安田喜憲先生を偲んで


皇學館大学教育学部教授

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日本の環境考古学の提唱者であり、幅広い分野で活躍された安田喜憲氏が逝去されました。皇学館大学の深草先生から追悼文をいただきました。

安田先生がお亡くなりになりまして、大変なショックでした。まだまだこれからお教えいただきたいことが山ほどありましたので。

もとより、私は先生から直接教えを受けたわけではありません。私事にわたって恐縮ですが、私は、もともと学部・大学院時代はフランス史を専攻しておりました。とりわけ「17世紀の危機」に強い関心があり、フランス語の文献を中心に研究しておりました(これまでの一応の成果は『17世紀の危機とフランス経済史』現代図書、2021年)。

大学院を終了したのち、愛知県の高等学校に「世界史」の教員として採用されました。 愛知教育大学附属高等学校で9年間教鞭をとったのち、縁あって三重県伊勢市にある皇學館大学に奉職させていただきました。そこでは小学校の社会科教育や中・高等学校の歴史教育などの講義を担当しました。高等学校の教員時代に異文化理解や国際理解教育に強い関心をもち、何とか1冊にまとめてみたいと思っておりました(それは『社会科教育の国際化課題』国書刊行会、1995年、として刊行されました)。

さあ、問題はこれからです。研究者なら誰でもあることと思いますが、一応の成果を出してしまった後、次に何をするかで悩みました。前掲『国際化課題』出版の少し前から、高等学校社会科は大きく編成替えされ、「地理歴史科」と「公民科」に分かれました。前者の教育法を担当することになった私は、地理と歴史を統合するような理論は考え出せないであろうか、それも、これまた以前から関心のあった地球環境問題とリンクさせるような理論を提起できないかと、いろいろ思案しましたが、なかなか良い答えは見つかりませんでした。そんなある日、たしか大学の何かの会議に出席し、たまたま地理学を担当している外山秀一氏と同席した折に、私の悩みを聞いてもらいました。そしたら即座に、私が求めているものがあると言われて、驚きました。それが安田先生の研究だったのです。実は、その時まで知らなかったのですが、外山氏は、安田先生を代表とする共同研究メンバーの1人であり、日本を代表するプラントオパール研究の専門家でありました。そんなわけで、外山氏から安田先生の書物を多数教えていただき、むさぼるように読みました。 

最初に読んだ本は、『日本文化の風土』(朝倉書店、1992年)で、早稲田大学で開催された日本西洋史学会へ向かう新幹線の中でした。大隈講堂のある芝生で、昼食を食べながらも読んでいたことを懐かしく思い出します。内容がそれまで私が薄ぼんやりと考えてきたことに非常にフィットしたものであり、また、私が学生時代から座右の書としており、私の世界史理論でも大きな比重を占める、和辻哲郎の『風土』が正当に評価されておりました。さらに驚いたことは、先に触れた異文化理解のための根本理論で、文化人類学から学んだ文化相対主義が、ここでも歴史の相対主義という形で主張されていたことでした。が、何よりも衝撃的であったのは、私が17世紀危機論の研究から感じ取っていた、気候と文明の相関が、はるかに広い全人類学的パースペクティヴの下で展開されていることでした。しかもそれが森林破壊という環境問題と深くかかわっている。これこそ私が探し求めているものだと思いました。気候と文明の相関こそ地理と歴史の統一的理解に欠かせないのではないか。この思いが身体中を駆け巡ったことを覚えております。

その後、安田先生の多数の書物に触れながら、きっと他の世界史教育の研究者もこの安田先生の研究を基に、論文を発表するに違いない。ならば私が最初に書こうと意気込みました。そうして書き上げたのが「世界史教育における環境問題の取り扱い」(『皇学館大学紀要』第34輯、1995年)で、これがこの分野の最初の論文になったのです。その後もいくつかの論文を発表し、1冊にまとめようと思いました。その時、安田先生が、「環境考古学」という全く新しい分野を創造されたひそみに倣って、私は「環境世界史学」を提唱したいと思い、書名を『環境世界史学序説』(国書刊行会、2001年)としました。感謝の気持ちを込めて、ただちに先生にお送りしました。しばらくたって先生から私信をいただき、「…一気に拝読しました。新しい環境世界史学の提唱の本として、高く評価できると思います。後世に残る1冊となるでしょう」とのお言葉をいただき、それこそ天にも昇る気持ちでした。そのあと「…私自身もたくさんのこと、この本から学びました。学問は相乗作用があることを実感しました」ともありました。さらにうれしいことに、拙著の書評も書いてくださいました(『比較文明』18、2002年)。

