続:GX戦略は経済成長をもたらすか(その4)
GX-ETSの運用上の課題


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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本稿「続・GX戦略は経済成功をもたらすか」シリーズでは(その2)「ETSは機能しているのか」、(その3)「一物多価の矛盾をもたらすETS」において、ETSという排出削減のための政策ツールには、炭素価格の下流部門への転嫁の仕組みが欠けているため、上流産業に一方的なコスト負担を強い、結果として削減投資を阻害し生産の縮小・移転を招くリスクがあること、またパリ協定の下で各国・地域が、期限を決めて最終的に排出ゼロを目指すといった、野心的な目標を政治的に掲げて、対策を進めていく際に、限界削減費用の水準・構造が大きく異なる産業・事業者が、同じETS制度の中に混在し、同時並行的に削減対策に取り組むことになると、必然的に、社会の中に大きく水準の違う複数の炭素価格が混在することになり、本来「一物一価」を前提として経済合理的に削減を進めるべきETSという政策ツールに適合しなくなることについて論じてきた。

次善策として選択されたEU-ETS

そもそもいち早くEU-ETSを導入・運用したEUにおいても、実は炭素価格の導入検討の当初は、よりシンプルな炭素価格制度である炭素税の導入が検討されていたという経緯があったと聞く。炭素税方式の炭素価格の場合、事業者が排出する1トンのCO2に対して、政府が決めた税率で一律の炭素価格が課される。この場合、産業バリューチェーンの上流産業の生産活動に伴うCO2排出に課される税金を、消費税のように製品価格を通して下流産業に順次転嫁していき、最終的には消費者に負担してもらうような、価格転嫁の仕組みをはじめから組み込むことができる*1。政府はその炭素税収入を、排出削減対策の財源に充てることで、排出削減に向けた企業の研究開発や投資を、確実に後押しすることも可能となる。またその税収を財源として使い、削減対策の難易度に応じて産業分野別に、それぞれに適した(異なる削減費用を前提とした)柔軟な対策支援政策をとっていくことで、パリ協定の目標に向けて、メリハリのついた(異なる水準の炭素価格をカバーする)効果的な対策を、同時並行で進めていくことも可能であったはずである。

しかしEUが実際に2005年に導入した炭素価格制度は、EU-ETSであった。それは20か国を超える主権国家の「バーチャルな連邦」であるEUの場合、貿易や通貨といった経済運営の主権こそEUに統合されているものの、国家の予算編成・執行権とその財源としての徴税権は、各構成国それぞれの「主権」のもとでの専管事項と位置付けられており、従って「EU共通課税・徴税」制度の導入を前提とした炭素税の導入について、EU加盟国は合意することができなかったのである。

その結果、課税・徴税プロセスを伴わない、市場メカニズムによる「Cap&Trade型排出権取引制度=ETS」が、EU全体をカバーする共通炭素価格制度の「次善策」として導入されたのであった。そうして導入されたEU-ETSは、カバーする産業分野が広く、多くの事業者が対象になったこともあり、排出枠の設定(細分化された個別生産プロセスごとのベンチマーク方式)や、無償配賦の仕組みなど、極めて複雑な制度となり、運用段階で様々な課題や矛盾に直面することになった。2005年の運用開始後にもEU-ETSは、排出枠の設定強度を決めていく複雑な政治的駆け引きに翻弄される中で、排出権価格の乱高下や投機的動きへの様々な対策、ひいては近年の炭素国境調整(CBAM)導入など、追加・修正を繰り返し、パッチワークを当て続けおり、ますます複雑な制度に変容してきている。

それでも世界に広がるETS

それでもこの先行するEUの「Cap&Trade型ETS」は、世界的に気候変動対策のひな型となっており、右にならえとばかりに、韓国、中国、ニュージーランド、米国(カリフォルニア州)などで導入が進められてきた。そしていよいよ日本でも、今年度からGX-ETSが政府の進めるGX戦略の中核施策として本格的に導入・運用開始されたわけである。徴税権の問題を抱えるEUと違い、日本を含むこうした国々が自国の中で閉じた炭素価格を導入する場合、実はETS方式にこだわる必要はなく、よりシンプルで下流への価格転嫁が可能な炭素税方式を採用するという選択肢もあったはずであった。しかし現実には、どの国の政府にとっても増税は政治的な鬼門である。排出権の取引という経済的手法の背後に炭素価格が隠れている上に、直接的に炭素価格を負担するのが事業者に限定されて、消費者へ炭素価格を転嫁する仕組みが組み込まれていないETS方式は、炭素税より導入にむけた政治的なハードルが相対的に低く、EUという先行事例もあって、こちらが選択されているのだろう。

