子々孫々抱える高レベル放射性廃棄物は共有できる課題のはず


フリージャーナリスト

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 2024年5月、原子力発電から生じる高レベル放射性廃棄物、いわゆる「核のごみ」の処分地選定をめぐって佐賀県玄海町が「文献調査」を受け入れました。5月1日に経済産業省が文献調査の実施を申し入れ、10日に脇山伸太郎町長が受け入れを表明、そして、16日には玄海町が国に対し正式に受け入れを伝える文書を送付といったニュースが日々流れます。一連のニュースが地元以外の一般の人々にどう映り、どのように受けとめられているのかは、なかなか知ることができません。なぜなら、原子力に関することはなかなか話題にすることができないからです。いつからそうなったのでしょうか。昔からずっとそうだったのでしょうか。

震災後の分断と沈黙

 恥ずかしながら、私は東日本大震災までは原子力発電の問題にほとんど関心を持っていませんでした。だから、長年その技術開発に携わり原子力を推進してきた方々にも、原子力利用に慎重で長年その危険性を訴えてきた方々にも、偉そうなことは何も言えません。ただ、震災後に感じているのは、原子力に関してまともに話をすることができない空気です。官邸前の反原発デモで「原発要らない!」と叫ぶ熱気には、どこかついて行けない疎外感がありました。一方、推進側の集会では、「原子力なしではこの国は立ち行かぬ」という再稼働のシュプレヒコールに違和感を抱きました。
 おそらく、どちら側にも与する気になれない多くの一般市民は、不毛な二項対立に嫌気がさし、何を言っても叩かれそうな雰囲気の中で沈黙しているのではないでしょうか。つい最近も、海外で活動する友人のアーティストが、「日本では原発の話をすると一瞬で場の空気が変わり、社会的に難しい立場になるので誰も話したがらない、面倒臭い、見たくない、という印象を強く受けた」と言っていました。
 原子力利用をめぐる意見は人によって様々でしょう。だからこそ、多様な意見を喧々諤々交わした上で、何らかの落としどころや今後の方向性を見出していく必要があるのではないでしょうか。国民の多くが沈黙したまま、国のエネルギー政策が動かなかったり動いたりすることが健全であるとは思えません。

「核のごみ」をどうすればいいのか?

 遅まきながら、原子力発電から生じる「核のごみ」の問題を初めて知ったのも震災がきっかけでした。震災直後の2011年4月、当時勤めていた英字新聞社の仕事でスウェーデン大使館のイベントに参加し、映画『100,000年後の安全』注1)を観ました。フィンランドの放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」を扱ったドキュメンタリーです。原子力発電所で生じる放射性廃棄物の処分には10万年という途方もない時間を考える必要があるということを知って絶望的な気持ちになりました。そもそも発電すれば廃棄物が出るという基本的な認識が欠けていた自分を恥じますが、放射性廃棄物の処分方法や処分地を決めないまま、各国とも見切り発車で原子力発電を開始したことに愕然とします。
 では、日本ではどうなっているのでしょうか。2年後の2013年9月、日本での「核のごみ」問題に迫るドキュメンタリー映画『ザ・サイト』を観る機会に恵まれました注2)。監督の稲垣美穂子さんが、大学在学中の2006年から、北海道の幌延深地層研究センターの地下坑道や文献調査への応募を表明した後で白紙撤回した滋賀県余呉町など、日本各地に足を運び、原子力関連の専門家のみならず、地元の農家、町議会議員、元町長など、様々な立場の人々に取材した力作です。
 渋谷で開催された上映会に参加してみると、定員40人ほどのミニシアターは満席でした。上映後のディスカッションには、原子力の専門家、経済産業省資源エネルギー庁や原子力発電環境整備機構(NUMO)の担当幹部、反原発側から原子力資料情報室の代表が参加し、会場の観客との質疑応答が活発に行われました。一般市民と専門家、行政官など、立場も価値観も異なる人々が、険悪にならず意見交換する、こんな建設的な場があることに私はいたく感銘を受けました。おめでたいのかもしれません。しかし、原子力と言えば、「賛成」または「反対」のいずれかで団結する集会しか知らなかった身に、その場は新鮮に映りました。
 そうか。既に発生してしまい、今さら「なかった」ことにできない「核のごみ」をどうすればいいのか?という話であれば、原子力利用への賛否によらず、共通の課題として話し合えるのではないか。妙な話ですが、この絶望的な物質の中に微かな希望を感じたのです。

