IPCCの政治的アジェンダ

科学的評価機関かそれとも環境運動団体か?IPCCはどちらを選ぶのか

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監訳 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳 木村史子

本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア 「The Political Agenda of the IPCC
Scientific Assessment or Environmental Advocacy Group? Pick One
」を許可を得て邦訳したものである。

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、35年以上前に科学的評価プロセスを実施する機関として設立された。科学的評価は、政策決定者や一般市民が、何がわかっていて何について不確かなのか、また、論争や不確実性、根本的に何を知らないのかを明らかにする上で、多くの分野において極めて重要である。このような評価はまた、政策の選択肢を理解し、異なる選択がどのような結果をもたらすかを予測する助けにもなる。

 本ブログ「The Honest Broker」の常連読者であれば、私が最近のIPCC第6次評価報告書(AR6)について、私の専門分野において受け入れがたい数の誤りと欠落があること、そして最も極端な気候シナリオに過度に依存していることを問題視していることはご存知だろう。 今回はIPCCが自ら規定する政治的アジェンダ(検討課題)を取り上げ、IPCCは今分かれ道に立たされている、という点について論じてみたい。

 話を進める前に、私が 「IPCC」について語るとき、何を意味しているのかをはっきりさせておきたい。ある意味では、「これがIPCCだ」というものは存在しない。IPCCの評価プロセスには、3つの作業部会にまたがる何百人もの人々が参加し、幅広いトピックを扱う何十もの章を作成している。作業部会は互いにほとんど独立しており、同じ作業部会内の章であっても、他の章とはほとんど独立した形で執筆される。

 しかし別の視点から見れば、「IPCC」というものは確かに存在する。それは特に、そのリーダー層と最も熱心な参加者たちである。彼らは、共通の目的意識を持ち、共通の政治的アジェンダに包括的にコミットする、一種の気候変動問題における内輪のグループである。その中にはIPCCをキャリアの中心に据えている人もいる。彼らは、報告書の中で程度の差こそあれ政治的アジェンダを共有している。

 ではIPCC内部グループの政治的アジェンダとは何か。それは根本的な変革(transformational change)と呼ばれるものだ。

 IPCCは3月に統合報告書を発表した際、次のように述べている

…今、適切な行動をとることで、持続可能で公平な世界に不可欠な変革をもたらすことができる。

 この文章を、いかにも無難で中身のない流行語の羅列だと決めつけるのは簡単だろう。しかし、「根本的な変革」という概念は、気候に関する学術文献で広く用いられてきたものであり、IPCCは 「根本的な変革」の意味を明確に定義している。

 AR6第3作業部会報告書の中で、IPCCは、変革にはある種の技術から別の技術への単純な移行以上のものが含まれると次のように説明している(下記太字部分):

…移行には「発展の道筋を転換させ、エネルギー、交通、都市、その他のサブシステムを方向転換させるプロセス」(Loorbach et al. 2017)が含まれる一方(第16章)、変革とは結果として生じる「大規模な社会経済システムの根本的な再構築」である(Hölscher et al.) このような根本的な変革には、多くの場合、公共政策や一般的な技術から個人のライフスタイル、社会規範、ガバナンスの取り決めや政治経済の制度に至るまで、あらゆるものを変化させるダイナミックかつ多段階を踏む移行プロセスが必要である。

 つまり根本的な変革とは、すべてが変わることを意味する。

 ではこのような変革にはどのような例があるのだろうか。IPCCは、「最終的に気候変動防止に利するような、個人レベルおよびより広範な社会的変化の好循環の可能性」があるとしている

 そして次のように続けて述べている(下記太字部分):

…この好循環の起点となるのが、自らの内部における移行である。それは、個人、組織、さらには より大きな管轄区域の中で発生し、気候変動に関する信念や行動を変えさせるものである(Woiwode et al. 2021)。 個人の内部における移行(例えば、Parodi and Tamm 2018を参照)には、一般的に、気候や地球を守るだけでなく、平和の感覚を深め、他者を支援しようとする意欲を持つようになることも含まれる。

 このような「内的な移行」にはどのようなものがあるのだろうか?IPCCは次のように説明している

…また、個人、組織、社会における同様の内的移行に関連して、炭素消費量の多いライフスタイルや開発モデルに対抗する脱開発、デ・グロース(脱成長)、非物質的価値観を受け入れるという例も見られる。

 IPCCはAR6第2作業部会報告書の中で、変革の構想に必要な「デ・グロース(脱成長)」の重要性を次のように論じている:

…消費削減は、自発的なものであれ政策的なものであれ、エネルギーや材料の使用削減だけでなく、効率性にもプラス効果をもたらし、二重の効果をもたらす可能性がある … 経済成長がなくても、社会の持続可能性と連動した低炭素移行は可能である(Kallis et al. 2012; Jackson and Victor 2016; Stuart et al. 2017; Chapman and Fraser 2019; D’Alessandro et al. 2019; Gabriel and Bond 2019; Huang et al. 2019; Victor 2019)。このようなデ・グロース(脱成長)の道筋は、炭素消費量の削減の技術的実現可能性と持続可能な社会開発目標を両立させる上で極めて重要である(Hickel et al. 2021; Keyßer and Lenzen 2021)。

