パリ協定「長期戦略」とは

── 成長戦略としての「長期戦略」を考える


国際環境経済研究所理事・主席研究員


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(「環境管理」からの転載:2018年9月号)

 本年8月3日、安倍総理が主催する「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略策定に向けた懇談会」が開催され、パリ協定の下に提出する長期戦略(正式名称は、長期低排出発展戦略。以下、長期戦略)策定に向けた議論が開始された。
 これまで京都議定書やパリ協定など、気候変動に関する国際枠組みに対して、政府としての取り組みを提出することは何度か求められてきた。それらの目標年はほぼ10数年後であり、現状の経済活動や技術から積み上げた、達成確度の高い「目標」であった。
 しかし、パリ協定の下に提出する長期戦略は、それらとは趣を異にする。パリ協定は、①産業革命前からの温度上昇を2℃未満(1.5℃以内への抑制も希求)に抑制すること、②今世紀後半のネット排出ゼロ、という長期目標を掲げており、これを視野に入れた長期的な「戦略」を各国が策定せねばならないのである。2016年5月に行われた伊勢志摩サミットの首脳宣言において、G7諸国は2020年の期限に十分先立って提出することにコミットした。2018年8月時点においてG7諸国のうち米・独・仏・加・英がその長期戦略を提出済みであり、日本とイタリアが未提出となっている。
 これまでもわが国では、環境省が中央環境審議会地球環境部会に「長期低炭素ビジョン小委員会」を、経済産業省が「長期地球温暖化対策プラットフォーム」を開催するなどして議論を続けてきたが、戦略策定には至っていない。そこで冒頭述べた通り、総理主導による懇談会が設置され、策定に向けた議論が本格化することとなったわけだが、わが国はこの長期戦略に何を書くべきなのか。
 パリ協定等は長期戦略に何を求めているのか、先行して提出した各国はどのような戦略を提出しているのかを分析した上で、わが国の長期戦略が踏まえるべき観点を整理したい。

1.「長期戦略」とは何か

 長期戦略は何を書けば良いのか。どんな要件が求められているのか。実はパリ協定に具体的な記載はない。パリ協定第4条19項注1)に「第2条の規定に留意して長期戦略を策定、通報するよう努力すべき」としか書かれていないのである。定型の書式もなければ、記載事項リストのようなものもない。提出期限については、パリ協定ではなく、COP21決定注2)に「2020年までに」と書かれているのみだ。
 内容に関する手がかりとして唯一書かれている「第2条に留意して」であるが、第2条というのは、パリ協定の肝ともいえる長期目標(前書きにおいて述べた2℃目標)が書かれている項であり、2℃あるいは1.5℃目標を念頭において戦略を策定すべきであることだけはわかる。しかし2条全体をみれば、「持続可能な開発及び貧困を撲滅するための努力の文脈において」(第2条1項)、「食糧の生産を脅かさないような方法で、気候変動の悪影響に適応する能力並びに気候に対する強靱性を高め、及び温室効果ガスの低排出型の発展を促進する能力を向上させる」(第2条1項b)(下線筆者)といったように、貧困撲滅や食料生産との協調など、いわゆるSDGs全体の文脈の中で気候変動対策を進めるべきとしていることには留意が必要だろう。

2.各国の長期戦略は何を書いているのか

 先行して提出されている各国の長期戦略は何を書いているのだろうか。提出済みの長期戦略は国連気候変動枠組み条約事務局のウェブサイト注3)で閲覧することが可能だ。
 最もページ数の少ないチェコは約15頁であるが、ドイツは89頁、米国は110頁、最も分厚いフランスは220頁と、各国ともボリュームのある内容となっている。今回はそれらを概観した上での所感を述べたいと思う。
 各国の長期戦略を概観して感じたことは、下記の3点である。まず、①革新的技術開発の重要性を認識していること、②国民および投資家へのメッセージを明確に打ち出していること、③柔軟な見直しを確保していることである。

