戦争を防ぐにも遂行するにもエネルギーが必要だ

- 一連の脱化石燃料政策が、欧州の防衛力を麻痺させた -

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監訳 キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 訳 木村史子

本稿はマーク・P・ミルズ 2024.3.12「The Energy to Prevent and Prosecute Wars
A generation of anti-hydrocarbon policies has crippled Europe’s defense capabilities.
」を許可を得て邦訳したものである。

 ウクライナの戦争は、その原因、経過、結果についてどう考えるにせよ、激化の一途をたどっている。この避けることのできない事実は、ヨーロッパの多くの人々にある種の悟りをもたらした。2月下旬、パリで開かれた欧州首脳会議で、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は「これは欧州の戦争だ」と主張し、首脳たちにこう問いかけた「アメリカの有権者に私たちの未来を委ねるべきか?投票結果がどうであれ、答えはノーだ」。

 この宣言には解き明かすべきことがたくさんある。だがまずは、 集まった人々の頭にあったのは次のようなことに間違いないであろう。それは、もしマクロンの主張に重みがあるとすれば、英国のコメンテーター、ダニエル・ジョンソンが言うように、本当に必要なのは……ドイツの産業は手遅れになる前に、自動車製造から軍需品製造に、バターから銃に切り替えること、ということである。アメリカがウクライナに武器を供給しているのであれば、ヨーロッパもまた、武器製造に乗り出さねばならない、ということであろう。 

 しかし、そんなことが可能だろうか?

 戦争は人々の関心を集中させる。しかし、欧州の指導者たちが本当にすべての状況を把握しているのかどうかは、まだわからない。お金の問題はさておくとしても(軍事投資の規模を考えれば、脇に置くには多すぎるけれども)、より大きな課題は、ドイツが他のヨーロッパの国々同様、自らの産業空洞化(de-industrization)の過程にあるということだ。

 ドイツの長年にわたる脱化石燃料エネルギー政策は、高コストのエネルギーを生み出し、主要産業の衰退、さらには撤退の引き金となっている。機械の製造はエネルギー集約型であるだけでなく、特に化石燃料に依存しているからだ。20年前と比較して、ドイツの産業全体のエネルギーコストは約200%増となっている。特にドイツの産業用電気料金は、産業界(消費者ではなく)を保護する政策にもかかわらず上昇を続け、現在では20年前と比べて300%近くも高くなっている。これは、ウクライナ侵攻後のエネルギー需給構造の再編成によって引き起こされた最近の価格高騰から立ち直った後の話である。

 ヨーロッパのエネルギー価格高騰政策の影響は、ひとつの事実を見れば明らかだ:その事実とは、ヨーロッパ大陸の石油化学産業の生産量は、ドルではなくトン単位で過去20年間着実に減少し続け、現在では半世紀ぶりの低水準にまで落ち込んでいる、ということである。このことで、プラスチックストロー禁止論者は興奮するかもしれない。けれども現実の世界では、省エネ断熱材から風車の羽根、あらゆる医療・軍事製品に至るまで、文明が必要とするほぼすべてのものを生産するために、年間数億トンの石油化学製品が必要なのだ。ヨーロッパの現在のエネルギー路線が変わらなければ、ドイツは自動車も戦車も作れなくなるといっても過言ではない。

 国家が近代的なサービスを優先するために、「古い」エネルギー多消費産業を気軽に切り捨てたり、無視できるという幻想は、すべてのサービスが製造品と産業サプライチェーンの上に成り立っていることを認識していないことに起因する。エネルギー価格が安いときには、後者のコストは無視されている。また、石炭を使って鉄鋼を製造したり、天然ガスを使って肥料や高性能セラミック(装甲にも使われる)を製造したり、石油を使って自動車(その中には軍事用も含まれる)を動かしたりすることに対して、簡単で費用対効果の高い代替エネルギーがあるかのような錯覚は、規制や税によって一夜にして産業全体を再編成しようとするような甘すぎる提案から生じている。