日本政府はGX-ETSの制度設計にあたって、複数の審議会・研究会を立ち上げ、先行するEUが直面した課題や問題点について研究し、種々議論を行って、必要な対策を制度設計の初期段階から織り込んでいる。例えば気候変動対策とは無関係な景気変動や、国際情勢変化に伴う企業の活動量の変動による排出枠の見直し、削減対策投資の予見性を損なう炭素価格変動を一定範囲に収めるための上下限価格の設定、炭素価格負担による国際競争力の低下への補正措置(リーケージ対策)などである。しかしこれらはEU-ETSで既に発生した問題と、それに対してEUで導入されてきた対策を参考にして、制度設計の当初からそうした問題を回避するために織り込まれたものである。従ってこれらは、本稿で指摘してきたETS制度自身が抱える本質的な問題(価格転嫁の仕組みの欠如、一物多価の炭素価格)を解決するものではない。

それでは日本が今般導入したGX-ETSが、実際に運用されていく上で、企業の投資意欲を妨げて、EUでおきているような脱工業化、生産活動の国外移転が進むことを回避するために、どのような手当てをしていく必要があるのか?以下本稿ではその点についていくつかの論点について考察していきたい。

異なる炭素価格が混在する排出権市場

先ず政府はこのGX-ETSの仕組み中に、現状で政府が2030年まで想定している上下限価格の範囲を大きく超えて、大幅に高い削減費用をかけた対策に、実際に取り組んでいる事業者が参画していることを正しく認識する必要がある。その上で、そうした事業者の進めている、困難かつ野心的な削減対策を阻害しないようにETSの運用を図っていく必要がある。例えば前稿で紹介したように、鉄鋼(高炉)セクターの場合、現状で1トンのCO2排出削減に数万円単位のコストがかかるような削減対策に、既に着手している。そこで実現した「削減実績量」が持つ環境価値を、環境プレミアムとして「削減実績量証書」と共に鋼材製品に価格転嫁して、需要家企業のScope3排出削減に活用してもらうという「GXスチール」のビジネスモデルを既に展開しはじめている*2。仮にこの鉄鋼事業者が、そうした高コストの削減対策によって、GX-ETSで自社に課された排出枠を少しでも余らせることができたとして、その余剰枠をGX-ETSの排出権市場で売却して換金するということは、はたして何を意味するのだろうか? あるいはそうした高コストの削減対策を、リスクをとって進めている事業者が、その削減効果が実際に発現する前に、GX-ETSにおける排出枠不足に陥り(生産拡大や操業トラブルによる原単位悪化など予期せぬ排出増加はあり得る事態である)、市場から排出権の購入を余儀なくされる事態が発生すると、高コストな削減対策を進めていく経営体力を奪うことになりはしないだろうか?それでは、こうした高コストの削減対策を進めている鉄鋼のようなHard to Abate事業者による、GX-ETS市場での排出権の売却・購入それぞれのケースについて、現実に起こりうる事態を考察してみよう。

余剰排出権を売却するケース

先ず鉄鋼のように、非常に高いコストの削減対策を進めている企業が、その結果生じた「削減実績量」に由来して排出量を減らし、ETSの余剰排出権を持った場合である。現行の制度では、GX-ETSの上下限価格の範囲である約2~5千円/t-CO2の範囲内の価格で、市場にこの余剰枠を「売却」することができるはずである。しかしその鉄鋼会社が、そこで売却する余剰排出権を生み出すには、削減量1トン当たり数万円の削減コストがかかっているのである。通常のビジネスであれば、数万円のコストをかけて創出した「商品=排出権」を、数千円で売却するという極端なダンピング販売行為は、事業損失につながり、自然体では考えにくいだろう。自らの削減対策に数万円のコストがかかることが分かっており、さらに排出枠が将来的に漸減していくことが予見されるETS制度の中で、数万円の費用をかけて捻出した自社の「削減実績量」を余剰排出権として、今3~5千円で市場に売却するという経営判断をすることはまずないのではないだろうか。

