日本文明とエネルギー(6)

位置エネルギーの都市づくり ―秀吉の太閤下水ー 


NPO法人 日本水フォーラム 代表理事


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難攻不落の上町台地

 秀吉は大坂の上町台地に天下統一の大坂城を建築した。戦国時代、上町台地は大坂の湿地帯に突き出ていた。湿地に囲まれた台地は、難攻不落である。何しろ湿地では、大勢の兵隊を乗せた大船は動けない。小舟で近寄ってくる兵隊も、上陸する際には沼地に足をとられて身動きできない。
 石山本願寺が信長に対して11年間も上町台地で立てこもって負けなかった理由はこの地形にあった。(図-1)は21世紀の大阪の地形図である。南北に突き出ているのが上町台地ある。戦国時代、その上町台地の周辺の低平地は、大阪湾と河内湾の湿地帯に囲まれていた。


図-1:デジタル標高地形図(大阪)
出典:国土地理院

 難攻不落の城はある弱みを持っている。それは「水」である。飲み水だけではない。汚水の排水も問題となる。
 城には何千人という将兵たちが長期間立てこもることとなる。その立てこもりで問題となるのは飲み水である。米は何年間も保管できる。しかし、水は何年間分も保管はできない。飲み水がなくなれば1週間で城は落ちる。
 大坂城は上町台地の先端にある。山から流れ出てくる川や沢はない。台地の周辺に水があるが、その水は大坂湾から逆流してくる塩水だ。飲める水ではない。
 いったいその時の飲み水はどうしたのか?

上町台地の工事現場

 2016年の春、関西の水道技術者の講演で上町台地の水道協会関西支部会館に行った。講演で上町台地と難攻不落の大阪城の話をしたところ、会員からこの会館建設時のエピソードを教えてもらった。
 関西支部会館の建設時、地下を掘削してビルの基礎工事をしていた。土台の掘削工事の翌日の朝、現場に行ったら地下が水でいっぱいになっていたので驚いた、というエピソードであった。その写真を送ってもらったのが(写真-1)である。明らかに上町台地は地下水が豊富なのだ。


写真-1:上町台地 水道協会関西支部ビル建設現場の地下水 2009年3月

 上町台地の南の四天王寺方面から、台地の先端に向かって地下水流が流れ込んでいる。この地下水さえあれば飲み水に苦労することはない。井戸を掘れば、籠城した兵士たちの飲み水は確保される。
 石山本願寺の宗徒は、11年間も上町台地に立てこもって信長と戦った。その石山本願寺宗徒を支えたのが、上町台地の位置エネルギーが運んでくる地下水であった。
 上町台地には地下水が豊富であった。この位置エネルギーの地下水に恵まれた上町台地を、さらに強固にしたのが豊臣秀吉であった。

上町台地の太閤下水

 長期の籠城戦で困るのが水であるが、飲み水ともう一つ困るのが排水である。生きている人間は必ず排泄する。一カ所の囲われた場所で多くの人間が生活するときには、排泄物をスムーズに処理しなければならない。当時の排泄物の処理は、ともかくスムーズに流し去ることである。この上町台地ではこの排泄が実にスムーズに行われた。
 豊臣秀吉は1583年から大坂城建設を開始した。それと同時に大坂の都市づくりにも着手した。
 秀吉の大坂の街つくりの特長は下水道だった。秀吉は上町台地の位置エネルギーを利用して、排泄物をスムーズに流下させる下水道を建設した。「太閤下水」と呼ばれる日本最初の本格的な下水道であった。
 その下水道は上町台地の地形の理にかなっていた。そのため、400年たった21世紀の現在も、大阪市下水道局はこの太閤下水を21世紀の今も現役として使用している。(写真-2)が太閤下水である。
 大坂の下水路は、西の大坂湾と東の大阪平野の湿地帯に流れ下っていった。その下水路から放出される汚水のバクテリアはプランクトンを繁殖させた。プランクトンは小魚を育み、小魚は大きな魚や鳥の餌となった。
 上町台地の重力の位置エネルギー利用した太閤下水によって食物連鎖が形成され、大坂湾や河内湿地は、大坂の人々に海や川の幸を提供していった。
 幕府が江戸に移ってからも、豊かな海産物に恵まれた大坂は、食道楽の大坂として独特の文化を生み、繁栄していった。


写真-2:大坂 太閤下水
出典:大阪市下水道局

 ポンプを使わない重力の位置エネルギーを利用した水の自然流下の街づくり。これは21世紀の東日本大地震で仙台市民を救った伊達政宗の街つくりに結びついていく。未来文明のエネルギーでは、再びこの重力の位置エネルギーが指針となっていく。