温暖化懐疑論・否定論について
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
3月10日付けの江守正多氏の「組織的な温暖化懐疑論・否定論にご用心」を大変興味深く読んだ。特に本サイトで紹介されたGWPF(Global Warming Policy Foundation)の記事、「熱帯の空:気候危機論への反証」について具体的な反論を展開されているのは非常に勉強になった。
同時に「温暖化懐疑論・否定論」という用語については注意を要すると感じた。ウィキペディアで「地球温暖化に関する懐疑論注1) 」を検索してみると「地球温暖化や気候変動は人為的なものではない、地球は温暖化していない等という学説や意見」と概括的な説明があるが、中身を見ると「温暖化の科学的知見に関する議論・疑問」、「温暖化の原因に関する懐疑論」、「炭素循環に関する議論」、「予測内容への批判」、「温暖化の影響に関する議論」、「IPCCに対する批判」、「温暖化対策に対する批判」。「メディアへの批判」、「政治的陰謀・圧力説」等、多岐にわたる。
筆者は経産省で国連温暖化枠組交渉に携わり、温暖化対策策定にも関与した。気候変動枠組条約に参加している日本政府の一員であったのだから、「地球は温暖化していない(むしろ寒冷化している)」、「地球温暖化はCO2が原因ではない」といった字義通りの懐疑論・否定論に与するものではない。
他方、地球温暖化が進行しており、それには人間起源の温室効果ガスが一定程度寄与していることを認めた上で、温室効果ガス削減のための政策措置の内容とその強度については様々な議論があって然るべきだ。SDG17に代表されるように世界には温暖化以外にも様々な課題があり、各国の抱える事情、課題間のプライオリティも様々である。温暖化にどの程度のリソースを割くべきなのか、どの程度のコストを許容するのか、得られるベネフィットとのバランスはどうなのか等は、正解が本来は1つである自然科学の問題とは異なり、複数の答が存在し得る社会科学的な政策論の問題だからである。
筆者がポスト京都国際枠組みの交渉に関与している際、「先進国の2020年の排出削減目標を90年比25-40%削減すべきだ。これはIPCCの科学の要請だ」という議論が途上国、環境団体から声高に主張された。しかしこの数字はIPCC第4次評価報告書で紹介された論文に掲げられたものであり、IPCC自身の勧告でも何でもない。地球全体の排出削減を考えるときに先進国のみの数字を取り上げることも著しく不合理である。しかしこうした議論に反論すると「科学の要請に背を向ける」「懐疑的である」と批判を受け、化石賞も何度と無く受賞した。こうした経験から科学の名の下に絶対的正義をふりかざして反論を封ずる類の議論に強い疑問を持つようになった。
GWPF(Global Warming Policy Foundation)についての筆者自身の見解を述べたい。筆者はロンドン駐在中及びその後、GWPFの創設者ナイジェル・ローソン貴族院議員、GWPF事務局長のベニー・パイザー氏、有力メンバーのジョン・コンスタブル氏、マット・リドリー貴族院議員等と知己を得た。ローソン貴族院議員は地球温暖化が温室効果ガスによって生じていることを認めており注2)」 、マット・リドリー貴族院議員も同様である(来日中のリドリー議員との議論及びその感想を本サイトに掲示している注3) ので参照ありたい)。その意味で彼らはウィキペディアに言うところの「温暖化は人為的なものではない。地球は温暖化していない」という懐疑論者、否定論者ではない。彼らが問題視しているのは、温暖化の悪影響ばかりが強調されていること、気候感度等を含む不確実性を捨象した議論が多いこと、欧州及び英国で再エネ補助金を初めとする割高な政策が講じられていること、異なる意見を述べると「懐疑派」というレッテルを貼られ、中傷にさらされること等である。
最後の点についてはこんな事例がある。2014年に「最近の異常気象は人間起源の気候変動が原因か」と題するBBCのラジオ番組でローソン議員とインペリアルカレッジのホスキンス卿が対談を行ったが、番組終了後、環境団体から「ローソン氏は気候変動対策を否定している。科学者でもない者を番組に出演させるな」との抗議が殺到し、BBCは「今後、気候変動懐疑派には同等の放送時間を割り振らない」と謝罪することとなった。これに対し、ローソン議員、リドリー議員は「危機感を煽る議論ばかりを報道し、他方で危機感をたしなめる議論を封殺するのはダブルスタンダードである」とBBCの対応を厳しく批判している(このあたりの経緯は「地球温暖化と科学」に関する論考を参照ありたい注4) 注5) )。筆者もこの抗議にシンパシーを感じた。BBCでのローソン議員発言に対する環境団体からの抗議に代表されるように、中世の異端審問さながらに、異なる見解を断固、排除する動きはローソン議員の著書にある「環境原理主義と温暖化が新たな宗教になっている」という指摘の典型例であり、気候変動交渉における筆者自身の経験とも符合していたからだ。
