日本の水素戦略の展望と課題

── 2050年カーボンニュートラルの柱は電化・水素化


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(「環境管理」からの転載:2021年4月号)

 昨年12月、「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」が公表された。総花的である、あるいは、具体性がないといった批判の声も多く聞くが、30年後のカーボンニュートラルという壮大なチャレンジにはあらゆる技術の総動員が必要であり、その中で、脱炭素化に向けた戦略の柱として、電力部門の脱炭素化と電力部門以外(一部の燃料・原料。実質的に需要家側の対策)での「電化・水素化」が明確に掲げられたことは評価できると筆者は考えている。 
 特に重要なのは、需要対策の重要性を謳うたったことであり、これまでのエネルギー政策が供給対策に偏っていたことを鑑みれば、大きな政策転換と言えるだろう。供給側と需要側の対策を車の両輪に例える筆者からすればまだ需要側の議論が手薄であることは指摘せざるを得ないが、それでもこの変化を歓迎したい。
 しかし、今後この戦略を実装に向けた取り組みにブレークダウンしていかねばならない。こうした状況を受けて、現在、筆者が委員を拝命している経済産業省の水素・燃料電池戦略協議会では、水素技術に関わる企業に広くその技術展望やコスト見通し、必要とする政策的措置など幅広くヒアリングも行ったうえで、次期エネルギー基本計画や水素基本戦略の見直しを見据えて、議論を加速させている。戦略の中間とりまとめがみえてきたところで、改めて、わが国の水素戦略の展望と課題を整理したい。

わが国にとっての水素技術の意義

 昨年12月25日に公表された政府の成長戦略会議資料においては、水素は「発電・産業・運輸など幅広く活用されるカーボンニュートラルのキーテクノロジー」と表現されている。大幅な低炭素化のセオリーは、需要の電化と電源の低炭素化を同時並行で徹底的に進めることだ。既に本誌でもご紹介させていただいたが、筆者らが2017年9月に上梓した「エネルギー産業の2050年Utility3.0へのゲームチェンジ」(日本経済新聞出版社)で示した、2050年80%削減目標に向けた試算においては、陸上運輸や家庭・民生部門はもちろん産業においても100℃未満の熱はすべて電化した上で、その電力需要の65%を低炭素電源(大規模水力を含む再生可能エネルギーおよび原子力)で賄えば、72%程度のCO2削減が可能となることを示した。しかし、2050年に温室効果ガスの排出を実質ゼロにするためには、電化が難しい高温の熱需要や調整力を提供する火力発電の燃料として水素の活用が必須となるし、石油化学産業や鉄鋼業などの原材料としての化石燃料も水素で代替していかねばならない。
 加えて、わが国の再生可能エネルギーがまだ諸外国に比してコスト高であることや原子力発電の利用が非常に困難であることを考えると、水素活用の意義はより大きい。電化と電源の低炭素化というセオリーは進めつつ、水素の技術開発と普及も進めること、そしてわが国の企業が長年取り組んできた水素関連技術を国際的に普及させることでわが国の経済成長にも資することが期待されている。
 現時点では実証段階の技術も多く、技術開発の進展によるコストダウンがどの程度見込めるのかについても不透明な点が多い。あらゆる選択肢が検討されることになるだろう。2020年12月25日に公表された「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」注1)(以下、グリーン成長戦略)においては、14の重点産業を掲げているが、水素も当然含まれている。次章以降で、現状のグリーン成長戦略を含めた政府の水素戦略において筆者が留意すべきだと考える課題を中心に整理したい。

水素エネルギーとしてのアンモニア

 グリーン成長戦略の「エネルギー関連産業」には、燃料アンモニア産業と水素産業が並列で挙げられている。しかしアンモニアと水素は物質こそ違うものの、アンモニアは水素から合成するものであり、基本的には一体としてみるべきものだと筆者は考えている。
 水素は地球上でもっとも軽い元素であり、密度が小さい気体なので、運搬して利用するためにはキャリアと呼ばれる物質を必要とする。アンモニアはキャリアにもなるし、燃料として直接利用することもできるという利便性を持つ。また、化学肥料等の原料であるため国際的に既にサプライチェーンが確立されている。燃料アンモニア産業は水素のエネルギーキャリアとして液体水素よりもインフラが整っており、移行期に限定されるものではなく継続性のある有用な技術となるだろう。
 しかし、アンモニアは急性毒性を有する劇物に指定されているため(毒物及び劇物取締法)否定的な意見もあるが、しかし、着火温度が高い、火の回りが遅いといった特徴から、米国では可燃性・爆発性物質とは区分されていないという注2)。臭気が強いこともあり、安全性には十分な措置を講じたうえで、現在複数ある水素キャリアのなかから、コストダウンの見通しや技術の習熟度において一定の優位性を持つアンモニアから利用拡大が進む可能性は十分あると筆者は考えている。


