米国電気事業に見る変化の潮流(その1)
西村 郁夫
一般社団法人 海外電力調査会
インフレ抑制法がもたらすパラダイムシフト
「America’s electric companies, delivering resilient clean energy across our economy」、本年2月ウォールストリートのアナリスト、金融関係者、投資家を一堂に会した説明会で米国エジソン電気協会(EEI)が掲げた標語である。説明会では、インフラ投資雇用法、インフレ抑制法のエネルギーインフラへの投資およびクリーン・エネルギーの普及促進に向けた効果が、政策に協力してきた成果として強調された。
再エネなどへの投資に対して、大きなタックスクレジットが得られる仕組みは、ブッシュ政権をはじめこれまでも一貫して取られてきた政策だが、短い期限と延長を繰り返し、都度、駆け込み需要と制度の空白期間の投資減衰を経験してきた。インフレ抑制法の成立によって、タックスクレジットが長期予見性をもって賦与されることになったことから投資しやすい環境が整い、これまでの各州のRPS制度をドライバーとしてきた再エネ投資が新たなフェーズに入ると関係者は期待している。
このタックスクレジットの仕組みは、投資した企業が法人税を減税されることで、成長分野での投資継続に向けたインセンティブが維持されていくという好循環を生み出す。大きな財政出動が求められるが、長期に亘って投資が継続されることで、雇用・経済効果が生まれ、結果してこれが歳入増につながる。インフレ抑制法の成立は、カーボンプライシング、炭素税などに依らない低炭素化の道を開くという視点から、パラダイムシフトをもたらすものといえる。この動きは、欧州などにとっても、米国への産業・資金の流出の可能性を秘めるものとして脅威に映る。
独RWE社が、インフレ抑制法の一連の税制優遇により米国市場の魅力が向上したとして、米Con Edison Clean Energy Business社(ConEd再エネ事業子会社)を買収、同社が保有する発電資産300万kW(90%は太陽光)、開発中事業700万kW超を取得することで、米国事業を拡大したことに加え、2030年までに全世界での投資500億ユーロの内、150億ユーロを米国事業に振向ける方針としていることに、その兆候を見て取ることができる。
こういった動きは再エネ分野に限らない。EUの炭素国境調整メカニズム(CBAM)が2026年に発効し(昨年末の合意により輸入水素についても対象化)、EUETSの排出権価格が高止まりするようであれば、既に高い天然ガス価格に晒されている独化学産業など水素を原料として必要としている産業の米国への移転が進む可能性が出てくるという業界関係者もいる。
規制分野にシフトする米国電気事業
この文脈からは、思い切った気候変動目標に既にコミットしている企業も多い米電力が再エネ投資に大きく舵を切るのかと思われるかもしれない。ただ、現実はもっと複雑だ。マンハッタンの都市機能を麻痺させたハリケーン・サンディー以降、議論の表舞台に躍り出た気候レジリエンスの問題から、米電力は大きな投資を強いられてきた。EEIが纏めているAHR(Adaptation, Hardening, Resilience)投資の資料からは、送電分野で34%、配電分野で37%の投資額がこのために割かれているとされる。大量の再エネの系統連系のためには、電力ネットワークの増強も不可欠だ。一方で、投資家が求める高配当に応えることも安定した事業運営を行っていく上では欠かせない。このようなことから、EEIのメンバー企業の活動は、規制分野にシフトしてきているという。2002年は資産ベースで57%であった規制分野での事業は、2021年には82%にまで拡大した。事業支出が大きくなるなかで、資金アクセスに影響が少なくないクレジット・レーティングを維持していく上でも、収益を見込み易い規制分野を指向することは自然な流れと映る。
Con Edison Clean Energy Business社のRWE社への売却は、こういった動きの一つだが、ノースカロライナ州に本拠を置くDuke Energy社が、電力自由化の進んでいる州での商業用再エネ資産(340万kWの太陽光、風力など)をインフラ投資会社Brookfield Renewable Partnersへの売却を進めることも背景を一にする。Duke Energy社は、売却益をバランスシートの強化と追加債務の発行を回避しつつ、規制州での送配電事業、クリーン・エネルギー投資に活用する方針だ。
再エネの系統連系と求められる調整力
系統連系される太陽光をはじめとする変動性再エネ(VRE)が増えていくことは、電力ネットワークの増強に限らず、これをバランスし、系統信頼度を維持していくための調整力を必要とする。一般的には、天然ガス火力、揚水発電、蓄電池などがこの役割を担うが、カリフォルニア州のダックカーブ現象(太陽光からの発電電力量が大きくなる時間帯に系統の実質需要曲線がへこむ現象)に代表されるように大量のVREの導入に伴って、天然ガス火力(特に電力需要のピーク時間帯の供給力を担う設備)の収益性は損なわれ、次第に停止を余儀なくされている。
米国内では、カリフォルニア州の電力市場へのサービスを目的にスワン・レイク(オレゴン州、40万kW)、ゴードン・ビュート(モンタナ州、40万kW)などの揚水発電プロジェクトが進行しているが、新設される設備は少ない。長時間の貯蔵能力(一般的に定置型蓄電池の倍程度で6から10時間)、その他の特性(慣性力、サプライチェーン問題がないなど)からも有効だが、皮肉なことに再エネの系統連系が進むにつれ、エネルギー市場、容量市場での取引価格の低下を受けて、投資収益は薄くなってきている。経済学者のなかには、より多くの揚水発電が送電資産(transmission asset)としてレートベースのもとに運用され、電力市場外に置かれることが望ましいとの声もある。電力自由化が進んだ州での新規プロジェクトの実現には需要家との一定期間の電力販売契約(PPA)が有効だが、将来収益性があるかどうか分からない売電価格にロック・インしてしまうより、価格が継続的に低下している定置型蓄電池に投資した方がプロジェクト・デベロッパーにとっては魅力的と言われる。
革新的技術開発に向けた10年
EEIは、米電力が進む方向として、「remain focused on ensuring that customers have the energy they need … affordably and reliably, as we work to get this energy as clean as we can as fast as we can」とした姿勢を貫いている。政権とは対話を重ねながらも、政策目標に過度に振り回されることなく、需要家、投資家の求めにどう応えていくか現実解を見出すことに軸足を置いている。米電力として、これからの10年は革新的技術の開発に注力するとしているなかで、また、米国で上昇を続ける資機材・労働コストや金利を考えると原子炉新設のプロジェクトリスクが相対的に大きい大型炉が益々正当化しにくいなかで、小型モジュール炉(SMR)は重要な役割を期待されている。
大学の研究プロジェクトに端を発するNuScale Power社はSMR開発のトップランナーだが、同社が設計開発したVOYGRは、パッシブな安全システムの採用、外部電源に依存せず小規模グリッドへの適用が可能、調整力が期待される高い負荷追従運転性などの特徴に加え、12モジュールを連結すると現在の大型炉と大きく変わらない最大92万4千kWの発電容量を持つ。今年に入り、米規制当局による設計認証がなされ、建設可能な標準設計の一つとなった。スケールアップ後の設計認証はこれからだが、国際展開に向けてカナダ、韓国、日本、フランスなどのエンジニアリング、機器製造、燃料製造企業などとの提携も進んでいる。
複雑な事業環境の中でダイナミックに変貌を遂げていく米国の電気事業、日本がそのなかに何を見て、自らの発展の糧としていくのか、問われている気がしてならない。
次回:「米国電気事業に見る変化の潮流(その2)」へ続く