carbon Growth)の実現のため、先進国と途上国が連携して具体的協力を進める「世界低炭素成長ビジョン」を提唱した。東アジア低炭素成長パートナーシップ構想や、TICAD(アフリカ開発会議)の下でのアフリカ低炭素成長戦略づくり、アジア諸国を中心に協議を進めている二国間オフセット・クレジット制度などは、この「世界低炭素成長ビジョン」の一環であり、いずれも2011年に本格化させている。
 COP16と異なり、京都議定書「延長」問題で日本が注目されることは、もはやなかった。カナダの脱退騒動がメディアを席巻したせいもある。このため、従来からの「日本孤立論」に加え、「京都議定書『延長』問題での頑なな立場故に、日本は交渉から外された」云々の議論も散見された。Japan bashing論からJapan passing論への変質である。しかし、これは法的枠組みの問題を巡る国際交渉の構図を正しく捉えていない、的外れの議論である。日本は前年とは別の意味で苦しい状況だったが、国際交渉の真ん中で「守り」、かつ「攻めた」のである。
 詳細は本文をご覧頂ければ幸いである。

図3-1 2011年の気候変動交渉の流れ
出典:外務省資料

別添:第3話「3/11の衝撃とダーバンCOP17:“Down but not out”」
*本文中意見にかかる部分は執筆者の個人的見解である。