欧州ガスパイプラインの歴史的背景(その3)


ジャーナリスト

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 今回も、ロシアの天然ガスパイプラインをめぐるヨーロッパ―ロシア関係史の続きである。これまでと同様、専門書Thane Gustafson, The Bridge: Natural Gas in a Redivided Europe, Harvard University Press, 2020に沿って話を進める。今回はロシアーウクライナの関係に絞ったガス抗争史である。


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Kichigin/Ⓒ iStock

 近年、欧州のガスパイプラインをめぐり世界の耳目を最も集めたのは、ロシアがウクライナへのガス供給を停止し、そのために欧州でガス供給量の減少が起きた出来事だろう。欧州へのロシア天然ガスのかなりの部分が、ウクライナ経由のトランジットで供給されるために、問題は欧州全体にすぐに拡大する。さらに、ロシアと旧ソ連諸国の関係という政治的要素も加わり、複雑な様相を呈する。
 ソ連時代、ロシアとウクライナは同じ国だったから当然、ガス事業は一体のものとして発展した。しかし、ソ連崩壊によってガス事業は、ガスが存在するロシアと、パイプが存在するウクライナという、相互に依存しながら利害得失が異なる二つの組織に、一夜にして分裂した。もちろん、それはいわば紙の上だけの出来事であり、ロシアとの「スラブの兄弟」関係から独立し、欧米への接近を図るウクライナと、ウクライナを勢力圏に止めたいロシアとの間で、30年以上にわたり、Gustafsonの言葉を使えば、「長くて難しい離婚プロセス」が続いた。
 その期間は大きく3期に分けられる。1991~1999年、2000~2013年、2014~2020年である。
 まず第1期は、ソ連システムは崩壊したが、現実にはソ連時代からの継続性の側面が強かった時期である。ウクライナのクチマ(Leonid Kuchma)大統領は欧米との関係強化を目指したが、ロシアとの関係も悪化させないように配慮したバランス外交を行った。
 ガス価格が上がったこともあり、ロシアの国営天然ガス会社「ガスプロム」は、ウクライナの国営ガス会社「ナフトガス」に対して、ソ連時代と同様、格安の「兄弟(brotherly)価格」での供給を継続し、またかなりの部分がバーター取引だった。
 ただ、経済混乱から、1997年までにウクライナのGDPは3分の2以下にまで縮小した。ウクライナの対ロシアの負債は増え続けた。ガスプロムはパイプラインの一部の管理を渡すように圧力をかけ続けたが、ウクライナは国家主権に対する侵害という理由で拒否し続けた。
 ロシアはウクライナに対し疑心暗鬼であり、すでにこの時期、バイパスの建設計画に着手していた。一つはベラルーシ、ポーランドを経由するパイプラインであり、もう一つは黒海の海底パイプラインだった。
 第2期の2000年代初頭、ロシア大統領に就いたばかりのプーチン(Vladimir Putin)はクチマとの良好な関係を保った。両者はガス事業に関する法規に基づかない関係を清算し、ウクライナのパイプラインを管理する合弁企業の設立を試みた。
 しかし、その関係は2004年の「オレンジ革命」で一変する。この年の大統領選挙で、親欧米派のユシチェンコ(Viktor Juscenko)に対して、ロシアは親ロシア派のヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)を当選させるべく露骨な選挙干渉を行った。一度はヤヌコビッチが勝利したが、ユシチェンコ側が選挙不正を訴え、やり直しの結果、ユシチェンコ政権が発足した。
 ウクライナに親欧米の政権が誕生した以上、ロシアにはそれまでのような優遇措置を取る理由がなくなった。ガスプロムは、2005年からウクライナに対するガス料金の値上げを始めた。2005年に1000立方メートル当たり44ドルだったのが、2009年には232ドルにまで上昇した。
 この時期もガスプロムは、ウクライナを通過するパイプラインの管理権限を繰り返し求めたが、ウクライナ側は拒否した。これを直接のきっかけに、2006年始め、ウクライナへのガス供給を停止した。ハンガリーへの供給量は40%減、フランス、イタリアも25%減となるなど、ヨーロッパ全体に大きな影響を与えた。
 このときの供給停止は、1月4日にガスプロムとナフトガスが新規の5年契約を結び、3日間で終結したが、両国の対立関係が解消されたわけではなかった。
 2009年1月1日、ガスプロムは再びウクライナへの供給を停止する。このときはガス供給量が元にもどるまでに20日かかった。国際社会からの圧力で両ガス会社がようやく交渉のテーブルに着き、11年契約を結びようやく供給が再開した。
 この間、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーなどの東欧の10か国にはガス供給量が減少し、工場操業や暖房に大きな影響が出た。ただ、西欧諸国は相互にガスを融通する体制や備蓄が進んでいたため、ほとんど影響を受けなかった。むしろ信頼できる供給者としての定評を失ったガスプロムへの打撃の方が大きかった。
 2010年のウクライナ大統領選挙では、親ロシア派のヤヌコビッチが当選する。11年契約は内容が暴露され、不正があったと報じられた。首相として交渉に当たった、ユシチェンコと並ぶオレンジ革命の立役者だった女性政治家ティモシェンコ(Yulia Tymoshenko)は、ヤヌコビッチによって汚職の罪で収監された。
 プーチンは親ロシア派政権の誕生を好機とみて、ウクライナを再び勢力圏に取り込もうとした。ヤヌコヴィチはロシアからの圧力もあり、2013年に仮調印していた欧州連合(EU)との政治・貿易協定の調印を見送った。これをきっかけに親欧米派の野党勢力が大規模な反政府デモを組織し、2014年2月にはキエフ中心部の「ユーロマイダン」(欧州広場)で大規模な武力衝突が起きた。ヤヌコビッチは逃亡し、騒乱は親欧米派の勝利に終わった。
 ロシアはガス供給をストップするとの脅しをかけた。さらにクリミアを併合し、親ロシア武装勢力がウクライナ東部2州の一部を武力占拠し、ウクライナ軍との間で武力紛争が起きたことは記憶に新しい。未だに武力紛争は続いており、欧米の対ロシア制裁も継続している。
 第3期はこうして始まったが、当然ながら新政権とロシアとの関係は悪化した。しかし、皮肉なことにそのことが、天然ガス事業でのいびつな依存関係の清算を加速させる。
 ウクライナは西側からのガス「逆輸入」を増やし、ロシアはウクライナを迂回する「ノルトストリーム2」や、黒海の海底パイプライン「トルコストリーム」などの建設を急いだ。欧州に輸出されるガスのうち、ウクライナを通過するパイプラインによるガスの割合は、1990年には85%だったのが、2018年には41%にまで低下した。
 またウクライナのポロシェンコ(Petro Poroshenko)大統領はガス産業の民営化、自由化も進めた。国際通貨基金(IMF)からガス産業分野での改革を求められており、経済支援を受けるためには待ったなしの課題でもあった。2015年には改革の土台となる「枠組み法」が議会で採択され、①価格②輸入政策③産業構造④ガス田開発――の4分野で改革の土台がしかれた。
 同法に基づき、工場、学校、病院などに対する低価格での供給は、一挙に市場価格に修正された。いわゆるショック療法だが、一般国民の反発は強く、大きな打撃を受ける低所得世帯へは政府が直接現金を支給し、家庭向けや地域暖房に対するガス料金値上げは徐々に行わざるを得なかった。とはいえ価格改革の効果は著しく、ナフトガスは採算を大きく改善し、同社からの税収で政府財政も改善した。
 輸入政策は、ロシアからヨーロッパに送られたガスを「逆輸入」することで、ロシアに対する直接的な依存度を低めることを狙った。ロシアはこれに対し、その分のガス供給を少なくすることで阻止しようとしたがうまくいかなかった。
 産業構造の改革とはガスの輸送部門と販売部門の分離である。ナフトガスは抵抗したが、欧州委員会、世銀、米国務省などの連名で2018年、構造改革を急ぐように異例の書簡がウクライナ政府に送られ、ようやく輸送だけを扱う会社「ウクライナ・ガスパイプライン」が発足した。
 ガス田開発に関しては、ウクライナ国内でも50年間ガスを供給できるだけの埋蔵量が発見されているが、これまでガス価格が低く抑えられていたため投資が行われてこなかった。価格改革の結果、採算が取れるようになり、また低額の鉱区使用料を定めた法律なども定められたが、これまでのところ、外国投資を呼び込むには至っていない。外国投資家から改革が持続的なものとの確信を得るまでには至っていないからという。


