「外圧」と「愛国」が政策を動かす?

― 処理水騒動で考えたこと ―


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 東京電力福島第1原発の処理水放出は8月24日の開始から2カ月以上が経った。当初は一部の政治勢力や各メディア危険や反対の声をあげたが、今はほぼ沈黙した。「外圧」と「愛国」で世論が動き、おかしな反対論が言えない状況ができたためだ。福島事故以来、世論に萎縮してきたエネルギー関係者は、この変化を観察して今後の活動に活かすべきだ。

 筆者は放出1ヶ月の時点で、IEEIに9月28日付で「処理水問題、日本政府が予想外の奮闘でデマに対抗」という記事を書いた。状況はさらに複雑な変化を見せた。

処理水の安全を確かめるために、東京電力はその水で魚を飼育し影響を観察している。影響は出ていない。
出典:東京電力ホールディングス(株)

役人の使う「外圧」と「愛国」

 政府の役人の発想がわかる、自分の小さな思い出話を紹介しよう。

 15年以上前に中央官庁の高官を囲んだ勉強会に出席し、その後に酒盛りになった。そこで日本の政策は人の意見を聞きすぎ動けなくなるという話になった。その役人は酒が入っていたために気軽に答えた。「伝統的に役所では問題が大きくなる前に『外圧』と『愛国』を使います。明治維新以来、日本が大きく変わったのは、この二つの力です。国内調整は大変ですが、これを使うとスムーズに進みます」。

 「外圧」とは、国際機関やアメリカに、「日本で、ある政策を変えてほしい」と言ってもらうこと。「愛国」とは「日本のため」を強調すること。その際に、「日本に害をなす集団や外国がいて、この政策は彼らをやっつける」という状況を作ると効果があるという。「日本は保守が2割、革新が1割。この人たちの行動は予想できる。残り7割は政治なんてどうでもいいという人です。それが動けば変わります。この2つで動かすのです」とこの役人は言った。

 私は答えた。「そうかもしれません。けれども外国を使うのは人任せでおかしい。また、人々が動くと限りません。また動いても国民が暴走して止められなくなる場合がありますよ。昭和の戦争は、その極端な例です。そういう小手先の小細工で逃げないで、政策の中身で勝負し、国民にわかってもらう努力を政府にしてほしい」と私は意見を述べた。その高官は「そうですね」と言ったが、酒席で議論を深めないまま、次の話題になった。

中国の異様な攻撃が愛国心に火をつける

 この15年前のやりとりが、記憶から蘇った。この高官はすでに退官しているが、今回の処理水問題で日本政府は、事前に「外圧」と「愛国」を使った。そして途中から中国の介入でそれら2つの論点が中身を変えて、意味が大きくなった。

 事前準備で、日本政府は、「外圧」の点では、IAEA(国際原子力機関)や各国の支援を取り付けた。「愛国」の点では、「福島を助けよう」「食べて応援」など、協力を呼びかけた。政府に呼応して、国民レベルで、「処理水のデマを流すな」「日本の海産物を食べよう」キャンペーンが自発的に起こった。いずれの動きも、反対の騒ぎが、国内で起きにくい状況を作っていった。

 すると反対者や各メディアの報道姿勢も大きく変わった。放出前に、共産党、立憲民主党の一部議員などは、反対意見を垂れ流していた。朝日、毎日、東京新聞とテレビは、健康被害などのデマは流さなかったが、政府と東電に対する批判、反対派の意見を紙面に引用した。

 しかし放出直後に、その「外圧」と「愛国」に関係する新しい状況が起こった。中国政府による理不尽な日本産海産物の全面禁輸措置と、中国国民による大々的な対日批判や福島へのイタズラ電話などの迷惑行為が起きた。9月1日、野村哲郎農林水産相(当時)が「汚染水」と発言したことに対し、泉健太立憲民主党代表は「不適切だ」と批判。局面は変わった。

 中国による日本への攻撃で、処理水問題に「外交戦」という要素が加わった。世論の激昂を受けて、メディアは中国批判へと舵を切った。9月23日の朝日新聞は、『日中、勝者なき「外交戦」の先に 処理水問題、日本に求められること』という解説記事で、「国際世論を味方につけようとした中国外交の意図は、空振りだったと言える」と中国政府を批判し、日本国内の世論をまとめつつ、国際世論を味方につけるように指摘した。

 私はこの朝日新聞の記事は、同社のずるい方針転換だと思った。しかし彼らでも日本の世論の変化に対応せざるを得なくなった。中国政府も動きを止め、9月末から日本の批判をしなくなっている。ネットの情報だが、8月24日には中国のウェイボーというSNSに125万件も見られた「汚染水」という言葉は、10月に入ると5000件以下になったという。中国の対日世論工作は失敗した。

 日本がまとまったことで、問題は混乱を避けられた。もともと科学的知見で判断すれば、この処理水で健康被害が起きることはない。無意味な騒動だ。なぜもっと早くから、この対応ができなかったのかと残念に思う。

この成功の教訓を、他のエネルギー・原子力問題で

 この処理水問題を参考にして、エネルギー・原子力と世論の関係を考えてみよう。

 前回の処理水に関するコラムで、私はエネルギー・原子力問題をめぐる状況は変わりつつあり、関係者は一歩踏み出せと訴えた。そこから1ヶ月経ち、日本の大半の人は、エネルギー・原子力問題に落ち着いて向き合うようになっていると、確認できた。

 原子力の批判者やメディアの批判に、エネルギー・原子力政策は、2011年の東京電力の福島第1原発事故から引っ掻き回されてきたと、私は思う。もちろん批判の中には、これまでの政策の問題や事故について、建設的な意見はあった。しかしその大半は、ただ状況を混乱させる「反対のための反対」だった。福島原発事故で放出された放射性物質で、福島で生活をしても健康被害の懸念はほぼないのに、危険や恐怖を騒ぎ続けた。処理水の反対派はこれまで福島事故で騒いだ人たちと、ほぼ一緒だ。

 私はフリーの記者の立場から、エネルギー・原子力政策の正常化を訴えてきた。 エネルギーと原子力をめぐり関係者が、批判者の攻撃に沈黙し、言われっぱなしの状況へ歯がゆい思いをしてきた。関係者は、反対派を批判することをためらってきた。

 しかし今回の処理水騒動では、正しいことを関係者が主張し、何の問題も起きなかった。そして「外圧」と「愛国」という要素が加わり、日本人は処理水問題で一体になった。反対派はおかしなことを言えない状況になり、原子力をめぐる問題は一つ改善に向かった。

 「原子力は役立つ発電方法だ」「エネルギー政策はコストと効果を見極めよう」という根本の事実は変える必要はない。しかし、それを一工夫して、人々の心に響くものにすれば、次の課題も世論の支持、妨害者の萎縮で、解決できるように思う。日本のエネルギー・原子力問題で、人々の考えは変化している。その状況を生かし、課題を解決していくのだ。

 無理に小手先の小細工をする必要はないが、今回の処理水騒動の「外圧」と「愛国」のような、解決する鍵は、問題ごとにあるかもしれない。

 きれいごとだけではすまないほど、日本の原子力産業の衰退、そしてエネルギーシステムの混乱は深刻になっている。今動かなければ、本当にエネルギー・原子力産業は壊れてしまう。