表1/水素キャリアの特徴
出典:経済産業省 水素・燃料電池戦略協議会 中間とりまとめ(案)

 また、水素産業では液体水素の運搬船が例示されているが、アンモニア運搬船の方が技術的にハードルは低いとされる。荷揚げ後にアンモニアを熱分解して脱水素させる方法もあるので、輸送の観点で合理性の高い手段がどちらなのか比較を行う必要がある。
 加えて、⑦の船舶産業におけるカーボンニュートラルに向けた関連産業をみれば、アンモニアが舶用燃料としても期待されていることがわかる注3)。もちろん陸上交通と同じく船舶燃料も適材適所で活用されるべきではあるが、500tを超えるような貨物船やコンテナ船などのような船舶では、アンモニア焚きが現実的だとされる。であれば、燃料アンモニアを「移行期の燃料」とするのはちぐはぐな印象を受ける。上流(供給)から下流(需要)までを俯瞰して技術の優位性を判断せねば、政策全体として効率的なカーボンニュートラルへの戦略にならなくなってしまう。いずれにしても、グリーン成長戦略の実行段階においては、水素エネルギー全体の中で得失をよく精査すべきである。

どのようにコストダウンを進めるのか

 エネルギーはどこまでいっても手段であり、コスト次第であることはエネルギー政策に関わる者には当然認識されている。しばしばメディア等で「コストの問題もあるが」といった軽い表現で語られるのを目にするが、コストは需要家の採用意志決定を左右する極めて重要な要素だ。わずかばかりの追加負担であっても、導入阻害要因としては十分な理由になる2017年に世界に先駆けて公表されたわが国の水素戦略と、昨年公表されたEUの水素戦略注4)を比較してみることで、コストダウンに向けた道筋を考えてみたい。
 わが国が2017年に定めた水素戦略では、フェーズ1(2017年~)において、定置用燃料電池やFCVの普及による水素利用拡大を進め、フェーズ2(2020年代後半~)において水素発電や大規模供給システムの確立を進め、フェーズ3(2040年頃)にトータルでのCO2フリー水素供給システムの確立を図るとしていた。初期段階では消費者に近いところから水素技術を導入していったことがわかる。
 これに対してEUが昨年公表した水素戦略では、フェーズ1(2020~24年)は石油精製・化学産業等の既存産業のクリーン化や一部商用車(バスなど)の需要開拓、フェーズ2(2025~30年)は鉄鋼産業や運輸部門の一部(トラックなど)への拡大、そしてフェーズ3(2030~50年)には、残りの運輸部門(航空や船舶など)やあらゆる産業における水素利用を実現し、再エネ水素への移行を終えるという構想になっている。フェーズ1に関する記述をもう少し詳しくご紹介すれば、「この段階では、大型のもの(最大100MW)を含む電気分解設備の製造規模を拡大する必要がある。これらの電気分解設備は、大規模な製油所、製鉄所、化学コンビナートの既存の需要センターに隣接して設置される可能性がある(筆者訳)」としている。
 わが国は、定置用燃料電池やFCVなど消費者に近い水素技術の開発で先行し、その優位性を活かすことが考えられたのであるが、しかし、水素製造のコストなどを急速に低下させるには、BtoBの大規模な利用を進め、その後BtoCへと拡大する方がより早道であったかもしれない。輸送についても、欧州は既存のガスパイプラインの活用を考えており、水素エネルギーのロジスティクスに関する追加投資をかなり抑制できる可能性がある。わが国ではガス管の有効利用に向けカーボンリサイクルメタン(メタネーションメタン)を優先するという、欧州とは異なる手段が議論されている。需要側の機器の多くがそのまま利活用できる点で需要側での追加投資が抑制されるものの、カーボンリサイクルとはいえ、メタンを燃焼すればCO2が排出される。カーボンリサイクルメタンがCO2を排出しない燃料であると国際標準で認められるよう、政府や関係諸団体が働きかけていくことが必須だ。
 こうしたことも含めて、わが国が今後、国際的な水素のコストダウン競争に伍していくためには、まさにここからの戦略が問われる。
 前章で述べたように、上流(供給)から下流(需要)までを俯瞰した水素エネルギー利用を考えることが必要だろう。水素エネルギーは運搬に、あるいは、水素・燃料電池戦略協議会の中間とりまとめで強く意識されているように既存インフラを活用することが重要だ。例えば発電分野への水素・アンモニア利用については、既存のガスタービン発電設備の多くが流用できるし、既存のガス導管にメタネーションによる合成メタン等の注入量を増加させる標準熱量制の導入については経済産業省の「2050年に向けたガス事業の在り方研究会」注5)で議論が進展している。当面はガス導管の利用(水素の混入)や、将来的には工業地帯ではガス管を水素配管に転用することで臨海部の高度化を図るなど、既存の化石燃料需要の転換とセットで検討する必要があるだろう。こうした議論の一つひとつを着実に進展させなければコスト低減は実現しない。