(1)革新的技術開発の重要性に関する認識
 2℃あるいは1.5℃目標や今世紀後半の温室効果ガスのネットゼロを達成することは容易ではない。例えばUENPの報告書注4)によれば、パリ協定の下提出された各国のNDC(各国が自主的に決定する貢献)は最低コスト経路に必要な排出削減量の約1/3しかカバーしていないと指摘し、さらなる野心的な目標の必要性を訴えている。
 そもそも、大気中のCO2濃度が倍になったときにどれだけ気温が上昇するかという最も基礎的な数字(気候感度)が明らかではないし、2℃目標達成も確率論なので、シナリオは多様に描けるが、達成が相当困難であることだけは明らかだ。それを解決するものとして期待されているのが革新的技術開発である。
 パリ協定でも技術開発や移転の重要性については強く言及されており、例えば、第10条5項では「イノベーションを加速し、奨励し、及び可能にすることは、気候変動に対する効果的及び長期的な世界全体による対応並びに経済成長及び持続可能な開発の促進のために不可欠である」とも言及されている。要は現状の延長線上に、気候変動問題の解決はないというのは共通認識であるということだ注5)。パリ協定が策定されたCOP21の期間中に、クリーン・エネルギー分野の研究開発についての官民投資拡大を促す国際イニシアティブ「ミッション・イノベーション」注6)が設立された背景はここにある。
 ミッション・イノベーションは、5年間で政府のクリーン・エネルギーに対するR&D(研究開発費)を倍増させることをコミットするとともに、民間セクターの投資も促していくものだ。そもそも研究開発費総額の対GDP比率が高い注7)日本は当初参加するかどうか当初は議論が分かれたところであるが、安倍首相もミッション・イノベーション立ち上げ式に出席し、わが国として正式にコミットしている。なお、特にエネルギー関連技術に対する研究開発費用の公的負担は、米国に次いで第2位と、諸外国と比較しても高い(図1)。

図1/各国のエネルギー関連研究開発・実証に対する公的負担(出典:IEA “Energy Technology RD&D Budget Overview 2017 注8))”

図1/各国のエネルギー関連研究開発・実証に対する公的負担
(出典:IEA "Energy Technology RD&D Budget Overview 2017"注8)

 研究開発費を注ぎ込めば技術革新が可能になるわけではもちろんないが、研究開発費を投じなければ何も起きないことは間違いがない。例えば英国の長期戦略は、「わが国の目標達成に資するすべての技術進歩を予測することはできない。その代わりに、民間セクターが革新し、投資するよう能う限り最高の環境を創出しなければならない」(Executive Summary P10)と述べ、民間セクターの投資環境を整えることがカギであることを端的に指摘している。
 そのためには、競争市場とスマートな規制を整え、起業家や投資家をサポートすることが重要であるとしつつも、政府の出資についても具体的に述べ、この長期戦略自体が、「2015年から2021年にかけて低炭素革新を支援するために、政府が25億ポンドをどのように投資するのかを初めて明らかにするもの」であるとしている。長期戦略の標題が「Clean Growth Strategy」であることからもわかる通り、投資戦略であり、成長戦略そのものであるといえよう。
 わが国は、オイルショックの直後から「サンシャイン計画」や「ムーンライト計画」として、再生可能エネルギーや省エネルギーに関する技術開発に多額の公的資金注9)を拠出してきた。長期戦略はアピールの場でもあるため、こうした貢献が、現在世界中で進展する太陽光発電の普及につながっていることもわが国の貢献として踏まえたうえで、革新的技術開発への貢献を中心とする成長戦略としての長期戦略を策定することが期待される。

(2)国民および投資家へのメッセージを明確に打ち出していること
 各国の長期戦略は単に「国連気候変動枠組み条約事務局に提出する宿題」ではない。提出済みの長期戦略をみると、国民あるいは投資家に向けた「メッセージ」であることがわかる。例えばドイツの長期戦略には「Energiewende」という言葉が32回登場し、政府がこれまで国民と共有してきたエネルギー転換政策そのものであることが強く伝わる書き方になっている。なお、COP23の会期中に、ドイツ環境省が行った長期戦略に関するサイドイベントにおいて、ドイツ環境省次官(写真1右から2番目)は「必要なのは、今後40~50年間をかけて、社会を再構築することであり、長期戦略の目的は、そのために、投資家に2050年に向けてのシグナルを出すこと」と述べている。
 また、英国の場合は、戦略の冒頭部分に英国の排出削減のアプローチの二つの指針として「1.国内削減の達成は、英国の納税者、消費者および企業に対して、可能な限り低い費用でこれを行う。2.この移行による英国の社会的および経済的利益を最大化する」と明記している。前項で書いた投資環境の整備に加えて、国民・企業に対して政策の在り方を明示している。温室効果ガス削減の手法は複数あるが、削減コストが安い対策から実施して、目標を達成するのに要するコストを可能な限り低減するのは、政府の当然の義務である。しかし、様々な施策を実施する中でクライテリアがみえなくなることも起こりがちであるため、政策の在り方を明示したものと考えられる。
 長期戦略の最大のステークホルダーは国民・企業であるという前提に立ち、明確なメッセージを伝える場として、戦略を活用しているといえる。