ただしこのケースでは、余剰排出権が、高コストな削減対策の結果生み出される「削減実績量」に由来すると仮定しているので、理想的な状況では、それにかかった費用は環境プレミアムを乗せる形でGXスチールの製品価格に転嫁し、顧客から回収することが期待される。そうすると、削減にかかった費用は価格転嫁で回収されるので、同じ削減量に対して、顧客からの環境プレミアム回収と、余剰排出権の売却という2重の収入を得ることが可能になる。この場合、かかったコストは価格転嫁で回収済なので、余剰排出権を2~5千円の安い価格で売却することは合理的な経営判断になる。ただしその場合、同一の削減対策プロジェクトに由来する削減量から、2重の収入を得ることになり、一方削減量の価値は、鋼材需要家のScope3排出の削減と、排出権を購入した事業者のScope1排出の削減にダブルカウントして使われることになる。このダブルカウントの是非については十分な議論が必要だし、炭素価格の二重課金・徴収の正当性も問われることになるだろう。

一方この、GXスチールで使われている特定の削減対策由来の「削減実績量」は、特定の生産プロセスにおいて、削減対策実施の前後でどれだけ排出削減が実現したかという「プロジェクト単位」の削減実績であり、ETSの排出枠として管理される全社の排出量・削減量とは、必ずしも直結していない。全社全体の排出量や削減量は、実行された対策プロジェクトの境界の外にある生産プロセス全体の稼働状況や、全社の生産量に左右されるからである。削減対策プロジェクトを実施して、GXスチールの財源となる「削減実績量」を捻出することができたとしても、同じ事業者の全社の排出量は、減ることもあれば、他の要因によって増えてしまうこともあり、その結果ETSの排出権が余剰になる場合も、不足する場合も想定しうるのである。

たとえば仮に同じ事業者が、削減プロジェクトと関係なく、生産量の低下によって余剰排出枠を持った場合はどうなるのか?その場合、事業者は政府からベンチマークに基づき無償で配賦された「原価ゼロ」の排出枠を余らせて、市場で2~5千円/t-CO2の価格で売却することが可能になる。このケースでは、操業トラブルや景気の低迷で、生産量が減っていることを想定しているので、無償配賦されて余った排出枠の売却益は、苦しい経営を助ける干天の慈雨となるだろう。しかし同じ事業者が同時に、特定の削減プロジェクトから生み出された「削減実績量」を使って、GXスチールを顧客に販売していた場合はどうなるか?GXスチールの環境価値として、需要家にCO2削減実績1トンあたり数万円のプレミアム=炭素価格の負担を求める一方で、同じ鉄鋼事業者が排出権市場で、余剰となった排出枠を3~5千円/t-CO2で売却していると知ったら、その鋼材需要家は複雑な気持ちにならないだろうか。

不足排出権を購入するケース

次にこの事業者がETSの排出枠を超過して排出してしまい、排出権を購入して埋め合わせる必要が出た場合について考察してみよう。

GX-ETSに参画している鉄鋼事業者が、ベンチマークに基づいて政府から無償配賦された排出枠を超えて排出してしまったとき(それは生産量が想定を上回った場合もあれば、操業トラブルや天災等の不測の事態による設備異常などで排出原単位が悪化して起きる場合も想定できる)、排出権市場から2~5千/tCO2の排出権を買うことで、GX-ETS上の排出枠順守義務を履行するという行為は、外からどうみえるだろうか?

この場合、排出枠の不足が生じている鉄鋼事業者であっても、削減プロジェクト単位でコストをかけて生み出した「削減実績量」を生み出すことは可能であり、それを原資としてGXスチールの販売活動を行っていくことになる。その場合、GXスチールの需要家に対しては、「削減実績量」1トン当たり数万円の環境プレミアム(=炭素価格)の負担をお願いする一方で、GX-ETS市場では、自らの超過排出量をオフセットするために2~5千円の安価な排出権を購入して充当することになる。鉄鋼会社自身は2~5千円の炭素価格しか負担しない中で、鋼材需要家には一桁高い炭素価格の負担をお願いするという営業活動のハードルは、論理的にも倫理的にも高いと言わざるを得ないだろう。もし鋼材需要家がこぞって、1トンのCO2削減価値は同じであるべきだとして、GX-ETSの市場水準の炭素価格しかGXスチールのプレミアムとして認められないと主張すれば、GXスチールによる削減投資回収のビジネスモデルは崩れてしまい、鉄鋼における高コストな削減投資自体が進められなくなってしまう。

