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欧州ガスパイプラインの歴史的背景


読売新聞編集委員


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 この欄では過去2回、ロシアからヨーロッパに天然ガスを供給する海底パイプライン「ノルトストリーム2」建設問題を取り上げた。

http://ieei.or.jp/2018/08/special201704009/
http://ieei.or.jp/2020/10/special201704023/

 今回はそもそもヨーロッパ、そしてロシアにとってエネルギーとしての天然ガスはどんな政治、経済的な意味を持ってきたのか、その歴史を一冊の本を手がかりに考えてみたい。
 本題に入る前に、最新の「ノルトストリーム2」の現状について簡単に触れたい。
 トランプ前米政権が制裁の脅しをかけて工事を中断させたところまで、前回の記事は取り上げたが、まず敷設工事は、昨年(2020年)12月、最大の出資者であるロシアのガス事業会社「ガスプロム」が敷設船を派遣し、約1年ぶりに再開された。さらに、選挙期間中、建設反対の立場を明らかにしていたバイデン新大統領だが、政府報道官が「大統領は引き続きガスパイプラインはヨーロッパにとって良くない取引(ディール)と考えている」と述べ、就任後も立場に変更がないことを明らかにした。
 こうした動きに呼応して、ドイツでも議論が再燃している。週刊誌「シュピーゲル」(1月30日号)は巻頭の論説で、「ノルトストリーム2」建設反対を打ち出した。「パイプラインはロシアに利益をもたらす。それは(クリミア併合やウクライナ東部への軍事介入に対抗し)ロシアに対して制裁を行っているヨーロッパの精神に反する」「温室効果ガス排出の目標値を堅持しようとすれば、天然ガスの消費量は(今後)減少する」などの理由である。
 メルケル政権与党・キリスト教民主同盟(CDU)の新党首に1月、選出されたノルトライン・ヴェストファーレン州首相アルミン・ラシェットは建設継続を主張し、他方、野党「緑の党」は、ロシアとの経済関係強化反対や気候変動問題を理由に建設反対の姿勢を打ち出している。
 2月中旬の段階で建設工事は継続している。もう敷設工事は総延長の94%以上完成しているから、このままロシア、ドイツ政府が建設を中止させることはないだろう。
 現在米―ドイツ間で妥協案が模索されているという。ロシアがウクライナに対して政治的圧力をかけるためガス供給を止めるならば、ドイツは「ノルトストリーム2」からの供給を受けないようにする、との内容で、ウクライナへ配慮した措置だ。現在細部が詰められていると報じられているが、今後折を見て報告したい。
 さて、先に述べた一冊の本とは、Thane Gustafson, The Bridge: Natural Gas in a Redivided Europe, Harvard University Press, 2020である。
 Gustafsonは米ジョージタウン大学の政治学教授(Professor of Government)で、主にロシア(ソ連)のエネルギー政策を専門にしてきた研究者のようだ。ヨーロッパとロシアの天然ガスの歴史が詳述され、興味深い本である。
 現在、EUの天然ガス輸入量の約4割がロシアからであり、今後も輸入量は増えるだろう。本書によれば、ソ連産天然ガスのヨーロッパへのパイプライン事業が開始されたのは1960年代で、今ではロシア、ヨーロッパにパイプラインが張り巡らされている。過去50年間における、エネルギー分野における技術および商業上の最大の達成だった、という。
 ただ、この結びつきはヨーロッパとアメリカ間の対立の原因ともなった。
 1981年に発足したレーガン米政権は、①依存度を高めることはソ連によって政治的なテコに使われる②ソ連に外貨を提供することになる、――という理由でパイプライン建設に反対した。そして、建設用の圧縮機などの輸出を禁止し、違反者には制裁を課すとの行政命令を出した。85年のボン・サミットでは議題に取り上げられ、冷戦下では米欧間の最も深刻な危機の一つだった。しかし、計画は進められた。
 現在の「ノルトストリーム2」をめぐる欧米対立の構図と基本的には変わっていないことに気づかされる。歴史を振り返ることに大きな意味があると改めて感じる。
 さて、本書によれば、石油とガスは本質的な違いが存する。石油は輸送が容易で、世界市場が形成されており、生産者、消費者の関係は基本的に市場を通じてのものである。ガスは輸送が難しく、液化天然ガス(LNG)を除きほとんどがパイプラインで供給される。ガス採掘施設やパイプラインの計画と建設には20年かかり、半世紀間使われる。経由国も含め相互依存関係は深い。生産者、消費者間には長期の友情も生まれるが、両者が政治的に対等でないときには、敵意や腐敗も生まれる。
 当初天然ガスは石油採掘の副産物として燃やされていた。1880年代の初め、米国ペンシルベニア州のピュー家が油田の動力としてガスを売り始め、1883年にはピッツバーグにパイプラインを引いたのが世界で最初である。これは西ヨーロッパで最初のパイプラインが引かれる半世紀前のことだった。
 1950年代まで西ヨーロッパのガスは、都市中心部に位置していた小規模なガス製造所の「都市ガス(town gas)」か、製鉄の過程で副産物として発生する「コークガス(coke gas)」によってまかなわれていた。フランスには「都市ガス」製造所は700か所以上もあり、非効率で大気汚染を引き起こした。一方、ルール工業地帯を中心に製鉄所からの「コークガス」を供給するパイプラインが敷設され、ドイツのガス供給の3分の1を担っていた。天然ガスは今でこそ化石燃料として環境団体から敵視されるが、1960年代、環境汚染を引き起こさず、スイッチ一つで使える台所やシャワーを可能とした夢のような燃料だった。
 ロンドン名物とも言われた濃霧(pea-souper fog)にずっと悩まされて来た英国では1962年にも、全土に4日間影響を与えた大規模な濃霧が発生した。ただこれを最後に、1967年から石炭から天然ガスへの切り替えが開始されたことで、ようやく大気汚染から解放される。
 西ヨーロッパの天然ガスへの転換は徐々に訪れた。1950年代にオランダ、次いで1965年に北海で海底ガスが発見され、ノルウェー、西シベリア、アルジェリアでの発見が続いた。また技術進歩により数1000km離れた場所にパイプラインで送っても、石油や石炭と価格面で十分競争できるようになった。
 一方、ソ連のガス産業というと、極めて後進的で、第2次世界大戦終了した時、モスクワにはガス製造所は1か所しかなかった。そのことが逆に、最初から天然ガスの開発を前提にできたメリットもあった。
 ソ連のガス産業は1950年代から始まった。第2次世界大戦でソ連が占領したガリツィア地方(後にポーランドとソ連ウクライナ共和国領になる)には、20世紀初めに発見されたガス田があり、そこからキエフまで建設されたのが、ソ連の最初の本格的なパイプラインである。その後モスクワまで延伸し、またコーカサス、中央アジアで新たなガス田が開発されていった。
 ソ連の石油産業は、1953年に指導者スターリンが死ぬまで、治安・諜報機関である内部人民委員部(NKVD、後の国家保安委員会=KGB)の管轄下にあった。日本の我々にとっては考えられないが、スターリンにとって石油産業がいかに重要だったかを示すものだろう。
 スターリン死後、ソ連指導者となったフルシチョフは、スターリンが石油偏重だったのとは違い、ガスの未来を信じていた。スターリン批判で有名な1956年の第20回共産党大会だが、フルシチョフはこの大会で野心的なガス産業の計画を発表した。
 1960年代に西シベリアの石油、ガス開発が始まった。地質学者が北へと向かい、巨大な油田、ガス田を発見して行った。ただ、油田のさらに北方に位置し、気候条件などが過酷だったため、ガス田開発は一層困難を伴った。それでも1966年、ウラル山脈を越えてウラル地域の工業地帯に供給するパイプラインが建設された。ソ連圏の経済協力機構「コメコン」(経済相互援助会議)加盟諸国間に「友愛ガスパイプライン」が1960年代を通じて建設されていった。ソ連のガス生産量は、1955年の90億m3から1970年の1980億m3に飛躍的に増大した。
 ただ、ソ連体制は軍事優先であり、パイプ生産よりも兵器生産が優先された。ソ連のガス産業にとって西側からのパイプや技術の導入は不可欠だったが外貨がない。可能にする方途は、ガスを輸出して外貨を稼ぐことである。
 ソ連の担当者は調査団を派遣して、イタリアの国営石油・ガス会社ENIと、ハンガリーやユーゴスラビアを経由してイタリアに至るパイプライン計画を打診したりした。ソ連指導部は、西シベリアのガス埋蔵量がはっきりしないことなどもあり、当初懐疑的だったが、ようやく担当者に説得され、1967年、西シベリアからのパイプラインによるガス輸出計画を承認する布告を出した。


