いま決める前に


Policy study group for electric power industry reform

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 2月8日、第12回電力システム改革専門委員会が開催され、報告書案がとりまとめられた。同委員会における議論については、以前の記事で、政権交代を機に一旦立ち止まってこれまでの議論を検証してみたらどうかと指摘した。基幹インフラである電力システムの将来像を左右するにしては、これまでの議論はかなり雑な印象があったし、綱渡りが続いている電力需給の正常化がまずは最優先な状況の中で、急いで取り纏めなくてはならない議論には思えなかったこともある。

バイアスの中での議論は本来危険である

 加えて、今回の議論は社会全体に大きなバイアスのかかった中で進められた。心理学の分野で、リスク認知バイアスと呼ばれているものである。人には、身近な利用しやすい事例だけに頼って判断してしまう、知的ショートカット(mental shortcuts)と呼ばれる傾向がある。この傾向故に、大災害直後の政策決定は、直前で起こった災害を他のリスクよりも必要以上に過大評価してしまい、不合理なものになりやすい。

 前政権は、東日本大震災、原発事故、計画停電の記憶が生々しい中、原発ゼロ政策を打ち出した。まさにこの政策を議論する総合資源エネルギー調査会基本問題委員会において、委員であった金本良嗣政策研究大学院大学教授がこのリスク認知バイアスを警告したにもかかわらず、である。そして、政権交代後の新政権は、原発ゼロ政策について、リアリティがないとして早々に見直しを表明した。しかし、電力システム改革については、このまま踏襲する方針のようである。

電力システム改革は前政権を踏襲~民主主義のコストか?

これについて、2月13日付の日本経済新聞朝刊は、次のように報じている。

 早くから茂木敏充経産相の腹は固まっていたようだ。民主党政権で電力改革を導いた仙谷由人元官房長官と自民党政調会長の時から接触。「あれだけの事故を起こしても安倍政権は安全な原発を再稼働する。電力が何もしないのはあり得ない」。経産省幹部は茂木氏の心中をこう推し量る。
 「懸念があるからいま決められないということでは困る」。経産省が開いた1月30日の電事連との懇談会。茂木氏は電力各社の首脳に協力を迫った。その少し前にはエネルギー政策に影響力を持つ甘利明経済再生相と会い、甘利氏は「好きなようにやればいい」ともらしたという。電事連の外堀はほぼ埋まった。

 記事から想像するに、政府は、原発の再稼動と電力システム改革をバーターと考えているようだ。政府に世論に不人気な原発再稼動の取り組みを求めるのであれば、システム改革くらいには協力しろ、ということだ。事故当事者である東京電力以外の電力会社にとってみれば、自分たちの落ち度で原発が止まっているわけではないのに、バーターと言われても腑に落ちないと思うが、一度バイアスのかかった世論はなかなか変わらないということだろうか。今回の政府の姿勢を見ていると、BSEとかダイオキシンとか環境ホルモンが一時期問題視されたときのことが思い出される。その際も、マスコミが過度にリスクを煽り、バイアスがかかった世論を意識した政府が、後から振り返れば過剰なコストをかけて政策対応をした。政府が公約として掲げるデフレ脱却のためにも原発再稼動は重要であり、電力システム改革は、その理解を得るための「民主主義のコスト」との思いなのかもしれない。

 ただ、少なくとも、政府が電力システム改革断行を指向するのであれば、原発再稼動は前提になる。政府が考えるのとは逆の意味でもバーターと言うことだ。過去の記事でも数回指摘したが、需給がタイトな中で、つまりバッファーが乏しい中で、長年機能していたシステムを大きく変えるのは、電気に限らずリスクが大きい。体力が弱っている時に手術はできないのと同じことだ。これを、「プロなら何とかしろ」などというのは無責任であるし、「需給がタイトなら電気料金を上げて、需要を抑制すればよい」とは、学者は言えても、政治家はとても口に出せないだろう。