Planet for the Humans を視て感じたこと


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 杉山大志キャノングローバル研究所主幹による「リベラル陣営から飛び出した再エネ批判-マイケル・ムーアのPlanet of the Humans を視る-」という記事注1)を興味深く読んだ。

 マイケル・ムーアは米国の銃社会を徹底的に批判した「ボウリング・フォー・コロンバイン」、ブッシュ政権を批判した「華氏911」、金融資本主義を批判した「キャピタリズム-マネーは踊る-」などの作品に代表されるように左派リベラルに属する映画人であり、筆者はその作品のいくつかを観ている。その主張には賛同できない点も多々あったが、いずれの作品も人を引き込むインパクトがあり、映像というものの力を強く感じさせた。本作品についても早速、You Tube で視た。1時間40分ほどの作品であるが、退屈させず、一気に最後まで観せる。同時に考えさせられることも多い映画であった(ちなみにマイケル・ムーアは製作者であり、本作品の監督はジェフ・ギブスである)。

 杉山研究主幹の記事にあるように、この映画のテーマは「クリーン」とされる再生可能エネルギーの現実を明らかにすることにある。太陽光発電、風力発電等、再エネ施設の原材料や建設には化石燃料が使われており、変動性電源であるが故に化石燃料火力によるバックアップが必要になる。エネルギー密度の低い再エネ施設の建設やバイオマス発電のための大規模な森林伐採は自然破壊をもたらしている。本作品ではバイオ100%再エネをうたっている企業、イベントが化石燃料火力からの発電電力を含むグリッドと接続されていたり、誇らしげにデビューした電気自動車の供給電力が石炭主体であり、会社関係者が「石炭は必ずしも悪いエネルギー源ではない」とコメントする等の「不都合な真実」も紹介される。更に環境運動が再エネ利権に基く資本主義と結びついているとして、環境運動のイコン的存在であるアル・ゴアやビル・マッキビンが攻撃対象になっている。

 こうした点はエネルギーに関してある程度の知識があれば驚くにあたらない。しかし「再エネはCO2フリーの完全なエネルギー」と素朴に信じている人にとっては大きなインパクトがあるだろう。ジェフ・ギブスの無遠慮なインタビューに対する相手の困った表情は書き物の文章よりもはるかに雄弁である。映像のインパクトというものはそれだけ強い。

 右派のサイトBREITBERTでは左派の代表格であるマイケル・ムーアが再エネの現実や再エネ産業利権を攻撃したことに快哉を叫んでおり、「マイケル・ムーアは今やグリーンニューディールの最悪の敵である」等の記事を発表している注2) 。この手の再エネ批判が出るたびに環境関係者は「化石燃料企業から金をもらった極右による卑劣な宣伝工作」と反応するのが常だった。しかし相手がバリバリの反資本主義のマイケル・ムーアではそういう議論は展開できない。それだけに左派の反発は激しく、シェールのフラッキングを告発したドキュメンタリー映画Gasland の監督であるジョシュ・フォックスは気候学者や環境活動家との連名レターで「この映画は危険であり、ミスリーディングであり、数十年にわたる環境政策、科学、技術に対して破壊的な影響をもたらす」との理由でドキュメンタリー映画サイトFilms for Actionに対して本作品の配信中止を要求した注3) 。左派リベラル系のガーディアンの環境エディターのジョン・モンビオットは「マイケル・ムーアは如何にして気候否定論者、極右のヒーローとなったか」と嘆く論説を発表した注4) 。Films for Action は「本作品は誤った情報に満ちている」との理由でいったんは配信を停止したが、数日後、「作品を検閲することは結果的にその作品に神秘的な力を与えることにつながる」との理由で配信を再開している注5) 。こうした左派の攻撃に対して、右派は「自分の気に入らない議論に対して真摯に論争するのではなく、スラップ訴訟等で相手を黙らせようとするのは左派の常套手段だ」と批判を強めている。レターの主導者であるジョシュ・フォックスについても「彼の製作したGasland 自体がフラッキングについてミスインフォメーションをばらまいている。映画を撤回すべきなのはジョシュ・フォックスのほうだ」との批判もある注6)

 へそ曲がり(contrarian)と呼ばれるマイケル・ムーアの作品のこと、今回も議論を沸騰させることに成功したことは間違いない。

 この映画が再エネ至上主義者や環境活動家の「偽善性」を抉り出していることにある種の痛快さを感ずることは事実だ。しかし、この映画での再エネの取り上げ方が偏っていることも指摘せねばならない。一般の人が誤解しているように再エネが完全にCO2フリーでないことは当たり前であるが、発電時のみならず、設備建設や運用面も含めたライフサイクル全体でのkwh当たりCO2排出量は化石燃料火力に比してはるかに低い。化石燃料火力によるバックアップ発電を考慮に入れたとしてもCO2削減という点でみれば相対的に環境フレンドリーであることは間違いない。化石燃料に依存しているから全否定というのはバランスを欠いている。他方、この映画ではCO2フリーの電力を大量かつ安定的に供給できる原子力については一言の言及もない。もっともマイケル・ムーアから原子力についてポジティブな意見を期待することは見当違いであろう。

 化石燃料もダメ、再生可能エネルギーもダメ、原子力はそもそも論外というこの映画の示唆するところは「地球を破壊しているのはCO2ではなく、我々自身だ。根本的な問題は人口の増加である」というメッセージだ。ある種のマルサス主義に立脚した考えといえよう。しかし、この映画では森林伐採によって棲家を奪われるオランウータンの映像は紹介されても、世界で10億人にのぼる貧しい人びとがいまだに電力へのアクセスを有していないという事実は紹介されない。貧しい人びとは当然に生活水準の向上を目指し、エネルギー消費、電力消費も今後ますます拡大する。マイケル・ムーアの映画はそうした人類の自然な欲求を否定しているという点でanti-humanである。エネルギー消費の増加が不可避であるならば、完璧なエネルギー源がない以上、国情に応じて様々なエネルギー源を組み合わせて、エネルギーの安定供給を確保し、エネルギーコストをaffordableに保ち、環境への悪影響も最小化するという連立方程式を解かねばならない。それを解くカギは杉山研究主幹が指摘するとおり技術革新である。

 Planet of the Humans を観ながらそんなことをつらつら考えた。そして温暖化問題について再エネ至上主義でもなく、人口抑制主義でもなく、技術に立脚したプラグマティックなアプローチをとった、かつ300万回も再生されるようなインパクトのあるドキュメンタリー映画は出てこないものだろうかと思った次第である。

注1)
http://ieei.or.jp/2020/05/sugiyama200502/
注2)
https://www.breitbart.com/entertainment/2020/04/23/delingpole-michael-moore-is-now-the-green-new-deals-worst-enemy/
注3)
https://twitter.com/joshfoxfilm/status/1253572812591247360/photo/2
注4)
https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/may/07/michael-moore-far-right-climate-crisis-deniers-film-environment-falsehoods
注5)
https://www.theguardian.com/environment/2020/apr/28/climate-dangerous-documentary-planet-of-the-humans-michael-moore-taken-down
注6)
https://www.breitbart.com/europe/2020/05/09/delingpole-michael-moore-has-become-a-hero-to-climate-deniers-complains-guardian/