中学生サミットへの同行取材

 自分の中に芽生えたそんな意識が引き寄せたご縁か、「どうする!?核のごみ」をテーマに中学生が話し合う「中学生サミット」という企画に出会い、2017年1月(2016年度)から同行取材するようになりました。中学生サミットは、学術フォーラム「多価値化の世紀と原子力」(代表:澤田哲生元東工大助教)の主催で、2011年から毎年1回開催されてきました。これまでに、福島、新潟、福井、島根、佐賀といった原発立地地域、また、東京、愛知、京都といった電力消費地、さらに原子力発電所がない沖縄まで、全国各地の生徒たちが参加しています。
 中学生サミットの特徴の一つは、生徒たちが現地に足を運び、原子力関連施設を自分の目で見ることです。当初の数回は、岐阜県にあった瑞浪超深地層研究所の地下500mの研究坑道に入りました。やがて、生徒たちの疑問や関心の広がりとともに、六ヶ所村や福井県での開催へと発展し、2022年には文献調査が進行中であった北海道の神恵内村を訪ね、村の様子や泊原子力発電所を見学しました。
 もう一つの特徴は、生徒たちの対話です。「核のごみ」をどうしたらいいのか?という難しいテーマについて話し合うのは簡単なことではなく、大人が期待するような立派な議論ばかりではありません。しかし、一見おとなしくて盛り上がらない様子だった年も、近寄ってみると、隣の席の生徒同士ささやくような声で、「俺は都会人が責任を持って東京とか神奈川に埋めるべきだと思うんだけどなあ」「土地がないと思います」などと大胆な意見を交わしていました。ある年には「どうしても最終処分地を選べないならAIに決めてもらうしかない」という意見を述べた生徒もいましたが、周りの生徒たちは、「何言ってんだ、おまえは!」などと却下したりせず、その考えに耳を傾けました。周りに圧倒されてなかなか発言できないように見える生徒も、人の話を一生懸命聞きながら頭の中では「核のごみ」の刺激がぐるぐる回っていることが感じられます。そんな話し合いがいかにも楽しそうでした注3)


2017年12月(2017年度)中学生サミットより
岐阜県・瑞浪超深地層研究所で当時は見学できた(現在は埋め戻し工事が完了)地下500mの研究坑道 ※筆者撮影

「核のごみ」はスイッチを入れる

 大人同士ではめったに「核のごみ」を話題にすることはありません。誰もそんな話はしたくないのです。いつぞや帰省した折に近況を話す中で、「核のごみ」の話をしたら、老母は「なんであんたがそんなことを考えなきゃいかんの?」としみじみ不思議そうな顔をしました。そう思うのも無理はありません。世の中にはほかにも切実な問題がたくさんあります。
 ただ、「原子力」という言葉を発しただけでその場が凍りつくのではなく、子々孫々のために、この難儀な「核のごみ」をどうにかするために、ニュースを見て自分はどう思うか、普通に話ができるようになるだけでも、もっと風通しの良い世の中になるのではないでしょうか。意見が違っていても、すぐには答えが出なくても、ああでもないこうでもないと知恵を出し合うことは、本当は楽しいのではないか? 中学生サミットに参加している生徒たちを見ていると羨ましくなります。
 しかも、生徒たちの中には、「核のごみ」の問題を知ってから、自分なりに考え続け、調べ続け、それがその後の進路につながっているケースもあります。どうも「核のごみ」という厄介なモノには人の脳のどこかにスイッチを入れる働きがあるような気がします。科学的探究や技術開発という、限りなく人間的な営みが行き着いた先の一つが「核のごみ」に凝縮されているからでしょうか。こんなモノが残るのなら原子力なんて使うべきではなかったのかもしれません。原子力だけではありません。AIも宇宙開発も自動運転も遺伝子組み換えもゲノム編集も、どんな技術にも光と影があるのでしょう。そんな科学や技術とこれからどう向き合い、どういう社会を築いていけばいいのでしょうか。
 いずれにしても、未来の世代に引き継いでいかざるを得ない「核のごみ」をどうすればいいのか?堂々巡りしがちな考えを整理し直しながら、中学生だけでなく、沈黙している周りの人たちの様々な意見を聞いてみたいと思っています。

注1)
映画『100000年後の安全』公式サイト
https://www.uplink.co.jp/100000/introduction.php
注2)
井内千穂(2014)「原発から出る『核のごみ』をどうすればいいのか?」
『The Japan Times for WOMEN』Vol.4, 32-35, ジャパンタイムズ
注3)
過去の「中学生サミット」について詳細は以下をご参照ください。
「中学生サミット2017その① 瑞浪超深地層研究所見学」
https://chihoyorozu.hatenablog.com/entry/2017/01/15/225748
「中学生サミット2018その① 六ヶ所村へ」
https://chihoyorozu.hatenablog.com/entry/2019/02/08/124445
井内千穂(2023)「神恵内村に足を運んだZ世代の対話より」日本原子力学会誌ATOMOΣ Vol.65(2) , 113-117
https://doi.org/10.3327/jaesjb.65.2_113