変化する人々の思いにどう寄り添うか


環太平洋大学客員教授

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 私が編集長をしている、経済広報センターの月刊誌『経済広報』は、企業広報の啓発誌を目指している。そして、近年、問題提起しているひとつが「寄り添う広報」だ。

 「寄り添う」との観点からの記事が掲載されたのは、東日本大震災がきっかけだ。テレビ朝日報道局ニュースセンター災害報道担当部長(当時)の久慈昇平氏が、2014年3月号で「多くの人たちが津波に飲まれようとしている中、最優先に伝えたのは、東京湾で発生した火災や、地震による天井崩落、都心の交通機関の乱れなど『絵になるニュース』でした。本当に必要だったのは、海岸や河口からすぐに離れることや、一刻も早く高台に避難することへの呼び掛けだったはずなのに、それは十分ではありませんでした」と反省の弁を述べた。その後、放送局各社が、被害状況を全国に伝えるとの報道姿勢から、被災地に向けて避難などを呼び掛ける、被災地に寄り添う報道に変化した。2022年3月号で、日本テレビ放送網のアナウンサー兼気象庁担当記者の矢島学氏は「防災報道の方針を『命を守る報道』に改めました」と述べている。

 一方、電力会社の記者会見が発電所の地元住民の気持ちや思いに寄り添っているかは疑問が残るところだ。そんな中、2020年3月号で東京電力廃炉資料館を取材したのだが、「発電所周辺をはじめとして福島県の皆さま、そして多くの皆さまが、福島原子力事故の事実と廃炉事業の現状などをご確認いただける場として開館した」として、「安全に対するおごりと過信。安全はなぜ万全ではなかったのか」「想定を上回る津波が来る可能性は低いと判断し、自ら対策を考えて備えを行う姿勢が不足していた」と反省し、地元に寄り添う姿勢を示した。これまでの”安全神話”から決別した。

 また、当センターでは緊急時記者会見のメディアトレーニングを行っている。しかし、広報コンサルタントの五十嵐寛氏は、2021年8月号で、「答えているようで答えていない」「すれ違いの答弁」の記者会見はもはや過去の遺物だと、筆者自身がメディアトレーニングのトレーナーであることの反省と自戒を込めて記事を結んでいる。誠意が感じられない、被害者に寄り添っているとは言い難い謝罪会見が目立つと述べている。電力会社が言い出した”ゼロリスクはない”という言い方も、住民に寄り添っているようには聞こえてこない。

 人々の思いは時とともに変化する。福島にしても記録と記憶の伝承だけでなく、変化する人々の思いにどう寄り添っていけるかかが今後も求められる課題だ。