第13話「核セキュリティ」
加納 雄大
在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使
ウィーンの秋、そして冬
9月のIAEA総会が終わると、10月は比較的穏やかな秋の日が続くが、サマータイムが終わる10月最後の日曜日が過ぎ、11月に入ると、ウィーンは日がぐっと短く、そして寒くなる。オペラ、コンサート、バル(舞踏会)が開かれる、冬のシーズン到来である。
11月、国際原子力機関(IAEA)では、3月、6月、9月、11月と年4回開かれる定例理事会の一年で最後の理事会が開かれる。例年、11月理事会は直前に開かれる技術協力委員会で議論されたIAEA技術協力プログラム予算のアップデートの承認や、イラン核合意(JCPOA: Joint Comprehensive Plan of Action)の実施状況に関する事務局の定期報告を受けた議論などが中心であり、議題は多くない。今回も11月17~18日の1日半で淡々と終了した。もっとも、今回の理事会は、11月8日のアメリカ大統領選挙において、イラン核合意を厳しく批判してきたトランプ次期大統領が当選を決めた直後ということもあり、来年以降の合意の行方に対する各国外交団の静かな緊張感が感じられる理事会でもあった。
11月IAEA理事会に臨む天野事務局長(左)とセオコロ理事会議長(中央)(写真出典:IAEA)
今回の理事会ではまた、2018-2023年の6年間を見通したIAEAの中期戦略(Medium Term Strategy 2018-2023)が策定された。本年始めより、ハサンス・ラトビア代表部大使を議長とする作業部会において加盟国、事務局の間で議論が重ねられてきたものである。
IAEAの活動を規定する基本文書としては、IAEA憲章のほか、理事会・総会での決議・決定がある。また、IAEA予算は2年毎に作成される。これに対し、この中期戦略は、IAEAを取り巻く環境変化、最近のトレンドを踏まえ、今後数年間を見通した中期ビジョンを加盟国、事務局の間で共有するものである。IAEAの活動にガイダンスを与え、2年サイクルの予算関連作業を円滑なものとする上で一定の意義がある。
今回作成された中期戦略では、今後のIAEAの活動の主な柱として、福島第一原発事故を受けた原子力安全の強化や、今後長期にわたるイラン核合意の実施の監視・検証、国連の持続可能な開発目標(SDGs)を受けた開発課題に対する原子力技術の一層の活用、そして今回取り上げる核セキュリティ対策の強化などが挙げられている。もちろん、厳しい各国の財政事情の中、IAEAの活動全般における効率性の一層の向上や、他のプレーヤーとのパートナーシップ強化の重要性も謳っている。来年始めには、この中期戦略を踏まえた最初のIAEA予算として2018-2019年の2カ年予算案が事務局から提出され、加盟国の間で協議が進められることになる。
核セキュリティ:ポスト冷戦期における原子力外交の課題
(核セキュリティとは?)
核セキュリティ(Nuclear Security)は、原子力安全や保障措置、原子力の平和的利用などに比べると、原子力外交では比較的歴史の浅い分野である。また、セキュリティという言葉の多義性故に、「核セキュリティ」が具体的に何を指すのか、イメージしづらい面もある。後述する、2010年から2016年まで4回にわたり開催された米国主導の核セキュリティ・サミット(Nuclear Security Summit)について、日本の報道では各メディアによって「核セキュリティ・サミット」、「核安全保障サミット」、「核保安サミット」など様々な表現で紹介されていたのは、核セキュリティが意味するところが何なのかが、十分な共通認識になっていないことの現れと言えよう。ちなみに日本政府は、「核セキュリティ・サミット」という表現を用いている。
核セキュリティとは、「核物質、その他の放射性物質、その関連施設及びその輸送を含む関連活動を対象にした犯罪行為又は故意の違反行為の防止、探知及び対応」(平成23年9月原子力委員会報告書「核セキュリティの確保に対する基本的考え方」)を指すとされる。具体的には,テロリスト等による核物質や放射線源の悪用が想定される以下の4つの脅威が現実のものとならないよう取られる措置のことをいう。
- ①
- 核兵器の盗取
- ②
- 盗取された核物質を用いた核爆発装置の製造
- ③
- 放射性物質の発散装置(いわゆる「ダーティー・ボム」)の製造
- ④
- 原子力施設や放射性物質の輸送等に対する妨害破壊行為
核セキュリティの確保において想定される4つの脅威(外務省ウェブサイト)