図1/グリーン成長戦略 分野ごとの実行計画
出典:2050 年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略

どのように水素をつくるのか

 本誌読者の皆様には釈迦に説法だが、水素は多様な手段でつくることができる。ゼロエミッション電気による水の電気分解、石油製油所や製鉄所などで発生する副生水素(現在国内では、約193.2万t/年程度副生水素が製造等されているとされる)、そして化石燃料の改質だ。IEAの“The Future of Hydrogen”の整理を参照すれば、“Black”は石炭“,grey”は天然ガス、“brown”はリグナイトにそれぞれ由来する水素を言う。“Blue”は化石燃料由来ではあるものの、CCUSによってCO2排出を抑制した水素、そして“Green”は再生可能エネルギー由来の電気で製造した水素とされている。
 バイオマスと原子力の電気を使った水素は色分けがされていない。これは極めて欧州的な考え方だといえるだろう。欧州が近年急速に水素利用への関心を高めているのは、風力発電を中心とする再生可能エネルギーの導入が進んだことで、その余剰の吸収手段が必要になっているという現実的な背景が大きく作用している。しかしすべての国がそうした状況に至っているわけでも、至ることが可能なわけでもない。
 環境省が公表した「わが国の再生可能エネルギー導入ポテンシャル」注6)では、現在のわが国の電力需要の最大2倍程度のポテンシャルが存在するとされている。これも一つの試算ではあるが、ポテンシャルの主力とされる洋上風力について、再エネ海域利用法に基づいて対象海域の詳細な分析を加えると、環境省の示すポテンシャルの2割程度しか期待できないという分析注7)も行われている。国内の再生可能エネルギーを増やすには、排他的経済水域内を広くウィンドファームとしてしまうなど、これまでの延長線上にはない発想が求められるだろう。
 もちろん、直流送電が費用対効果として有利である距離も限られることや、海洋上にわが国の電源設備をさらしてしまうことの安全保障のリスクも考えねばならないので、短絡的にこのアイディアを推奨するわけではないが、2050年のカーボンニュートラルを実現するハードルはわが国においては他国よりも高いことを自覚し、わが国なりのやり方を考えていかねばならないということだ。少なくとも水素戦略の最終形とされる再エネによる余剰電力が大量に入手できるようになるのは、かなり困難で長期を要するとの覚悟しておく必要がある。
 それであれば、わが国の2017年の水素戦略で、ブルー水素とグリーン水素を平等に取り扱ったことは大前提であり、さらに再生可能エネルギーと並ぶ重要なゼロエミッション電源である原子力とどう向き合うのかという問いにも向き合う必要がある。より端的にいえば、原子力の利用に伴うリスクか、気候変動のリスクかという問いを、欧州や米国などよりもシビアに突き付けられているといっても良いだろう。
 現在見直しが進むエネルギー基本計画において、原子力についてのどう言及するか頭を悩ませている政府関係者も多いであろうが、IEAやEUが示すように水素に関連しても原子力をどう考えるかは一つの要素であろう。
 お気づきの読者もいらっしゃるかと思うが、原子力発電と記載せずに「原子力」と表記した。原子力は電力会社の技術として狭義に扱われてきたが、原子力発電は原子力による「熱」を利用しているに過ぎない。原子力の熱で水を沸騰させてその蒸気で発電機を稼働させているのである。水素は水の電気分解でも製造できるが、より高温の熱供給があれば水から熱分解で直接水素を製造することも可能だ。これを利用しようとするのが高温ガス炉による水素製造だ。すなわち、原子力は電気も、水素というガス体エネルギーもつくることができるのである。内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」等による検討で技術的な課題が多数あることも明らかにはなっているが、カーボンニュートラル社会の実現に向けた電化・水素化を進めるのであれば、ガス事業としての原子力利用も含め、日本のエネルギー政策を、既存概念を外して議論する必要があろう。
 新しい技術への期待を記すだけでは課題を未来に先送りしているに過ぎない。2050年カーボンニュートラルに向けての学術界や産業界からの幅広い知識の提供と、政府の覚悟が求められる。

