ウクライナ紛争の背景にあるエネルギー事情(その2)
ー天然ガスを巡るウクライナとロシアの確執ー
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
ウクライナの天然ガス事情であるが、先ず70年代からウクライナは欧州でも有数の天然ガス産出国であり、まだソ連邦の一部であった75年のピークには、年産651億m³を産出する純輸出地域だったとの記録がある。その後次第に生産量が減少し、2012年ごろには黒海でのガス田を中心に年産120億m³の水準にまで落ち込んでいて注1) 、現在ウクライナは天然ガスの純輸入国になっている。天然ガスが不足してきたこのウクライナとロシアの間には、ソ連邦の一部であったウクライナに旧ソ連が格安でガスを提供していたものの、その後ソ連邦の解体とウクライナの独立に続く西側傾斜を受けて、ロシアが天然ガス価格を大きく引き上げるという確執が始まった。その後パイプラインでウクライナを通って欧州に輸出されるロシアの天然ガスを、ウクライナが中間抜き取りしているのではないかという疑惑が起き、ロシアはウクライナを通過するパイプラインのロシアによる管理権を主張したが、ウクライナ政府はこれを拒否。ウクライナとロシア間のガスを巡る対立から、ロシアが06年と09年の2度にわたり、ウクライナ向けガス供給を停止したことから、同国を経由するEU向けガス供給も止まることになり国際問題となった。14年のクリミア紛争以降、ウクライナはロシアからの直接輸入を止め、ロシアから一旦西欧に輸出されたガスを再輸入するという変則的な形でガスを調達し、一方ロシアはウクライナを迂回して直接西欧にガスを送るパイプライン、ノルドストリーム1,2やトルコストリームを建設して、ウクライナ離れを加速してきたということである。この辺の事情については本研究所サイトに三好範英氏が寄稿した「欧州ガスパイプラインの歴史的背景(3)」に詳しく紹介されている注2) 。
このように天然ガスをめぐりウクライナとロシアとの対立が続く中、2000年代に入って状況を一転させる可能性のある事態が生じてきた。2005年前後から米国で、地下深くの頁岩層に溜まる天然ガスを、水圧破砕(フラッキング)という新技術で経済的に取り出す技術が実用化され、米国におけるシェールガス開発ブームが起こった。その結果、今や米国は世界一の天然ガス産出国になっている。そのシェールガス埋蔵量の評価が世界中で進む中で、米国エネルギー情報局(EIA)の推計によると、ウクライナは欧州においてフランス、ポーランド注3) に次いで3番目に大きな埋蔵量があるとされ、1.2兆m³の埋蔵量が期待されていると報告されている注4) 。
そして2012年5月、ウクライナ政府はこの国内シェールガス開発に関して、ドネツク州東部のユズヴィツカ鉱区についてロイヤル・ダッチ・シェル社と、ポーランド国境に近い西部のオレスカ鉱区についてシェブロン社と共同で開発を行うことを発表した。埋蔵量について、ウクライナの国立地理院は米EIAよりも楽観的に見積もっていて、ユズヴィツカ鉱区だけで3兆m³、オレスカ鉱区で0.8~1.5兆m³の埋蔵量があるとしている。2013年1月にシェルは、50年にわたるシェールガス共同開発契約に調印し、100億ドルの投資を行い、2030年までに年間200億m³の天然ガス産出を行うという計画を発表した。
興味深いのは、ウクライナの豊富なシェールガス埋蔵量の約7割が、ウクライナ東部、まさにロシア系住民が多く、今回ウクライナからの独立を宣言して、ロシアがいち早く独立を承認したドネツク州、ルガンスク州地域に賦存しているとされているということである。同2013年4月には、ウクライナのスタヴィツキー・エネルギー石炭産業大臣が、このシェールガス開発とクリミア地域の海底ガス田開発により、ウクライナは4~5年以内に欧州へのガス輸出を開始し、2020年までに純輸出国になると発言している注5) 。くしくもこうしたガス田は、今回ロシアが地域の独立とロシアの主権を主張している地域に含まれる。
しかしその後、2015年にこのプロジェクトはとん挫して、シェルもシェブロンもウクライナから撤退している。詳細は定かではないが、Euractiveの記事によれば注6) 、シェルの撤退については、ウクライナ東部におけるロシア系住民の独立運動とロシアの介入による紛争拡大に加え、地元住民による環境懸念を理由としたシェール開発反対運動の過激化により開発リスクが高まる中、国際的なガス価格の低迷により投資回収の目途が立たなくなり、フォースマジュール宣言を行って撤退したとされている(ただ、ウクライナと並んでシェール鉱区が大きく、地下でつながっているとされるポーランドでもシェールガス開発が試みられてきたが、地質条件が米国と異なり、技術的に開発が難しいことと、天然ガス価格が開発を正当化するには低かったため経済性確保のめどが立たないとされ、開発に至っておらず、代わりにLNGの輸入を開始していて、ウクライナのシェールガス開発にも技術的制約や経済性の問題がある可能性がありそうだ)。
同記事では、Foreign Policy誌の分析記事を引用して、この地元住民のシェール開発反対運動は、ロシア政府が地元の環境団体に資金提供して、意図的に盛り上げたとされている。実際FP誌の記事では、ロシアが米国発のシェールガス革命について、ロシアの天然ガスビジネスを阻害するものとして目の敵にしており、英国など欧州の他の地域でも、水質汚染や地震の誘発といった環境リスクを煽る活動に対して資金支援してきたとしている注7) 。ちなみに国際的に著名なエネルギーアナリストのダニエル・ヤーギン氏も、3月13日の日経新聞のインタビュー記事注8) の中で、「2015年にプーチン氏にエネルギー問題について質問した際、シェールについいて言及したら、怒鳴られたことがある」と証言しており、プーチン大統領がシェールガスを毛嫌いしていることを示唆している。
