処理水の海洋放出と同時進行で


フリージャーナリスト

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 福島第一原子力発電所の廃炉現場で溜まり続ける処理水の海洋放出がいよいよ始まろうとしており、国内外で注目が高まっています。結果的に有害物質が環境中に広がった事故や公害と違って、一国の政府が衆目環視の中で意図して「水」を流す特殊な状況だと言えます。国内では、どちらかと言えば風評被害への懸念が強調されていますが、韓国の世論調査では国民の8割近くが海や水産物への汚染を心配していると報じられています。韓国では人々が「実害」を信じるような情報が流布しているのでしょうか。

2020年2月、コロナ禍直前に福島県・楢葉町から見た太平洋(筆者撮影)

風評被害への懺悔

 風評被害とは、「間違った情報や意図的なデマだけでなく、根拠の不確かな噂(うわさ)やあいまいな情報をきっかけに生じる経済的損害」だという定義注1)を目にしました。根拠が確かな情報であれば風評ではなく実害です。根拠の有無はどうすればわかるのでしょう?
 思えば、私自身もかつて様々な風評被害に加担しました。1996年のO157食中毒事件で原因だと報じられたカイワレ大根をその後何年も買わなくなり、2000年代初めのBSE騒動の折は輸入が再開されてからも米国産牛肉を避け続けました。理由は単純です。当時幼かった息子たちのためにも、科学的な根拠あろうがなかろうが、不安な食品は避けるのが無難だと思ったからです。不安な食品を抜きにしても日々の食卓には困らず、そうした消費行動が習慣となり定着しました。そもそも何を買い、何を買わないかは買い手の自由でしょう。その集積が風評被害となります。だからこそ、商品の評判と買い手の自由な判断に影響を与えるような情報提供者の責任は重いと思います。


放射線量だけの問題ではない

 震災後、福島県産農産物は風評被害に苦しんできましたが、「実害だ」と言う人たちもいました。その論拠はだいたい二つです。「福島の放射能汚染は公式情報よりひどい」、そして、「極めて低い放射線量でも健康被害がある」という話でした。そういう話を信じれば「実害」なのです。逆に、公式の線量マップやモニタリングポストの数字を信頼し、低線量被ばくの健康影響は専門家でも意見が分かれる微妙な話なのだと知れば、「実害」まではなさそうだと思えます。どちらの論拠も「どうなのかわからない」一般市民の多くは、漠然とした不安のまま福島県産の農産物を買い控えることで風評被害に加担し、その習慣が固定化する年月を経たのではないでしょうか。私もそうなりかけていました。
 やがて、「どうなのかわからない」ことに耐えられず、とにかく福島に行ってみました。もう震災から5年も経っていて、今ごろ何度か足を運んだぐらいで一体何がわかるものかと言われればその通りです。それでも、事故当時より放射線量が下がっていることがわかりましたし、それにもかかわらず浜通りは5年経っても無人地帯であることを、衝撃をもって体感しました。一方で、福島第一原子力発電所からわずか15kmの緑豊かな里山でたくましく生きる人々に出会い、人の暮らしは放射線量だけの問題ではないと感じました。美味しい郷土料理をいただくと、農産物の放射性物質の基準値とは何だろう?と考えさせられます。その後、中高生の福島研修に何度も同行取材する中で、福島県産の農産物がいかに厳しい検査を経て出荷されているかということも知りました。都内のスーパーに並ぶ福島県産のきゅうりや桃やあんぽ柿を今では抵抗なく買うようになっています。


漁業関係者はトリチウムのことをちゃんと知っている

 初めて廃炉現場に入った2017年、林立する巨大なタンクの中身が不気味でした。ALPSという装置の機能もよくわかりませんでしたが、東京電力の方の説明で、世界中の原子力関連施設からトリチウムを含んだ水が排出されているということを知りました。また、専門家の解説によれば、トリチウムは宇宙線によって大気中で常に生成され、地球上のどこにでも存在するということでした。そんなことも私は知らなかったのです。