まとめとして

 水素関連技術については、まだ実験・実証段階のものが多い。例えば水素還元製鉄もその一つで、若干報道やイメージが先行している感もある。炭素集約型産業である鉄鋼産業には金融界から強い期待やプレッシャーがかけられていることもあってか、海外の鉄鋼会社からは間もなく実現できる技術という雰囲気で話を伺うことも多い。わが国の報道もその傾向が強いが注8)、小規模な実証プラントで成功した技術を、商業プラントの規模にしていくためにはかなり時間がかかることを認識せねばならない。大小さまざまな課題が出てくるので、それらにも目配りをして解決していかなければならない。水素還元製鉄についていえば、例えば純度の高い鉄鉱石の取り合いになることが懸念されている。高炉だと、鉄鉱石の中の不純物は溶けてスラグとして浮かぶが、直接還元だと溶けないので不純物を抜くことができない。そのため、相当純度の高い鉄鉱石が必要とされるというわけだ。こうした課題も解決する必要がある。
 しかし、総論としてカーボンニュートラルを目指すのであれば水素技術の活用は必須であり、わが国は他国に先んじて水素の技術開発に取り組んできた強みもある。政府が横断的なイノベーション創出を目的に立ち上げた内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」でも第1期(2014~18年)から水素は主要テーマとされてきた。民間企業で長年R&Dを続けてきた例も多い。今後は特に、最終エネルギー消費の約7割を占める燃料の直接燃焼の需要を化石燃料から代替する水素技術の開発・普及に注力することを期待したい。山梨県米倉山や福島県浪江町など、世界に先駆けた事例もある。
 これほどの社会変革であるので課題が山積しているのはむしろ当然のことだ。2050年カーボンニュートラルをわが国の成長戦略とするために、新たなわが国の水素戦略に期待したい。

追記: 本年3 月上梓された「カーボンニュートラル実行戦略電化と水素、アンモニア」(エネルギーフォーラム社)は、わが国のカーボンニュートラルを実現に向け、電気および水素エネルギーの活用を現実的かつビジョナリーに示す良書である。本稿執筆に関しても参考文献として活用させていただき感謝申し上げるとともに、読者の皆様にもご一読を推奨したい。

注1)
https://www.meti.go.jp/shingikai/energy_environment/suiso_nenryo/pdf/019_01_00.pdf
注2)
「カーボンニュートラル実行戦略電化と水素、アンモニア」(エネルギーフォーラム社)
注3)
昨年6月、伊藤忠商事株式会社が、シンガポールでのアンモニア燃料の舶用供給に関するサプライチェーン構築に関する共同研究に取り組んでいくことに、石油製品、化学製品の世界有数の物流販売会社のシンガポール法人であるVOPAK Terminal Singapore Pte Ltdと合意したと公表している。
https://www.itochu.co.jp/ja/news/press/2020/200612.html
注4)
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:52020DC0301
注5)
https://www.meti.go.jp/shingikai/energy_environment/2050_gas_jigyo/index.html
注6)
http://www.renewable-energy-potential.env.go.jp/RenewableEnergy/doc/gaiyou3.pdf
注7)
電力中央研究所社会経済研究所尾羽秀晃氏「洋上風力発電の現実的な導入ポテンシャルの考え方と利用可能な海域は?」
https://criepi.denken.or.jp/jp/serc/denki/2019/191106.html
注8)
例えば2020年12月28日日本経済新聞「三菱重工が水素製鉄設備CO2排出ゼロ、21年に欧州で」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ070HI0X01C20A2000000/
記事中にある各社のプラント計画はすべて、極めて小規模な実証プラントである。