写真1/ドイツ環境省のサイドイベントの様子(筆者撮影)

写真1/ドイツ環境省のサイドイベントの様子(筆者撮影)

(3)柔軟な見直しを確保していること
 長期戦略は何度も繰り返し回すPDCAのP(Plan)の部分だといえる。細部にこだわり完璧なものを目指すよりも、方向性を示し、PDCAに誠実に取り組み、状況をみながら柔軟にアップデートしていくことが重要であり、各国もこの点を強調している(図2)。

図2/各国の長期戦略における、モニタリングや柔軟なアップデートに関する記述(出典:電力中央研究所 上野貴弘氏作成注10))

図2/各国の長期戦略における、モニタリングや柔軟なアップデートに関する記述
(出典:電力中央研究所 上野貴弘氏作成注10))

 そもそもパリ協定自体が5年毎のグローバルストックテイクで全体の進捗を把握し、各国は「貢献」を再提出するというPDCAの仕組みをとっている。
 重要なのは、PDCAの仕組み、特に評価手法や改善に向けた制度設計であり、この点を各国とも意識していることに留意すべきであろう。

まとめ

 本稿では各国の長期戦略を概観するにとどめたが、引き続き、わが国は長期戦略においてどのようなメッセージを出すべきなのか、あるいは政策の方向性についても考察をしていきたいと思う。
 今年の夏は世界全体が記録的な猛暑に襲われ、また、本年10月にはIPCCの1.5℃レポートがリリースされる。より野心的な戦略を提出することを求める気運が高まることが想定されるが、日本に求められる貢献、日本が持つべき戦略を冷静に議論すべきであろう。

注1)
外務省によるパリ協定(仮訳文) https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000151860.pdf
第4条19項すべての締約国は、各国の異なる事情に照らした共通に有しているが差異のある責任及び各国の能力を考慮しつつ、第2条の規定に留意して、長期的な温室効果ガスの低排出型の発展のための戦略を作成し、及び通報するよう努力すべきである。
注2)
COP21決定パラグラフ35
注3)
https://unfccc.int/process/the-paris-agreement/long-term-strategies
注4)
UNEP "TheEmissionsGapReport2017"
https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/22070/EGR_2017.pdf
注5)
わが国の地球温暖化対策計画でも「(2050年80%削減は)従来の取り組みの延長では実現が困難」であるとし、「革新的技術の開発・普及などイノベーションによる解決を最大限追及」としている。
注6)
ミッション・イノベーションウェブサイト
http://mission-innovation.net/
外務省安倍総理によるCOP21首脳会合出席
https://www.mofa.go.jp/mofaj/ic/ch/page4_001600.html
注7)
我が国の産業技術に関する研究開発活動の動向─主要指標と調査データ─第17.3版(ダイジェスト)平成30年2⽉経済産業省
注8)
http://www.iea.org/publications/freepublications/publication/EnergyTechnologyRDD2017Overview.pdf
注9)
一般財団法人高度情報科学技術研究機構によれば、1992年までにサンシャイン計画に4,400億円、ムーンライト計画に1,400億円、地球環境技術開発に150億円を投じ(中略)、1993年に上記の三つの計画・体制を一体化し「ニューサンシャイン計画」を発足させた。この計画の実行に必要な研究開発費は、1993年から2020年の間で総額1兆5,500億円(1年当たり平均約550億円)と見込まれている、とある。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=01-05-02-01
注10)
なお、坂本将吾・上野貴弘(2018)「長期低排出発展戦略の項目・構成の比較」『電力経済研究』No.65,145~162頁は、各国の長期戦略で何が述べられているか、その項目や構成を分析したものであり、今後わが国が長期戦略を策定するにあたって示唆に富む内容となっている。


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