第13話「核セキュリティ」
加納 雄大
在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使
核セキュリティ・サミットからIAEA核セキュリティ国際会議へ
(核セキュリティ・サミット)
過去8年間にわたり、核セキュリティ分野における国際協力を主導してきたのが米国のオバマ政権であることは論をまたない。
前述したように、2001年の9・11米国同時多発テロが核セキュリティを強化する大きな契機となったことから、オバマ政権以前にも、前述の核テロ防止条約や核物質防護条約の改正の採択に代表されるように、核セキュリティ強化の国際的取り組みはなされてきた。
しかしながら、技術的・専門的であり、どちらかというと「地味な」分野である核セキュリティに焦点をあてて、高い政治レベルの課題に引き上げたのは、オバマ政権の貢献と言える。その主たる舞台となったのが、2009年4月のプラハ演説でオバマ大統領が提唱した核セキュリティ・サミットである。日本においては、このプラハ演説は「核なき世界」を目指すオバマ大統領の核軍縮推進の決意を表明したものとして知られる。しかしながら、同演説は、核軍縮を長期的な目標とする一方、核セキュリティ強化は早急に取り組むべき現実の課題であるとした。個別の政策分野に特化した首脳レベルの会合が開かれることは異例であり、この問題に対するオバマ政権の強い意気込みを示したものである。
プラハで演説を行うオバマ大統領(写真出典:Website of US Embassy in the Czech Republic (photo Tomas Krist))
これまで核セキュリティ・サミットは、2010年(ワシントンDC)、2012年(ソウル)、2014年(ハーグ)、2016年(ワシントンDC)と計4回の会合が開かれ、核・放射線テロの脅威についての国際社会の認識を高めるとともに、核セキュリティにおける多くの具体的成果を出してきた。もっとも、米ロ関係の悪化を背景にロシアが2016年の米国核セキュリティ・サミットには不参加となったことや、IAEAの場に比べて参加国が限定されているとの批判が寄せられてきたのも事実である。
日本は、この核セキュリティ・サミットのプロセスを一つのテコとしながら、核セキュリティ対策を強化してきた。2010年にアジア初の人材育成の拠点として核不拡散・核セキュリティ総合支援センター(ISCN: Integrated Support Center for Nuclear Nonproliferation and Nuclear Security)を設立した。このISCNは、これまでの5年間で約3100名以上の専門家を受け入れている。また、2014年の第3回ハーグ核セキュリティ・サミットの際の日米首脳共同声明では、核テロのリスクを減じるための核物質の最小化の取り組みとして、日本原子力研究開発機構(JAEA)の高速炉臨界実験装置(FCA: Fast Critical Assembly)にある高濃縮ウラン燃料及びプルトニウム燃料の全量撤去・処分を表明し、撤去については予定を大幅に前倒しして完了したことを2016年の米国核セキュリティ・サミットで安倍総理が発表したところである。さらに、原子力施設で業務に従事する個人の信頼性確認制度の検討や、コンピューター・セキュリティ対策強化、核セキュリティ文化の醸成などを行ってきている。こうした自国の取り組みに加え、日本は核セキュリティ・サミットのプロセス全体にも貢献してきた。「バスケット提案方式」と呼ばれる、個別のテーマで有志国が具体的な取り組みを実施するアプローチにおいて、輸送セキュリティにおけるリード国を務めたのはその具体例である。
第4回核セキュリティ・サミット(写真出典:内閣広報室)
最後となった本年4月の第4回核セキュリティ・サミットのコミュニケでは、これまでのプロセスを総括しつつ、政治的モメンタムの維持と、この分野におけるIAEAの中心的役割に対する強い期待が示された。核セキュリティ強化の牽引者としての役割がIAEAに引き継がれることになったわけである。
(IAEAの役割)
核セキュリティ・サミット以前から、IAEAは核セキュリティで重要な役割を果たしてきた。1970年代初頭から、各国の要請に応じて核物質防護における技術支援を行ってきた。
第3話で紹介した原子力安全と異なり、IAEA憲章に核セキュリティに関する明文の規定はない。IAEAの核セキュリティ関連の活動は、IAEA憲章、理事会・総会での決議・決定やこれまでのプラクティス、国連安保理決議、関連国際条約を通じて、徐々に発展してきた。原子力安全と核セキュリティの親和性(前者は自然災害や人による意図せざる行為、後者は人による悪意をもった行為が原子力施設にもたらす事象を扱うが、その結果が人や環境に与える影響という点では共通するものがある)や、原子力分野全般における専門的知見から、IAEAが原子力安全と並んで核セキュリティで中心的役割を果たすのは自然の流れであったといえる。