このケースでは、GX-ETS市場で決まる2~5千円/t-CO2の炭素価格水準よりも、はるかに高い炭素価格を負うことを覚悟の上で、そうした削減プロジェクトを自主的に進めている鉄鋼事業者が、GX-ETSの排出権を購入して、さらなる費用負担をしなければならなくなるような事態を招くようにETSの排出枠が設定されていることの当否自体が、そもそも問われることになるのかもしれない。

一物多価値の炭素価格併存への対処試案

以上みてきたように、GX-ETSが想定している排出権価格(炭素価格)を遥かに上回るコストの削減対策しか当面持ち合わせていない鉄鋼やセメント、化学などのHard to Abate事業者が、2~5千円/t-CO2でできる削減対策の普及を前提にしたGX-ETS市場の中で、排出枠の売買に参加していく場合、この複数の炭素価格の併存がもたらす市場の混乱要因をきちんと整理し、GX-ETS市場、GXスチール市場それぞれの参加者が、十分に納得できるような運用上の建付けを、来年度に実際の排出権取引が始まるまでに用意していく必要がある。

この問題は構造的に非常に複雑であり、日本のGX戦略全体の中で、GX-ETSという制度に何を期待するのかにもかかわってくる問題である。一方で、既にGX-ETSの制度自体が大方固まっている中で、今からどのような対応ができるのか、筆者もきれいな解決策を持ち合わせているわけではないが、少なくとも以下3つの論点について、関係者で整理・検討していく必要があるのではないだろうか(以下の例は、既にGX-ETSの排出権市場価格とは異なる炭素価格に向き合って、先行的な制度設計に取り組んできた鉄鋼のGXスチールのケースを例に記述しているが、この論点は鉄鋼に限らず、セメント・化学・他の素材など、いわゆるHard to Abate産業に共通する課題であり、今後市場に投入されるであろうGX製品の市場開拓でも同様の配慮・検討が必要になってくる)。

今後の検討課題

①
GX-ETSの排出権市場で取引される排出枠は、売り手事業者のScope1排出の削減量であり、それを買い手事業者のScope1排出枠の順守に使うもので、排出権価格は買い手事業者のScope1排出量を1トンオフセットするための炭素価格になる。一方GXスチールに転嫁される「削減実績量」に由来した環境価値(=削減コスト)は、GXスチールの生産者のScope1排出量の削減に由来するものの、それに対価を払って利用する買い手の側は、自社のScope1ではなくScope3排出の削減としてカウントすることになる。この2つの環境価値(炭素価格)の、由来と用途の違いについて明確化し、なぜ複数の炭素価格が併存する中でGX戦略を前に進めていくかについて、政府がきちんそれを説明していく必要がある。そしてGX-ETSという、本来は単一炭素価格を前提としている制度の中で、この複数の炭素価格がもつそれぞれの意味と役割を明確に区別し、混用や誤用、ダブルカウントを避けるためのルールを策定し、関係者に周知徹底する必要があるのではないだろうか。

②
政府のGX戦略の一環として既に、GX-ETSの想定炭素価格を大きく上回る削減対策を進めている鉄鋼などのHard to Abate事業者が、その過程で生み出した「削減実績量」は、それを財源としてGXスチールを販売する際に、高い炭素価格(環境プレミアム)をつけて販売しなければならない削減量であり、GX-ETSの排出権市場で取引される(安価な)排出権とは明確に区別し、例えばGX-ETSの中でカウントされる余剰排出枠の量から控除して、二重カウントを回避するべきではないか(鉄鋼がGXスチールで使っている「削減実績量」は、業界ガイドラインに基づき明確に定義されており、またその販売に当たってはその透明性、信頼性を担保するために、第三者認証を受けて管理された量であり、GX-ETSの排出量アカウンティングに組み込むことも可能ではないか)。