ウクライナのロシア天然ガス輸入量などの変化
出典:The Bridge: Natural Gas in a Redivided Europe

 Gustafsonは、過去30年間のロシアーウクライナ関係の正常化の困難さは、一言で言えばソ連時代の負の遺産の処理の困難さだったと指摘している。両国は戦争状態となりながらも、ガス事業では関係が継続したことは、むしろ驚くべきことかも知れない。ソ連時代の関係がそう易々とは断ち切れないほど深いことを物語っているのだろう。
 ウクライナのガス事業改革は道半ばであり、ロシアから得ている通過料収入を失いたくない事情もある。ロシアへのいびつな依存関係は当面続き、両国がガス事業分野で正常な関係を築くにはまだ時間がかかりそうである。
 ただ、Gustafsonは両国関係の長期的傾向に関して、ロシアにとってこれまで求めてきたウクライナのパイプライン管理に利益はなくなった、と指摘している。「ノルトストリーム2」は完成間近であり、長期的な趨勢で言えば、ロシアとウクライナのガス事業は分離していく。
 ロシアはウクライナ経由のガス供給を、ウクライナの新欧米派を牽制し、欧州の分断を誘う政治的手段として使ってきたという見方も強い。ただ、Gustafsonの見立ては、ロシアもウクライナを迂回し、欧州へ安定的にガス供給をすることが長期的には国益にかなうと見ている、ということのようだ。
 ロシアーウクライナ関係をたどるだけでかなりの紙幅を費やしてしまった。ガスパイプライン史はもう1回追加し、ロシアードイツ関係史をまとめて最終回としたい。