出典:GAZPROMのサイトより

 ソ連代表団がウィーン近郊のヘルンシュタイン城に来て、最初のガス契約の話し合いを行ったのは同じ年である。オーストリアが永世中立国であること、1945年から55年までソ連により国営石油会社が接収されていたこと、すでにチェコスロバキアからガスを輸入していたこと、などの背景があり、最初の交渉相手国となった。交渉は1968年6月に合意に達し、チェコスロバキアを経由して9月からガスの供給が始まった。これが東西の天然ガス事業が結びつく画期となった。
 この東から西へのガス供給が始まったのは、折しもチェコスロバキアで自由化運動「プラハの春」が燃えさかっていたときである。冷戦期なのにもかかわらず、パイプライン建設は政治にほとんど左右されず進められたことは興味深い。
 ソ連はもちろんのこと、西側諸国においてもガス事業は独占の世界であり、エリートの専門家間の長期契約に基づく事業、担当者は「ガスクラブ」のメンバーとしてお互いによく知り、敬意を持ってつきあう関係だった側面が大きい、とGustafsonは書いている。冷戦の裏面史を見るようでもある。
 ソ連型計画経済は結局、西側の市場経済に敗北したが、それでもガス産業はソ連体制の最後の主要な成果だった、と評価されるという。ソ連崩壊後も遺産として残り、1990年代、ロシア経済が混乱しながらも何とか持ちこたえたのは、ガス産業のおかげだった。
 以降、東西ドイツの対立など興味深い歴史が続くが、ここで一旦区切って、以後の歴史は次回にまとめたい。



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