特に2001年の9・11米国同時多発テロが大きな契機となった。テロ発生後の翌2002年、IAEAによる4年毎の「核セキュリティ計画(Nuclear Security Plan)」の作成が始まるとともに、この分野におけるIAEAの活動を支援するための核セキュリティ基金(Nuclear Security Fund)が新たに設立された。
核セキュリティ計画はこれまで4回にわたって作成されてきたが、その一環で発行されてきたのが、「核セキュリティ・シリーズ(Nuclear Security Series)」とよばれる文書である。これは、各国が核セキュリティ対策を強化していく上で指針となる文書であり、①「核セキュリティ基本文書(Nuclear Security Fundamentals)」(各国の核セキュリティ体制が備えるべき目的と主要な要素を規定)、②「核セキュリティ勧告文書(Nuclear Security Recommendations)」(各国に推奨される措置を規定)、③「実施指針(Implementing Guides)」、④「技術手引(Technical Guidance)」という重層構造になっている。第3話で紹介した原子力安全における「安全基準シリーズ(Safety Standards Series)」に似たところがある。2012年には、この核セキュリティ・シリーズの文書をレビューし内容を発展させるための提言を行う、各国専門家からなる「核セキュリティ・ガイダンス委員会(Nuclear Security Guidance Committee)」が設置された。
また、IAEAは国際核物質防護諮問サービス(IPPAS: International Physical Protection Advisory Service)と呼ばれるミッションを要望に応えて各国に派遣し、当該国の核セキュリティ体制のレビュー、助言を行っている。日本も、2015年2月に同ミッションを受け入れ、その勧告・助言事項のフォローアップを行っているところである。
(核セキュリティと核軍縮)
総じて、核セキュリティは核テロ対策という、技術的・専門的色彩の強い分野である。しかしながら、核セキュリティ・サミットのプロセスによって国際的関心が高まったせいか、近年は核軍縮や軍事用核物質の扱いという、伝統的な核セキュリティとは異なる要素が持ち込まれ、IAEAの場でも紛糾を招くようになっている。
昨年のIAEA総会では、同年前半のNPT運用検討会議の挫折の影響もあり、核軍縮を巡る各国の対立が、核セキュリティの総会決議の議論の場に持ち込まれた。一部パラグラフの表現を巡って分割投票という結果となったのは、第7話で紹介したとおりである。同様の議論は、本年9月のIAEA総会の核セキュリティ決議、および12月のIAEA核セキュリティ国際会議の閣僚宣言の文言をめぐって繰り広げられた。核セキュリティ国際会議の閣僚宣言に至っては、数十時間にわたる交渉の末、会議開始前の週の金曜日夕刻に辛うじてコンセンサスが成立したところである。
紛糾の根底には、結局、前述したように「核セキュリティとは?」という問いに対する各国間の共通理解の欠如がある。例えば、核セキュリティを国家間の核軍縮・不拡散の問題とは区別されるべき、非国家主体を対象とする核テロ対策の問題ととらえるか、あるいは、国家が保有する核兵器、軍事用核物質も含めて核軍縮を進めない限り、真の核セキュリティは得られないととらえるかで立場は大きく違ってくる。また、核セキュリティが主権国家の責任である点をどの程度強調するかによって、IAEAに期待する役割についての見解も異なってくる。各国の立場の溝は深い。
なお、一連の核セキュリティ関連文書の文言交渉において、日本政府を代表して交渉の前面に立ったのは、本年4月より一橋大学から任期付でウィーンの日本政府代表部に着任した秋山信将公使参事官である。大学教授出身の異色の「助っ人外交官」だが、軍縮・不拡散の専門家であり内外の知己も多いことから、特に核セキュリティ分野での大使特別顧問(Special Adviser to Ambassador on Nuclear Security)を務めている。今回のIAEA核セキュリティ国際会議の閣僚宣言の交渉でも、秋山公使参事官はコンセンサス成立に向けて獅子奮迅の活躍を見せたほか、会議期間中は各国大使級が参加するハイレベル・セッションの共同議長を務めるなど、会議の成功に大いに貢献したところである。
IAEA核セキュリティ国際会議のハイレベル・セッションにおいてカナダ代表と共同議長を務める秋山公使参事官
(写真出典:本人提供)