その後のウクライナにおけるシェールガス開発の動きについては、詳しく報じられていないのでよくわからないのだが、シェルの撤退の後、2016年にユズヴィツカ鉱区の開発権が、オランダに本社を置くユズガスB.V.という(実態不明の)会社に譲渡され、2億ドルの投資で年産80~100億m³の産出が計画されているとされているという注9) 。ただこの時期は、バイデン大統領の息子ハンター氏が、ウクライナの天然ガス会社の役員を務めていた時期と重なっており、シェール開発には米国の技術やノウハウが必要となることから、様々な憶測があるようである。
いずれにしてもウクライナが欧州有数のシェールガス開発ポテンシャルを持っており、一方でウクライナの国内を走るパイプラインは、ロシアが昨年からウクライナ経由の輸送量を絞る前には、ロシア産の天然ガスをEU諸国に年間約800億m³運んで、年間30億ドルの通行料を得ている注10) という事実を考えあわせると、今後ロシアがノルドストリーム2パイプラインの完成でウクライナ経由の欧州へのガス輸出を停止すれば、ウクライナは巨額の通行料収入を失うことになる。そこで、ウクライナが仮に大量のシェールガスを(米国の支援をうけて)国産開発し、パイプライン網を拡張して既存のパイプラインに接続してEUに供給できれば、ウクライナにとっては巨額の輸出収入を獲得できるだけではなく、EUの経済パートナーとしての地位を確保することができることになる。
ただ、ウクライナにおけるシェールガス開発について、最近の情報や報道はほとんど見られず、経済性も含めて現状がどうなっているのかについては実態がよくわからない。実際にはシェールガス開発ポテンシャルの高いとされる東部地域や、黒海海底ガス田が指摘されているクリミア半島近辺のいずれも、2014年のロシアによるクリミア併合以降、紛争地域となっていて、ロシアの政治的な影響力が高い地域という事情もあり、また環境懸念によるシェール開発への地域住民の反対運動もあって、資源開発自体が停滞している可能性もあろう注11) 。
一方、これをロシアの立場からみれば、ウクライナのパイプラインを経由してEUに輸出されるロシア産ガスの割合は、90年に85%だったものの、ウクライナを迂回するノルドストリームパイプラインの稼働により、18年には41%にまで低下し注12) 、さらに今般ノルドストリーム2が完成することで、ウクライナ経由の輸出ルート量が減少することになる。ウクライナにとっては収入減になる問題が出てきた。(その後ウクライナ侵攻への反発から、ドイツがノルドストリーム2の稼働を否定するといった事態は、ロシアにとって想定外だったのではないだろうか)。一方で、親ウクライナの旗色を鮮明にする米バイデン政権が、ウクライナのガス資源開発を支援し、ロシアの迂回で空きの出る同国のパイプラインを経由してEUに輸出するということが起きれば、ロシアによるEUへのエネルギー供給という政治的な(安全保障の)グリップを弱めることに繋がり、さらにはウクライナのEU経済圏への組み込みといった、ロシアからすれば「見たくない」事態に繋がる懸念も出てくる。こうしたことからプーチン大統領が疑心暗鬼になったことがウクライナ侵攻の背景にあったかもしれず、ウクライナ東部ドネツク地域等の分離独立を要求しているのも、ロシアの主要輸出品である化石資源埋蔵地域をウクライナから奪取するという思惑も働いているのかもしれない。ただ、脱ロシアの議論の中でも、シェールガスについては英国での開発(これも現状難しいようだが)以外は登場していないので、この考えは現実的ではないかもしれない。
もっとも、欧州委員会は今年の2月に発表したEUタクソノミーにおいて、天然ガスの利用について、「2035年末までに再生可能あるいは低炭素ガスの使用に完全に切り替える」という規則を打ち出している。このルールがそのまま適用されるとすると、天然ガスは脱炭素の移行期のエネルギーとして当面は使い続けるものの、35年にはそのままでは使えなくなり、ウクライナがかつて考えた、(米国の支援で)巨額の投資を行ってシェールガス開発を進めてEUとの連携を強めるというシナリオは、成り立たなくなるリスクが生じている。一方、ウクライナのシェール開発自体についても、その実現性や、経済性、規模感についての専門的な知見は筆者にはなく、本稿はあくまで過去の報道やレポートにある情報に基づいて論じたものであり、それらの情報の真偽についても定かではない。ただ、ロシアとウクライナの間には従来から天然ガスとパイプラインを巡る紛争が存在しており、本稿は、それをシェール革命によるウクライナ国産ガス開発の可能性の出現と、シェールの旗手である米国のウクライナへの肩入れが助長したのかもしれない、という仮説を展開させていただいたものである。
- 注3)
- 引用した記事では2位がノルウェーとされていたが、EIAデータによると2位はポーランドのようである。
- 注7)
- 英国やドイツなど欧州の多くの地域でシェール開発は環境破壊につながるとして「禁止」されている。
- 注8)
- 2022年3月13日付日本掲載新聞朝刊
- 注11)
- 2016年以降、ウクライナの国営資源会社Naftgazによって253のガス田で464箇所の「フラッキング(hydraulic fracturing)」によるガス掘削が行われているという情報もある。反対の多いシェール開発と正式に言わずにフラッキングという技術だけ公表しているという。