 処理水の海洋放出が決定される前から、そして、決定されてからも、「科学的には安全とされても風評被害が懸念され、地元漁業者が猛反対」と繰り返し報じられ、漁業関係者と政府関係者が対峙している映像が流れます。こうしたニュースに接すると「漁師さんたちも、処理水に含まれるトリチウムが魚を汚染することを心配しているのだ。気の毒に」と思う人が多いでしょう。私もそう思っていました。しかし、そうではなく、漁業関係者のみなさんは当事者としてよく勉強しておられ、処理水が放出されても近海で獲れる魚に安全上の問題はないということをご存じで、むしろ、懸念しているのは「国民のトリチウムに関する理解の欠如」による風評被害であるという記事注2)を読んで自分の誤解に気がつきました。


漁業関係者と一般国民のコミュニケーションを

 漁業関係者と政府関係者だけで何度協議を重ねても平行線のようです。「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」という約束を反故にすることは許されないという記事注3)を読めば、読者は憤りを感じ、漁業関係者に同情するかもしれません。しかし、漁業関係者が懸念している風評被害に加担しそうな国民に自分も含まれているかもしれません。原子力文化財団の2022年度の世論調査注4)によれば、海洋放出について国民の理解が得られていないという回答が51.9%に上り、漁業を中心とした関係者の理解が得られるまでは処理水の海洋放出を行うべきでないという回答も42.3%ありました。このような両すくみの状況でこれからも先送りすべきなのでしょうか。

 「漁業関係者は処理水が科学的には人体や環境に影響がないということを知っている」と新聞記事やTVニュースでも明確に伝えてもらいたいと感じています。「風評被害を懸念」では伝わりません。その意味で、今年3月13日放送の日本テレビ「news zero」の中で櫻井翔さんの問いかけに対し「福島の魚はめちゃくちゃおいしいので」と語ったインタビューからは、福島の若い漁師さんの熱い思いが伝わってきます注5)。できれば、漁師さんたちの口から「処理水が海洋放出されても魚は大丈夫です。福島の魚は美味しいんです!」という話を直接聞き、沿岸漁業の現場を訪ねてみたいものです。漁業関係者と消費者がコミュニケーションを取れる場をつくれないものでしょうか。国の風評対策の一環として、そのような場をサポートしてもらえたらと思います。少なくとも、「風評被害を懸念」という報道がもたらす疑心暗鬼の誤解の連鎖が少しは収まるのではないでしょうか。また、流通関係の企業や消費者団体の自主企画として、政府関係者や漁業関係者と対話する試みがあれば、ぜひ参加したいと思います。


先送りせず同時進行で

 確かに、漁業関係者、消費者、そして国際社会の理解が得られているとはまだまだ言い難い状況です。しかし、どういう状態になれば、理解が得られたことになるのでしょうか。今のままで理解が進むとは思えません。少なくとも、科学的には安全とされるのであれば、海洋放出と同時進行で風評対策や「理解を得る」努力を続けていくほうが得策ではないでしょうか。処理水の海洋放出に際しては、透明性をもって科学的なデータを徹底的に公開し、海洋汚染が起こっていないこと、魚も大丈夫だということを示してほしいと思います。国際原子力機関(IAEA)の支援も得られるのは心強いことです。また、科学的な数値で確認するばかりでなく、直感を信じて、常磐沖の極上“座布団ヒラメ”をぜひ食べてみたいと思います。数年前に福島の里山で山菜を味わった時のように。そして、今も懸命な努力が続く廃炉について、どんなゴールを目指してどのように進めていくのか、これから原子力発電とどう向き合っていくのか、国民の一人として一緒に考えないわけにはいかないと心しています。同時進行で。


注1)
日本大百科全書(ニッポニカ) 「風評被害」
https://kotobank.jp/word/%E9%A2%A8%E8%A9%95%E8%A2%AB%E5%AE%B3-616014
注2)
漁業関係者が「処理水」の海洋放出に反対せざるをえない理由
https://synodos.jp/fukushima-report/22209/
注3)
反対署名25万4000人 処理水放出に「科学的に安全でも風評被害が出る」 東北地方の生協など集める
https://www.tokyo-np.co.jp/article/261631
注4)
原子力に関する世論調査 (2022 年度)調査結果
https://www.jaero.or.jp/data/01jigyou/pdf/tyousakenkyu2022/results_2022.pdf
注5)
迫る「海洋放出」…20歳漁師「福島の海」担う思い
https://www.ntv.co.jp/zero/do-suru/articles/55ulgopbzd0daeqx.html