IEA勤務の思い出(4)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 「その1」で書いたように、国際機関勤務には様々な不安があったが、結果的に任期3年のところをIEA側の要請で1年延長し、4年間勤務することになった。「IEA勤務の思い出」を結ぶにあたって、「国際機関勤務の心得」じみたことについて思うところを記したい。

 第1に国際機関はマルチカルチャーな組織であり、日本の組織のような以心伝心は通用しないということだ。私が在籍した当時、事務局長は英国人、フランス人、事務局次長は米国人、直属上司の局長はフランス人、オランダ人、直属の部下は米国人、フィンランド人、ドイツ人、フランス人、同僚の課長は米国人、トルコ人、ドイツ人、オーストラリア人だった。マルチカルチャーな組織で働く場合、自分に意見がある場合、はっきりと伝えることが不可欠だ。国際機関事務局内では色々なドラフトが毎日のようにメールで飛び交うことになる。何も反応しなければコメントなしと見なされ、そのうちコメント依頼も来なくなる。大事だと思うドラフトについては、サマリーだけでも目を通し、思うところをメールでコメントしておかねばならない。手間はかかるが、自分が存在することを示すための大事な心得だ。メールでコメントする際は、簡潔に結論を先に書かねばならない。日本で時に見られるように、「ああでもない、こうでもない」と議論を左右させたあげく、結論をうやむやにするようなメッセージは読まれない。

 第2に日本人のハンディを克服するためにはハードワークが必要ということだ。上記のように国際機関内では大量のドキュメントを読まねばならない。また自分でドラフトしなければならないことも多い。私のように帰国子女でもなく、留学経験もない者にとっては高いハードルだった。特に私が担当した国別審査では、3人のデスクオフィサーが年間6本の国別審査報告書を作成するため、3人から次々に各章のドラフトが送られてくる。これを読んでコメントや修正意見を出すためには、ウィークデーだけではとても足りなかった。このため、週末のどちらか1日、しばしば2日ともオフィスに出勤して、たまったドキュメントを読むことが常だった。デスクオフィサーも事務局内のコメント→審査団メンバーへの送付→被審査国へのドラフト送付というタイムスケジュールの元で動いている。自分のところでドラフトを滞留させるわけにはいかなかったのだ。ノンネイティブの悲しさで、大量の英文をさっと斜め読みし、すばやくコメントすることはできない。畢竟、眦を決して、読み込むことが必要だった。

 第3に同僚、部下に対する敬意と思いやりが必要という点だ。これは日本の組織も国際機関も変わるところはない。オブラートに包まずに、はっきりとコメントすることは必要だが、相手の顔を潰すような物言いは避けなければならない。私が在籍した期間中、あるいはその前後でも、強面で、部下を皆のいる前で罵倒したり、部下のドラフトに辛辣なコメントを加える局長、課長がいた。しかしこうした人々は例外なく部下から嫌われ、組織の中で浮いた存在になっていった。IEAに来る人は、それぞれエネルギー、環境問題の専門家としてプライドを持った人々である。私が部下のドラフトにコメントをする場合、まず相手の作業を褒めてから、改善点を指摘するよう心がけた。日本人の場合、コミュニケーションギャップによって相手を傷つけるリスクがある。着任早々、国別審査報告書のプレスリリースの表現をめぐってプレス担当官と何度かやり取りをしている中で、彼女が出張前で非常に多忙だったこともあり、突然、相手がキレて泣き出してしまって、途方にくれたことがある。以来、相手を傷つけたと思った際は、長文のメールを送って「肩を揉む」よう心がけた。このような時のメールは、若干長すぎるくらいでも良い。

 第4に加盟国との関係を重視することだ。何といっても加盟国はお客様であり、株主である。私の属する長期協力局の作業は、長期協力問題常設作業部会(SLT: Standing Group for Long-Term Cooperation)という委員会に報告されることになるが、私はSLTの事務局担当でもあった。このため、SLT議長、副議長国の米国、オランダ、日本はもとより、各SLT代表との良好な関係に心がけた。特に国別審査は被審査国からの協力が不可欠であり、国別審査プロセスに批判的な国も含めて、委員会時のみならず電話、メールでの密なコミュニケーションに努めた。

 第5に国際機関勤務をする時は、国際機関職員になり切らねばならないということだ。日本政府から派遣されているとはいっても、日本政府の代弁者になるわけにはいかない。日本の国別審査の際には、日本政府から修正意見が出ても、他国の審査との整合性や、過去の対日審査との継続性の観点から、これを却下したこともあった。事務局内で信頼を勝ち取るためにも、特定国の利害を代表しているような印象を与えることは厳に慎まねばならない。

 以上、私の経験を踏まえ、国際機関勤務の心得じみたことを綴ってきたが、日本人はもっと国際機関で活躍すべきだと強く思う。世界には100近くの国際機関があり、プロフェッショナルな職員が3万人近くいるといわれているが、日本人職員の数は300人未満だという。多くの場合、日本は経済大国として4分の1近くの拠出金を出しているはずだ。日本の資金的貢献に比して、1%以下という人的貢献は余りにも低く、勿体無いことだと思う。

 日本人の数の少なさは英語力とも関係するのかもしれない。特に最近、海外に留学する日本人の数が減っているという。私の勤務する英国でも90年代にはオックスフォード、ケンブリッジ、インペリアルカレッジ、UCL等、どこでも多数の日本人学生がいたが、今や中国、韓国人留学生に数の面で完全に凌駕されている。TOEFLの成績も韓国70位、中国102位に比して日本は137位と、カメルーン、クウェート並みである。現在、日本政府は成長戦略の柱の一つとして国際展開戦略を掲げ、グローバル人材の育成を目指しているが、英語で世界と戦える人材を育成し、国際機関に派遣することは、グローバル人材育成・確保の上でも非常に大きなドライバーになるはずだ。しかし、かつてのように日本出身であれば、多少英語力に問題があっても採用してくれるという時代ではない。日本政府から国際機関に人を派遣する場合は、できれば若いときに国際機関に出向させ、その後、関係ある分野での経験を積ませ、ゆくゆくは幹部職員として再度派遣するといった戦略的な人事ローテーションを組むことも必要だろう。

 インディペンデントな人材として、国際機関で長年頑張っている日本人スタッフと比べれば、私の4年間の経験などは些細なものに過ぎない。それでも私にとっては忘れられない思い出であり、その時に培った人脈は大事な財産である。私に「内々定通知」をしてくれたトルコ出身のファティ・ビロルIEA首席エコノミストは17年来の友人だし、米国出身のジョナサン・パーシング米エネルギー省次官補代理はIEAでの同僚課長として、その後、気候変動交渉の交渉官として仕事を一緒にした。外国の国際機関職員は多くの場合、国際機関経験を一つのステップとして、色々なキャリアを渡り歩く。このため、色々な場で昔の同僚に出くわすことも多い。IEA alumni のネットワークは幅広い。

 この原稿を書いている最中に、先日、出席したIEAのワークショップのインプットを踏まえた報告書のドラフトが回ってきた。事務局を卒業してから7年近くだが、私とIEAのお付き合いはまだ続いている。「昔取った杵柄」で早速読むことにしよう。 

私が責任監修したEnergy Policies of IEA Countries 2004 Review。全体で540ページに及ぶ大部の報告書。私も100ページ近く執筆した。
過去4年間の国別審査の傾向を国横断的に分析したCross-Country Overview。
私が自分で執筆した愛着ある章。
              

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