 ゆっくりと沸騰する鍋の中の茹で蛙のことわざのように、誤ったエネルギー/産業政策がもたらす累積的なダメージは、明らかになるまで時間がかかる。しかし、今となっては明らかだ。20年にわたる脱化石燃料とグリーンエネルギーの推進は、ヨーロッパのエネルギーコストを上昇させた。そして、中国、ロシア、アメリカでは(まだ)そうなっていない。

 もちろん、ドイツのエネルギー政策の動機は誰もが知っている。それは二酸化炭素排出量の削減である。そして実際ドイツの排出量は、20年前と比較して約20%減少した。しかし、たった1年間で、中国による排出量の増加がドイツの(高価な)削減分をすべて帳消しにしてしまったことも注目に値する。

 高コストのエネルギー時代を作り出すことは、諸刃の剣である。既存の工業生産と新規の工業生産の両方を失わせるだけでなく、経済から資本を奪い、少なくとも軍事的な備えのために、他の場所で使うことができるはずの資本を奪ってしまうのだ。

 過去20年間、ドイツは「エネルギー転換」を達成するためにおよそ2兆ドル(おそらくそれ以上)を費やしてきた。この2兆ドルは2つに分けられる。まず、1兆ドル近くが費やされて風力発電と太陽光発電への補助金が支給され、送電網の規模は2倍近くに拡大された。だが総発電量は10%未満しか増加しなかった。その結果、ドイツの電気料金は3倍近くに跳ね上がり、ドイツ経済からさらに1兆ドルが失われた。

 経済用語で言えば、少しだけ生産するために多くの支出をすることは、生産性の低下である。生産性の低下は経済を疲弊させるだけでなく(対照的に、この時期の米国のGDPはドイツの3倍の速さで成長した)、貴重な資本をより生産的で重要な目的から遠ざけてしまうことにもなる。

 皮肉なことに、そしておそらく悲劇的なことに、浪費された2兆ドルは、ドイツのNATOへの公約に対する20年間の累積投資不足にほぼ等しい。さらに皮肉なことに、ドイツの財務大臣が昨年指摘したように、ドイツのエネルギー分野での愚かな投資は、安価なロシア産天然ガスを輸入することで可能になっていた面が大きい。

 一方、石油と天然ガスの輸出は、ロシア経済と武器供給のための主要な収入源であり続けている。西側諸国がロシアの燃料購入に制裁を課しても、この方程式を変えることはほとんどできなかった。それどころか、ロシアの販売はアジアにシフトした。しかも制裁措置のせいで、これらの燃料は割安で購入され、中国や他の買い手にとっては自国の産業に経済的利益をもたらしているのである。

 エネルギーと戦争は切っても切れない関係にある。戦争はエネルギーをめぐって行われ、戦争はエネルギーを大量消費する。ウクライナ紛争では石油が猛烈な勢いで消費され、二酸化炭素の排出量はドイツの削減量の半分以上を消し去っている。そして、低コストのエネルギーは、武器を製造する産業に燃料を供給するために不可欠なのだ。

 ドイツが学んだように、指導者たちが数年前に下した決断は今日、このように大きな結果をもたらした。一方、数年前の米国の決断は、液化天然ガス(LNG)の大規模な輸出インフラをもたらした。LNGは、ドイツがロシアのガスの大半を素早く代替できるようになった大きな理由である(バイデン政権がLNG輸出を “一時停止 “したことで、長期的な計画を必要とするLNG産業を脅かしている)。 一方、世界第2位のLNG供給国であるカタールは、輸出能力を拡大する計画を大幅に加速させると発表した。中東の歴史を考えれば、” 一体何が間違っているのだろう?” と考えるのが自然だろう。

 カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』には、多くの真理が述べられているがそのひとつとして次のことが書かれている。「戦争に関しては、最善の戦略は常に最強であることである」と。この格言の本質は経済力であり、それこそが国家が強力な軍隊を構築し、運用することを可能にする。安価で信頼できるエネルギーの大量供給なくして、強い経済を持つことは不可能である。ドイツ、イギリス、そしてヨーロッパの多くでは、この逆が起きている。つまり高価な政策によって化石燃料を使用しない「エネルギー転換」を推し進めているのだ。悲しいことに、ヨーロッパが経験した唯一の移行は、強さから弱さへの移行だった。米国がこの道をたどらないことを願うばかりである。