③
政府のGX戦略の一環として既に、GX-ETSの想定炭素価格を大きく上回る削減対策を進めている鉄鋼などの事業者が、「削減実績量」を財源にしたGXスチールに削減コストを回収するために環境プレミアムを転嫁して販売する活動を進めている中で、何らかの理由でGX-ETS制度の下で排出枠が不足してしまい、排出権を市場で購入しなければならなくなる事態が生じた場合、不足する排出量(購入しなければならない排出権)から、高いコストをかけて創出された「削減実績量」分を控除して、削減活動のための経営資源を奪いかねない追加的なETS炭素価格負担を減免するということを考えてもよいのではないか。

エピローグ

ETSという、単一の炭素価格を前提に経済的手法を通じコストミニマムで一定の排出削減を行う制度の中に、全く水準の異なる炭素価格に対面している事業セクター・事業者が複数併存するということの矛盾は容易に対応できない課題である。これがパリ協定の中で各国が削減政策を進めていく際に、各国が「野心的な」削減目標を掲げざるを得ない中で、ETSという仕組みは産業の現実と衝突し、機能不全を起こしてしまうのである。

そのようなことを思案していたら、ETSが削減対策としてパリ協定と親和しないもう一つの問題があることに気が付いた。パリ協定では、参加各国が、自国の国情や発展段階などに応じて、自主的に国家削減貢献目標(NDC)を掲げ、その進捗を5年ごとに検証・評価(stock-take)していくということになっている。またパリ協定も、その親条約である国連気候変動枠組み条約でも、参加各国間、特に先進国と途上国の間の共通だが差異ある責任原則(Common But Differentiated Responsibility : CBDR)が規定されており、自主的に掲げる削減目標に先進国、途上国間で差があることが容認されている。例えば先進国は軒並み2050年カーボンニュートラルの目標を掲げているが、中国は2060年、インドは2070年に達成するとして、10~20年の時差をもって目標が掲げられている(ちなみにこの2か国だけで世界の人口88億人の3割を超えているので、世界が2050年カーボンニュートラルにコミットしているというのは実態に合わない)。

このように国や地域によって、掲げる目標の強度が大きく異なることが是認されているパリ協定の中で、各国が産業部門の削減対策をETSを活用して進めると、何が起こるだろうか。ETSは、政府が国内事業者に排出上限枠を設定し、その順守を求める制度であるが、上述したようにパリ協定の野心的な目標を達成しようとすると、高い炭素価格を設定して、削減費用がかなり高いHrad to Abate事業者にも厳しい削減枠を課していく必要がある。これがまさにEUで起きていることなのであるが、ETSは自国(地域)内の産業に共通の炭素価格を課すための仕組みであり、他国・地域の炭素価格との調和をとることは想定されていない。

今や巨大な産業国となった中国、そしてこれから産業国をめざすインドが、今後ETSのような制度を導入・強化して、排出削減に取り組むとしても、全く異なる炭素価格の排出権市場ができてくることは間違いないだろう。世界全体で見たとき、全く異なる炭素価格が併存する時代が来るのである。そうすると、達成目標に10~20年という産業の投資サイクル1循環分のギャップがある中で、ETSに縛られる先進国産業の大規模な生産移転を誘発し、産業の空洞化がすすむのは避けられなくなるのではないだろうか?このように、国や地域の間で、特に先進国と新興国の間で、全く異なる水準の炭素価格が併存するということは、初めからパリ協定のNDC方式が構造的に内包している問題であり、世界全体をカバーするETS制度でもできない限り、このことによって各国独自のETS制度は翻弄されていくことになるのではないだろうか*3?

脚注

*1
「仕向け地主義炭素税・試案」土井丈朗
https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=2859
*2
「削減実績量証書」方式のGXスチールの他に、生産プロセスの排出量を特定鋼材に片寄せ(allocation)し、鋼材のカーボンフットプトンと(CFP)自体を引き下げた「アロケーション方式」のGXスチールも並行して規格化し、販売を開始している。
*3
この炭素価格の差によって産業の移転と空洞化が起きる事態を回避する策として、鉄鋼・化学・セメントなどの多排出産業セクターを各国の気候政策から切り離し、世界共通の削減目標を掲げて、技術移転を促進していくという、いわゆる「協力的セクターアプローチ」を。パリ協定ができる前の2010年前後に日本が提唱していたのであるが、パリ協定成立の寿ぎの前に、そのアイディアは雲散霧消してしまった経緯がある。もしかしたら今こそ、世界はセクターアプローチを再考するべき時なのかもしれない。

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