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リスク・コミュニケーションと不安の増幅メカニズムについて


東京工業大学大学院・研究員(非常勤)、千葉商科大学大学院・客員教授、コンサルタント(運用リスク管理システム)


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1.はじめに

 最近のニュースの中にリスク・コミュニケーション(リスク情報伝達)の視点から注目した事例がある。それは「イタリアにおいて複数の地震学者が、地震に対する警告の失敗により有罪判決を受けた」との報道(2012年10月)である。
 報道によると『2009年4月当時、イタリア中部ラクイラで続いていた微震のリスクに関し、大地震発生6日前に専門家たちが「危険はない」と公表。住民が逃げ遅れるなどの結果、死者309人を出す甚大な被害を招いたとして、2011年5月に専門家たちが起訴された。訴えられたのは、自然災害リスクを評価する政府市民保護局の委員会メンバーだった著名地震学者、地球物理学研究機関のトップ、同局幹部ら7人である。彼らは住民に対して(大地震のリスクを十分に)事前に警告しなかったとして過失致死罪で起訴され、ラクイラ地裁は2012年10月22日、全員に禁錮6年の有罪判決を下した。』との内容である注1) 。 
 この裁判は地震学者の予測があたったか、はずれたか、が判決の争点だったと誤解される傾向がある。内容を確認すると、専門家(リスク管理者の一部)から一般市民への情報伝達方法、専門家と一般市民とのリスクに関する対話のあり方が問われた事例だったとみることができる。
 本稿では、共著論文『西山昇・今田高俊, 2012,「ゼロリスク幻想と安全神話のゆらぎ--東日本大震災と福島原子力発電所事故を通じた日本人のリスク意識の変化」View & Vision(千葉商科大学経済研究所)、No.34: 57-64』をベースにイタリアの事例を参考に、日本の一般市民のリスク意識とリスク・コミュニケーション(リスク情報伝達)のあり方を考えてみたい。

2.東日本大震災(2011年3月11日)を通じた日本人のリスク意識の変化

 イタリアでの事例から得られる教訓は、人命に関わる情報は(生命を守る方向へ)より保守的かつ慎重に伝達されるべきであり、また科学者が自らの専門分野の研究に基づきリスクを予測する場合、一般の(専門家でない)市民に対するリスク情報の伝わり方、及び、その反応を意識する必要がある、ということである。
 今回のイタリアでの事例は、地震学者を含むリスク管理者の判断を信頼して行動したラクイラの市民が命を失い、彼らの一般市民からの信頼が失墜したことであった。当初から行政側がラクイラの一般市民にパニックを起こさせないための情報提供を目論んでいたこと、また地震学者たちが、アナウンスされる内容を事前に知らなかったとの情報もある注2)
 翻って2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに発生した福島第一原子力発電所事故(以下「福島原発事故」)以来、クローズアップされた放射性物質という目に見えないリスクは、一般市民(日本人)の「リスク意識」を目覚めさせ、政府、企業、専門家(以下、原発管理者)に対する「信頼」を著しく低下させた。福島原発事故以前は、原発管理者に対する絶対に近い信頼があった。それは、われわれ一般市民が専門的な内容を完全に理解することはなくとも、事故が起きないことに対して(仮に何か発生したとしても)原発管理者が責任を持って適切に対応できることを信じていたからである。

3.ゼロリスク幻想と安全神話のゆらぎ

 ここでは、日本人が持つゼロリスク要求が、信頼を基本としたゼロリスク幻想を生み、その結果、安全神話を成立させた、との見方をとる。ゼロリスク幻想とは、日本的コミュニケーションの特徴のひとつと考えられるゼロリスク要求が生み出した状態である。
 一般市民と原発管理者と間の信頼の高さはコミュニケーション方法に影響する。情報の受け手(一般市民)は、ゼロリスクの情報の提供を望み(ゼロリスク要求)、情報の出し手(原発管理者)は受け手のゼロリスク(安全)期待に応える。これがお互いの信頼が高い状態でのゼロリスク幻想である。
 日本人にとってお互いに不満・不安の声を出さないことが相手への信頼を示す一つのコミュニケーション方法である。日本人の美徳でもあり、世界から称賛されたストレートに不満を表明しない我慢強さが土台となっている。その特性は同時にリスク情報の相互共有を含めたリスクリテラシー(対応力)の醸成を妨げることにつながってきた面もある。
 イタリアのラクイラのケースは、リスク情報のガバナンス(統治)に失敗したケースと捉えることができる。リスクに対する認識の仕方や態度(怒り・不安・苦痛)は社会的、心理的、文化的な変数によって異なり、技術的な対応だけでは処理できないことを象徴している注3)
 リスクを定義するに際しては、一般的に損害(damage)を被る確率と損害の程度の積とする考えが採用されている。そして損害の程度を減少させる(人が危険に曝されることを減らす)ことおよび損害を被る確率を減少させること(対応能力を増やすこと)によってリスク管理をおこなうのが一般的である。
 確率的な考えを除外し、安全(ゼロリスク)か、安全でない(100%リスク)かの二者択一を重視するリスク・コミュニケーション(リスク情報伝達)は、信頼が高ければ安全神話へとつながり、信頼が低くなると不安の増大へとつながる。

注1)
科学者らに求刑上回る禁錮6年=地震警告失敗で有罪判決-伊地裁、時事通信(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201210/2012102300016
注2)
ラクイラ地震裁判をめぐって (http://togetter.com/li/394477
注3)
今田高俊, 2011,「リスク社会の到来と課題-ソリューション研究の視点から」, 東京工業大学大学院社会理工学研究科『リスクソリューションに関する体系的研究』2010年度報告書: 2-12.