エネルギー・環境、専門家の意見が届き始めた


経済記者。情報サイト「&ENERGY」(アンドエナジー)を運営。

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 エネルギー、環境問題の専門家や企業はこの10年、「世論」というあやふやなものに、振り回された。ところがウクライナ戦争以来、社会の雰囲気が変わった。エネルギー価格、エネルギー不足という現実の問題に直面し、それを直視して専門家の意見を聞こうとする雰囲気が出ているように思える。この動きを捉え、専門家は堂々と事実と主張し、社会的合意づくりを行うべきではないか。


エネルギー・環境問題で、専門家の正論が通る状況になりつつある(iStock)

エネルギー・環境問題をめぐる現実の変化

 私は記者として、自分サイト、SNSのツイッター、ネットや印刷媒体への寄稿などで、文章を発表している。最近の3つの動きを、このほど取り上げた。

 第一は、「現在の停電危機が、『嫌われもの』の火力と原子力発電によって救われた」という事実だ。今年冬は東京電力管内では予備率がマイナス、他の地域でもゼロに近いとの見通しが、昨年夏時点で出ていた。ところが電力会社の努力によって、石炭火力、原子力火力、老朽化したLNG(液化天然ガス)火力の再稼働によって予備率は東電管内で4%程度になり、停電の危機は避けられた。

 第二は、「既存電力会社は電力価格を軒並み上昇させているが、原発を活用している関電と九州電は値上げを申請せず、日本の各地域で電力価格に差ができている」という事実だ。九州電力は保有する4基の原発を全て通常運転している。他社より安く、安定歴に電力を供給できる。これを一因に、熊本ではソニーと世界最大手の台湾のTSMCが半導体工場を建設する予定だ。電力の状況の違いは、他の電力会社の原発の再稼働が遅れているため長期になる見込みだ。九州地区の企業は、電力供給での強みを活かすことができる。

 第三は、「グレタさんの影響力の低下」という事実だ。グレタ・トゥーンベリさんというスウェーデンの20歳の過激な女性環境活動家がいる。しかしウクライナ戦争と化石燃料の脱ロシアを考える欧州では、最近、彼女の支持の声が減り、存在感が低下している。彼女は、環境面で優れた日本の火力発電を攻撃する。それなのに、なぜか環境面でいろいろ問題を起こす、中国の政府や企業を強く批判しない。その背景は不明だ。

原発事故、気候変動での理想論へのズレ

 2011年に、こうした原子力の肯定や電力会社の支援を言ったらネット炎上したし、2014年ぐらいまでは批判もかなり強かった。また2018年ごろに、気候変動政策への疑問やグレタさんの批判を述べてもそうだった。ところが2023年1月のこの3つの事実の提示には「その通り」「他のメディアが伝えていない」という好意的な反応しかなかった。

 「エコーチェンバー」という言葉がある。ネット上で、自分と似た意見や思想を持つ人が集まり、閉じた小部屋で音が反響するように同じ意見が増幅していく。もちろん、私の原稿でもそういう気配があるのだが、反対意見は明らかに少なくなっている。

 これは世論調査などでも裏付けられる。JNN(TBSなどのニュースネットワーク)が今年23年1月9日に発表した世論調査によると、政府が原発政策をめぐり従来の方針を転換し、原子力発電所の運転期間の実質的な延長、次世代型の原発への建て替えなどを含む新たな方針を決めたことについて「賛成」と考える人が46%、「反対」と考える人が40%だった。昨年末に実施された男女2465人への調査だ。

 同じ傾向は各種の世論調査でも見られる。原子力の容認、気候変動政策の合理性を求める声が増えている。

ネット情報ではなく経験が思考を変える

 人間の情報の認知はどこからくるのか。一番影響のあるのは、自分の経験だろう。しかし、どんな人でも、そうした体験は身の回りに限定される。それ以外の情報を知る中心は、今はネットだ。かつて多くの人は、メディアそのもの、テレビ、ラジオ、新聞から情報を得ていたが、その存在感は個人の生活で低下している。ただし、そのネット情報の多くは、メディアがネット上のハブ(拠点)になる「ポータルサイト」が提供するものだ。既存メディアの存在感は低下しているものの、まだ少しは残っている。

 2011年の東京電力の福島原子力事故の影響は広範だった。その衝撃で、人々の原子力をめぐる反感は根強かった。さらに気候変動問題では夏の暑さと体感温度の上昇があった。加えて、メディアの影響があった。気候変動では、北欧と西欧で関心が加熱し、世論に影響を与えてしまった。これらの国々では、人間の経済活動が悪で、その経済活動全体を規制しようという過激な意見が多くあった。そうした欧州のメディアとNGOが提供する情報に日本のメディアはかなり引っ張られた。

 日本は、衰えたと批判を受けても、ものづくり大国だ。その製品、生産活動での省エネ、環境負荷の小ささは世界トップクラスにある。また原子力については、東電の事故が明らかにしたように問題はあるものの、その活用によるメリットは多い。そうした意見は、これまでなかなか聞いてもらえなかった。それどころか、この問題をめぐる意見表明には感情的な反発があり、専門家には萎縮する雰囲気もあった。石炭火力では、抗議デモに海外の石炭火力の投資案件が中止になることもあった。

 ところが状況は変わった。ウクライナ戦争と化石燃料価格の上昇、その後の円安で、元々あったインフレ傾向に22年に拍車がかかった。停電の不安と電力・エネルギー価格の上昇に人々は直面している。また福島は復興し、事故を現地と東北の人は乗り越えつつある。私がネットで体感したように雰囲気は変わっている。

もはや萎縮の必要はない

 世論というものは、曖昧なもので、移り変わるし、声の大きな「ノイジー・マイノリティ」が目立ち、それが主流と勘違いすることもある。川柳「幽霊の正体みたり枯れ尾花」のように、実態を伴わず、それを見る人の思い込みであることも多い。エネルギー・環境問題も、このような面がなかったか。実態がないのに、人々が過度に恐れて萎縮していたのだ。

 冷静に見ると、日本の人々は見識が高く、意見は健全だ。そこにこの変化が加わった。エネルギー・環境問題で、問題に関わる人や企業も行政も、正しいことを堂々と主張して、ステークホルダーと関係を持つべきだし、できる状況になっているように思える。

 もはや、エネルギー・環境問題を語ることに、萎縮の必要はない。