 これらの意見は、確かに一つの見解ではあり、また真摯に提示されたものには違いない。しかし、脱成長を促進するための内的な移行に根ざした、「すべてを変えること」に焦点を当てた気候アジェンダなるものは、せいぜい一般ウケするだけであり、とてもうまくいくとは到底思えない。より広い視点から言えば、なぜこのような意見が科学的評価の枠組みとして使われるのだろうか疑問である。

 IPCCが「変革」に焦点を当てた政治的検討課題を採用したことを認識したのは、私が最初ではない。2022年に書かれたLidskogとSundqvistの論文ではこう説明している:

…変革という言葉は科学的・政治的言説の流行語となっており、そこでは「根本的な変革」が多くの深刻な環境問題の解決策であると述べられている。IPCCやIPBESなどの専門機関は、環境問題を解決するためには根本的な変革が必要だと強調している(IPCC, 2018; IPBES, 2019)。…根本的な変革は今後進むべき道筋であり、議論の余地のない目標であると考えられており、それに対して批判的な人を見つけるのは難しい。にもかかわらずその本当の意味は不明確である。

 IPCC AR6(およびその前のIPCC 1.5報告書)において、根本的変革を最優先の政治目標として採用したことは、IPCC第5次評価報告書(AR5)における、より政治的に中立な概念の使用からの逸脱を意味する。2014年のAR5では、緩和のための技術的代替案を指す表現として「変革の道筋(transformation pathways)」と述べたが、社会全体がすべて変えなければならないと要求しているわけではなかった(以下参照のこと):

…温室効果ガス(GHG)濃度をいかなるレベルにおいても安定させるには、GHG排出量を大幅に削減する必要がある。特に世界のCO2純排出量は、最終的にゼロ以下にしなければならない。この規模の排出削減には、エネルギーの生産・消費方法から地表の利用方法まで、人間社会の大々的な変革が必要となる。安定化目標がより高いものであればあるほど、この変革は急速に進められなければならない。この文脈での当然の疑問は、安定化に向けた変革の道筋はどうなるのか、つまり、我々はいかにして現地点から安定化目標に到達することができるのか、ということである。

 IPCC AR5は、大気中に蓄積する温室効果ガス(GHGs)に対処する方法は数多くあることを示した:

…温室効果ガス濃度をどのレベルで安定化させるにしても、その道筋はひとつではない。それどころか、文献は幅広い変換の道筋を示している。どの道筋をたどるかは、今後の選択にかかっている。

 このような政策の可能性に対する拡大的な見方は、「すべてを変えるプロセス」や 「平和の感覚の深まり」とはかけ離れたものである。IPCC AR5とAR6は、緩和のためのより大きな可能性(特に公平性)を考慮していないという批判を当然ながら受けているが、このことも、政治的な志向性の反映と言える。

 IPCC、より厳密に言えば、IPCCに影響力のある人々は、気候に関する政治的見解を共有する内輪のグループに取り込まれているように見える。彼らの考え方は、デ・グロース(脱成長)やプラネタリー・バウンダリーのような概念を重視して、目的と手段が逆となるように気候政策をひっくり返すものだ。

 「根本的な変革」は、気候変動政策を「すべてを変える」ための手段としてとらえている。社会全体をこのように大きく変える必要性が叫ばれる背景には、未来に対する恐怖、さらには終末論的な考え方があるようだ。IPCCのトップが3月に述べたのは、「IPCCは、より大胆な行動をとることの緊急性を強調し、今行動を起こせば、すべての人にとって住みやすい持続可能な未来を確保できることを示している」ということである。

 IPCCの政治的アジェンダは、裕福なアメリカやヨーロッパの学者たちによって作成されたように読みとれる。十分なエネルギー・サービスや食料に恵まれない世界中の何十億という人々は、おそらくある種の変革のアジェンダを歓迎するだろう。だがその代わりに、IPCCは豊かな国における普通の人々のライフスタイルを変えるべきだと強調している。例えば、最近の統合報告書ではこう説明されている: 「多くの緩和行動は、大気汚染の減少、積極的な移動(例:徒歩、サイクリング)、持続可能で健康的な食生活への転換を通じて、健康に恩恵をもたらすだろう」と。

 IPCCのAR6に携わった多くの人が、この投稿を読んで、「うーん、そんなものは見たことがない 」と言うかもしれないし、「そうだ、それこそが我々のアジェンダだ、だから何だというのか」と言うかもしれないし、「私には報告書に挿入した別の政治的あるいは専門的アジェンダがある 」と言うかもしれない。さらに、AR6報告書の約10,000ページに目を通し、選択的に異なる政治的シナリオを構築することもできるだろう。しかし私は、「根本的変革」こそが「象徴政治学」の専門用語で「マスター・シンボル」と呼ばれるものであり、AR6の支配的な政治的枠組みであると考える。

 IPCCは、科学的評価という役割から明らかに逸脱し、政治的運動に深く関与している。
 科学的評価と政治運動を同時に行おうとするのは決して良い考えではない。私は、IPCCの政治的アジェンダである根本的な変革が、あり得ないほど極端なシナリオへの頑固な依存や、異常気象や災害の科学に関する多くの誤りや欠落に少なからず関与していると考えている。

 IPCCは分かれ道に立たされており、再編成されるべきである。信頼に足る科学的評価をする機関として活動するか、あるいはその代わりに、根本的変革を推進する環境運動団体としての現在の役割を完全に受け入れるかのどちらかである。中間はない。