Global Warming Policy Foundation は研究組織であり、政策提言は姉妹組織であるGlobal Warming Policy Forumが担っている。このPolicy Forumのサイト注6) を見ると下記のように様々なオピニオン、ニュース記事が掲載されていることがわかる。中には「温暖化のデータは信頼性が低い」等、気候変動の科学への疑問を呈したものもあるが、多数を占めるのは欧州や英国で実施されている高コストの温暖化対策に対する批判的論考や、温暖化対策が様々な要因でうまく進んでいないことに関する報道である。筆者がGWPFのサイトでよく参照するのがそうした事実関係の報道及び温暖化政策に関する論考である。野心的な温暖化対策を推進している欧州各国政府の発表は大本営発表的なものになりがちであり、日本のメディアの多くは「欧州は温暖化対策の優等生であり、欧州に学ぶべき」という論調の下、そうした趣旨に合致する記事ばかりを掲載する傾向がある。そうした中でGWPFのサイトは「本当にそうなのか?」というクロスチェックを行えるという点で筆者にとって有益な情報ソースである。
江守氏はGWPFが化石燃料企業とつながりのある人から資金援助を受けているゆえにGWPFの組織としての信頼性を損なっている、としている。筆者は、実際に資金援助を受けているかは知らないが、仮に受けているとしても、それによってGWPFの組織としての信頼性を損なうとは考えていない。温暖化対策の推進によってメリットを受ける産業もあればデメリットを受ける産業もある。それぞれの産業が自らの利益のためにキャンペーンを行うことは自由主義経済においては何ら珍しいことではない。化石燃料企業、エネルギー多消費産業はエネルギーの安定供給や基礎素材を提供する等、経済的繁栄、生活水準の向上を支えてきた。こうした産業との関わりを「汚れたもの」と批判することには賛同できない。それに環境NGOや環境シンクタンクの中には温暖化対策でメリットをうける再エネ産業から資金援助を受けているものもあるだろう。要はそれぞれの組織が発信しているメッセージや情報をその質に応じて取捨選択すれば良いだけのことである。
GWPFの論考を見たり、紹介したりすることが主流の科学に逆らうことであり、世間における組織の評判を毀損するという議論には賛同できない。そもそも「主流の科学」、「世間」とはなんだろうか。「主流の科学」が「地球温暖化は一定程度進行しており、それには温室効果ガスが一定程度寄与している」ということであれば、ローソン、リドレー両氏とも「主流の科学」に異を唱えていない。上に述べたように彼らが主に批判するのは欧州及び英国の温暖化政策である。しかし、これは「主流の科学」への挑戦に当たるとは思えない。「温暖化防止のため再エネ補助金を出し、炭素税を導入し、化石燃料を駆逐することが正しい」というのは、ある価値判断に基づく政策論であり、「主流の科学」と定義付けることはできないからである。
そうした価値判断に立つ人々が「世間」の大部分を占めるのであれば、GWPFの論考を引用することのレピュテーションリスクはあるだろう。しかし筆者のみるところ「世間」とはもっと多様であり、炭素税引き上げに反対してストライキをやったイエローベストの人たちも、温暖化防止よりも貧困撲滅を重視する低開発国の人たちも、エネルギーコスト上昇により国際競争力低下を懸念する産業界も「世間」の構成員である。温室効果ガスが環境関係者の期待に反して一向に減らない(皮肉なことにコロナが経済停滞を通じて減らしているが)のも、上記のような価値観を持つ人々が「世間」の「主流」になっていないからではないか。
そうであれば上記の価値観に立つ論考を紹介することも、上記とは反対の価値観に立つ論考を紹介することも排除されるべきではないだろう。繰り返しになるがGWPFの記事の中には他の組織の記事と同様、頷けるものもあればそうでないものもある。しかし欧州礼讃一色のメディアが多い中で、それとは異なる視点の情報ソースとしての有用性はある、筆者は今後もGWPFの記事の中で有益なものがあれば紹介したいと考えている。