IPCCの環境影響評価には失望した


ブレークスルー研究所(Breakthrough Institute) 気候・エネルギーチーム 共同ディレクター

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監訳 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳 木村史子

本稿はブレークスルー研究所 The IPCC Report on the Impacts of Climate Change is Depressing- But not for the reasons you might think を許可を得て邦訳したものである。

 先週(2023年3月20日の週)、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が、気候変動に関する科学的知見の現状に関する統合報告書を発表した。報道は広範囲に及び、予想通り劇的なものとなった。ワシントンポスト紙は「世界は破滅的な温暖化の危機に瀕している」、ガーディアン紙は「科学者が気候危機に対する『最終警告』を発した:今すぐ行動しなければ手遅れになる」、ニューヨーカー紙は報告書の内容を「目を覚ませ!人類よ、これが最後のチャンスだ。」と紹介した。

 私は、この報告書を読んでその内容に不安を感じる一人だが、それはあなた方が思われているかもしれない理由からではない。私は気候に関する科学者であり、IPCC報告書では自分の研究論文が9本も引用されている。私は冷静で公平な分析を何よりも重視している。私が科学に惹かれた理由、そして社会において科学が信頼されている理由は、科学とは客観的な分析を提供しようと努めることであり、特定の政治的な目的を正当化する道具ではない、という考え方にある。

 しかし残念ながら、IPCC報告書の中で影響と適応を扱った部分(上記の記事の見出しのベースとなった部分)では、この原則は守られていない。真面目な科学的評価というよりはむしろ、活動家の集会のチラシのようであり、関連があっても根拠の乏しい研究「結果」をずさんに、無原則に繋ぎ合わせているように読める。

 報告書のこれらの部分の目的は明確で、できるだけ陰惨な絵姿を描くことである。この意図は影響セクション全体を貫いているが、農業へのリスクに関する章はその一例である。この章では、現代世界の勝利のひとつである農業生産性の飛躍的な向上という事実が、歪んだ不明瞭な表現で覆い隠されている。これは将来の食糧供給に対する危機感を徒らに高めることが目的だとしか思えない。

 気候変動が食料の安全保障に及ぼす影響を理解する上で、おそらく最も重要な事実は、「1960年代以降、世界は約1℃温暖化したが、すべての主要作物の世界平均の収量(1エーカー当たりトン)は大幅に増加した」ということである。しかしIPCCの194ページに及ぶ「気候変動下における農業」の章では、この重要な事実は一度しか言及されておらず、それを示す下図のような図も示されていない。

 気候変動そのものが必ずしも収量を増加させるわけではない。だが、施肥、機械化、灌漑、品種改良、害虫駆除などの効果が、気候変動による如何なるマイナスの影響を大きく上回ったのである。

 この歴史的な事実は重要だ。なぜなら、今後60年間も、過去60年間と類似のペースでの温暖化が予想されるが(仮にパリ協定の排出削減目標が達成されないとしても)、これらの収量増加の傾向が突然停止すると考える理由はないからだ。毎年、技術は向上し、より多くの農家が近代的な農法を採用するようになっている。

 しかし、明確な歴史的傾向があるにもかかわらず、IPCCはこの章を通して作物収量の減少を延々と論じている。これは誤魔化しだ。多くの読者は「減少」という言葉を今日と比較しての減少を意味すると理解するだろう。だがIPCCはこの言葉を気候変動のない仮想世界と比較しての減少を意味するものとして使っているのだ。つまり、作物収量は全体として増加し続けると予測されるが、気候変動がなく、他のすべてが同じである仮想的な世界と比較すると減少する、と言っているのである。

 このように考えて、IPCCの報告では、歴史的に見れば気候変動によって小麦の収量は4.9%、トウモロコシは5.9%、米は4.2%減少した、としている。しかし、これらの影響を、背景となる大規模な収量の増加という文脈で捉えれば、気候変動の影響は非常に小さいことがわかる(図)。

 IPCCがことさらに「悪影響」を強調しようとする姿勢は、報告書が今後の作物収量の予測について述べている際に、より顕著に表れている。著者は、私たちの適応能力は “気候変動の悪影響を相殺するには不十分である “と述べている。この記述は、IPCCが今世紀の残りの期間で作物収量の純減を予測しているように読めてしまうが、じつは言葉遊びであり、かつ誤魔化しである。

 IPCCは、気候変動の影響を軽減するために明示的に行われた行動のみを「適応」と定義しており、技術的・社会経済的なトレンドが気候変動に関係なく起こっていた場合は、適応としてカウントしない。例えば、手作業の代わりにトラクターを導入することで収穫量が大幅に増加することがあるが、これは気候変動に対する明確な適応とは言えないため、「適応を考慮した」将来の収穫量の予測では考慮されていないのである。

 この定義により、IPCCは、将来の適応を考慮しても、作物収量が現在よりも絶対的に減少すると読めてしまうような記述をしている。しかし、このような不吉な予言は、歴史的な収穫量の増加をもたらしたすべての技術的・社会経済的進歩が突然停止した場合にのみ実現するものだ。遺伝子編集技術によって、より強靭な作物を作るという新たな革命が起きようとしている今、そんな未来が訪れる可能性は極めて低いと思われる。また、国連食糧農業機関(FAO)の予測ともかけ離れている。同機関では、気候変動による悪影響が想定されるにもかかわらず、技術の進歩によって、将来的にすべての主要作物の収量が大幅に増加すると予測している。

 収量増加をもたらす要因を排除することに加え、IPCCは、気候変動が食糧供給に与える悪影響を誇張する目的で、故意に情報を選択している。例えば、IPCCが引用したある主要な研究は、気候変動自体が世界の小麦、米、大豆の収量を増加させる(一方でトウモロコシの収量は減少させる)ことを示している。なのに、この結果は実際にその章で報告されているのだろうか?いや、報告されていない。 その代わり、IPCCはこの研究が「気候変動が主要作物の収量に与える影響が、これまでの予想よりも早く現れると予測した」と報告することにしており、気候変動の影響のかなりの部分が好影響であることには触れていないのである。

 また、作物生産を阻害する可能性のある雑草を取り上げた章では、気候変動や二酸化炭素の増加が、生物学的に有害ではなくむしろ有益である、と唐突に述べられている。これは私たちの運が悪いからなのか? それとも、気候変動は私たちの好きな植物には害を及ぼし、私たちの嫌いな植物には役立つという、研究者のポジション取りの反映なのか?

 報告書の農業へのリスクに関する章は、決して異例のものではない。IPCC報告書の気候変動の影響評価の全体を象徴するものであり、それがほとんどヒステリックと言えるメディア報道をもたらした。この報告書も、他のIPCC報告書も、客観的な評価ではない。気候変動を恐れる理由の集合体といった程度のものでしかない。もしそうでなければ、「チリ中央部のブドウ畑を訪れる人々が楽しむ景色の美しさは、2050年までに18~28%減少する」というような調査結果には遭遇しないはずである。

 私は、IPCCの報告書が、誇張された表現を断ち切り、重要な決定を下すための錨の役割を果たすことを切に望んでいる。IPCC報告書がこのような役割を果たせないということは、この分野の科学者にとって残念なことだ。「大惨事が起きる」と誤って惑わされている読者にとっても憂慮すべきことだ。報告書と気候の科学全体の信頼性を回復するために、改革が必要だ。これらの報告書が客観的な分析として見られるようになって初めて、その提言が意思決定者や一般市民によって真剣に検討されるようになるのだ。