ところで、2019年9月のことです。新潟大で日本社会科教育学会が開かれた折に、安田先生をお呼びし、講演をしていただきました。その時初めて先生にお会いし、まるで昔からの知己のように親しく接していただき、すばらしい時間を過ごすことができました。これも本当に良い思い出となっております。

さて、最後になりますが、私の「環境世界史学」あるいは広く「世界史」の観点から、先生の膨大な業績に何を学ぶべきでしょうか、簡潔ではありますが、まとめてみたいと思います。先生の最大の武器は「花粉分析」です。これによって、第1に、これまで民族と民族との抗争や人間の階級闘争あるいは社会政治体制を軸とし、理解し解釈された人類の歴史と文明の盛衰を、森の生態系を軸として解釈し直されました。とりわけマルクス史観は、歴史を発展させる原動力として人間が生産を通じて自然に働きかけるときの自然の見方・感じ方・価値観が、各民族によって大きく異なり、そうした自然観の相違が、生産や生活様式のあり方を大きく規定していることを見落としたとされます。

これと関わって第2に、ヨーロッパ中心史観批判が、展開されます。すなわち、これまで人類の文明は、メソポタミアの麦作農業地帯で発祥したと考えられてきました。つまりパンを食べミルクを飲みチーズを食する民族と彼らの神々こそが絶対の正義とされ、トウモロコシやイモやコメを食べる民族には未開・野蛮の烙印を押しつけたのです。しかし、マヤやインカの文明、イースター島やポリネシアの諸文明、長江文明もパンを食べる文明に劣らないほどの古代文明を発展させていたことが明らかとなり、今後これらの文明を正当に復権することが必要で、それはまた世界の平和に大きく貢献できると主張されたのです。

第3に、気候変動を基底に据えたグローバルな世界史の構想です。かつて伊東俊太郎氏は、人類史上の画期を、人類革命→農業革命→都市革命→精神革命→科学革命という「5つの革命」として提唱されましたが、安田先生はこの画期のそれぞれが、気候変動とりわけ気候の寒冷化と深くかかわっていると指摘されました。まさに「気候と文明の相関」です。1つだけ例を示せば、紀元前1200年頃から気候の寒冷化が進み、人々の飢えや苦しみが増大し、それを救おうとイスラエルでは旧約の預言者が、ギリシアではタレスに始まる哲学が、インドではウパニシャッドから始まってブッダが、そして中国では孔子を中心とする諸子百家が出現しました。まさしく「精神革命」の名に値するものです。

第4に、歴史上における森林破壊が文明の衰亡をもたらしたいくつかの事例を学び、それを今後の地球環境保全のための教訓とするものです。これこそ先生の「花粉分析」が最も威力を発揮する領域です。これにはミケーネ文明がひとつの例として挙げられます。ペロポネソス半島の豊富な森林資源によって、交易船や軍船をつくって地中海の覇者となったミケーネは、農耕・牧畜によって森を破壊し、青銅器・陶器産業のためにも大量の薪を消費することとなりました。経済発展にともなって人口が急増し、それがまた新たな農耕地の開拓と建築材や燃料としての森林の伐採を引き起こし、そして先の紀元前1200年頃から気候の寒冷化が追い打ちをかけ、ミケーネ社会は衰退に追い込まれたのでした。

規模を大きくすれば、現代の地球環境の行く末を垣間見るような気がしてなりません。ただし現在は気候の温暖化が深刻ですが。最後に、先生は日本や東洋に大きな期待を抱いておられました。すなわち、いまや山を崇拝し、森里海の生命の水の循環系を守る日本人の世界観を、世界の人々が絶賛する時代となり、そのような日本人の歴史と伝統文化を守り、さらに東洋の歴史と伝統文化を未来に伝えていくことが、これからの文明の在り方を指し示す重要な要因となるだろう、と。

もしも先生の研究と出会っていなければ、これまでの私の研究の半分はなかっただろうと確信します。本当に出会いの不思議さを感じます。先生、本当にありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。