伝統的な「核軍縮・不拡散」の世界では、核兵器の保有(ないしその制限)や核物質・関連施設の管理の主体はあくまで主権国家が前提である。核兵器不拡散条約(NPT)やIAEAの査察(保障措置)などの国際的な枠組みは、この前提に基づいている。これに対し、「核セキュリティ」の世界では、テロリスト等の非国家主体が原子力の領域に足を踏み入れてくる事を想定している点で大きな違いがある。
1960年代後半には既に、国際テロ対策強化の流れの中で、米国において核物質防護の強化の動きが見られた。もっとも、核セキュリティがより大きな国際的関心事となった契機としては、冷戦終了後のソ連崩壊により旧ソ連管理下の核物質の防護が重要課題となったこと、さらには2001年9月11日の米国同時多発テロの発生により、核テロリズムの危険性が強く認識されるようになったことが挙げられる。また、原子力の平和的利用の拡大に伴い、より広範な国々が核物質及びその他の放射性物質へのアクセスを得るに至ったことも、核セキュリティ対策の国際協力の必要性を高めることとなった。
幸いにして、これまでのところ、上述の4つの脅威が現実のものとはなっていない。しかしながら、実際に起こった事件からそのあり得べきインパクトを想像することは出来る。筆者は1995年3月の地下鉄サリン事件、2001年の9・11同時多発テロをそれぞれ日本と米国で経験したが、「東京の地下鉄でサリンではなく核物質や他の放射性物質がばらまかれたとしたら?」、あるいは「ハイジャックされた航空機が高層ビルではなく、原子力発電所に突っ込んだとしたら?」と想像を巡らせたらどうであろうか。実際、海外では、医療用放射線源が一時紛失して問題になったケースや、原子力発電所に対するサイバー攻撃と思われる事象が起きたケースもある。核セキュリティが単なる机上の問題ではない、現実の脅威に対処するためのものであることが理解できよう。
核セキュリティは、グローバル化が進み、非国家主体の役割が増大してきたポスト冷戦期、とりわけ21世紀に入ってからクローズアップされてきた、原子力外交の課題といえる。
(核セキュリティにおける国際的な法的枠組み)
核セキュリティにおける国際的な法的枠組みの中核をなすのが、「核によるテロリズムの行為の防止に関する国際条約(International Convention for the Suppression of Acts of Nuclear Terrorism)」(以下「核テロ防止条約」)、及び「核物質の防護に関する条約(CPPNM: Convention on Physical Protection of Nuclear Material)」(以下「核物質防護条約」)である。
核テロ防止条約は、放射性物質又は核爆発装置等を所持し、使用する行為等を犯罪とし、その犯人の処罰、引渡し等について定めたものであり、2005年4月に採択された(発効は2007年7月)。日本は2007年8月に締結している。
核物質防護条約については、当初の条約が採択されたのは1979年10月である(発効は1987年2月)。同条約では、国際輸送中の核物質の不法な取得・使用を防止するための防護措置をとることや、核物質の窃取等の行為を犯罪とすることを締約国に義務づけていた。その後、核物質の不法取引や核テロの脅威に対する国際社会の認識が高まる中、同条約の強化が検討され、2005年7月に同条約の改正案が採択された。
核物質防護条約の改正(the 2005 Amendment to the CPPNM)は、新名称である「核物質及び原子力施設の防護に関する条約(the Convention on Physical Protection of Nuclear Material and Nuclear Facilities)」が示すように、ほとんど新条約といって良いほどの抜本的な変更内容を含んでいる。すなわち、防護措置の対象が、従来の「国際輸送中の核物質」に加えて「国内の核物質及び原子力施設」に拡大されたほか、犯罪とすべき行為について、従来の「核物質の窃取等」に加えて「原子力施設に対する不法な行為」と「法律に基づく権限なしに行う核物質の移動」が追加された。
この核物質防護条約の改正の発効は、核セキュリティ分野における近年の大きな課題であった。結局、第4回核セキュリティ・サミット後の本年4月8日、同条約の改正の締約国数が発効要件である現行条約締約国152カ国の3分の2(102カ国)を超えたため、一ヶ月後の5月8日に発効した。同条約の改正の締約国数は本年9月28日現在で105カ国に上る(日本は2014年6月に締結済み)。改正条約の実効性を高めるためには一層の普遍化、各国の制度整備、人材育成などのキャパシティ・ビルディングが欠かせない。今後の課題といえる。