“こどもと震災復興” 国際シンポジウム報告3
風評被害払拭のこころみ
越智 小枝
相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師
※【“こどもと震災復興” 国際シンポジウム報告(1)、(2)】
災害によって引き起こされた健康影響の多くは放射線被害ではない。それを裏付けるためには定量的データが必要であるが、健康被害のすべてを測ることは困難である。その理由として、災害という混乱期に信頼できる、あるいは質の高い客観的データを収集することが難しいことが挙げられる。また、災害の影響は多岐にわたり、ある1つのアウトカムだけでは測りきれない、ということもある。
しかし、風評被害に踊らされる住民の不安を解消するためには、健康影響に関する定量的データを示すことは非常に有効である。本シンポジウムでは住民の健康にかかわる様々なデータが示された。定量的データとして示されたものは以下の3点である。
1. 相馬市・南相馬市の死亡率・死亡原因調査(森田知宏氏・相馬中央病院)
2. 南相馬の低出生体重児調査(クレア・レポード氏・南相馬市立病院)
3. 災害が慢性疾患に与えた影響(野村周平氏・インペリアルカレッジロンドン、および筆者)
1.震災後の住民のがん死亡率は増加していない(森田知宏氏)
「福島ではがんが激増していて、政府はそれを隠している。」
世間ではそのような風評が未だ続いている。被災地のがん発症率の実情を調べようと、森田知宏氏は、相馬市、南相馬市の人口あたりの死亡率を震災前後5年にわたって調査した。人口の年齢分布が変わればがんの死亡率も変化するため、年齢調整死亡率という方法でがん発症率が原発事故の前後で変化しているか否かを調べたところ、少なくともこの5年間でがんの発症率は明らかな変化が見られないことが分かった。
氏がさらに死亡率を詳細に解析したところ、死亡率の上昇は震災から1ヶ月以内の早期において最も上昇していることが判明した。(男性1.52倍、女性1.35倍、津波による直接死を除く)。この上昇は特に75歳以上の男性、85歳以上の女性と高齢者で顕著であり、また死因の30%以上を肺炎が占めていた。
災害直後に高齢者が肺炎を起こす原因には様々ある。避難所の寒冷による細菌性肺炎や高齢者の誤嚥性肺炎、津波肺などのアレルギー性肺炎などだ。今後詳細な調査が必要であるが、氏は
「震災後数ヶ月間の医療支援には、高齢者への肺炎対策をより充実させるべき。我々の教訓は熊本地震にも当てはまるかもしれない」と締めくくった。
2.震災後の低出生体重児数は増えていない(レポード・クレア氏)
「福島で子供を産んで大丈夫なのか」
今でも地元ではこのような質問を受けることがある。坪倉医師の発表にあるように、現在の住民の内部被ばく・外部被ばく線量から見れば、相馬市・南相馬市の居住区において、放射能という点で妊娠・出産を懸念する必要はない。
しかし災害は様々な理由により母子の健康に影響を与え得る。過去の災害でも、人災、天災を問わず、災害を経験した母親は低出生児体重を産む確立や早産の確率が高いことが報告されている。その原因として災害によって生じた有害物質への曝露、精神的ストレス、生活環境の変化などが挙げられる。
では南相馬市ではどうだったのか。レポード氏は2008年から2015年の間に南相馬市立総合病院の産婦人科にて出生した新生児のデータを抽出し、新生児の健康状態が震災前後で変化したか否かを調査した。さらに、母親の不安の状態の指標として、福島県産の食材を避けているか否か、などの食料入手方法と新生児体重との関連も調査した。
その結果として、 震災前後で早産や低出生体重児の割合に変化は 認めなかったことが判明した。母親の年齢分布をみるとむしろ35歳以上の母親の割合が増えていることを考えると、括目に値する結果である。さらに低出生体重児を出産した母親とそれ以外の食材入手方法を調べたが、ここにも関連は認めなかった。対象となった母親のうちホールボディーカウンターによって内部被ばく調査を受けたものもいたが、放射性セシウムは全例検出感度以下であった。
今回の研究では、過去の報告と異なり災害が新生児の健康状態に影響を及ぼさなかったとする結果であった。その理由としては被災地に残ることで母親の健康意識が高かった可能性、不安の強い人は南相馬市の外で出産している可能性なども考えられ、さらなる調査が必要である、レポード氏は結論した。
3.避難による健康被害に注意が必要(野村周平氏)
このように放射線によるがんや出産への影響は少ない、という報告の一方で、事故後の避難に伴う健康リスクは予想以上に高い、というデータが出されている。野村氏は福島原発事故の後、10万人を超える住民が原発周辺からの避難を余儀なくされたことの社会的・健康的影響は大きいと唱えた。
まず、氏は相馬市・南相馬市の高齢者介護施設の死亡データを震災前後で比較し、事故後に避難が実施された後の数カ月にわたって、高齢者の死亡率が2倍以上に上昇したと報告した注1)。その原因は準備不足のままの早急な避難も一因であったと考えられ、適切な避難手段の確保や避難先の受け入れ態勢の整備の重要性を説いた。
影響を受けたのは施設入所者だけではない。相馬市・南相馬市の特定健康診断(40-74歳の国保加入者)データの解析によれば、震災の後3年以上経過した後でも、両市の糖尿病・高脂血症の罹患率が事故前のそれぞれ1.6倍・1.3倍程度に増加していることを示した。これは避難の有無に関わらないことから、食生活の変化、失業、精神的ストレス、様々な要因が絡んでいる可能性がある。
では避難をさせた施設が悪いのであろうか。野村氏は、当時の状況を振り返り、放射線被曝への恐怖や情報・人材・医薬品・食料の不足等の理由から高齢者施設や住民の避難は避けえなかったことを述べ、「大切なのは事故後の避難の是非を問うことではなく、高齢者の避難を伴うような災害に対する事前の備えの重要性を議論すること」と主張した。
4.3の補足:災害は運動器にも影響を与える(筆者)
そればかりではなく、トリプル災害は住民の運動不足を引き起こし得る。①被ばくを恐れて外に出ない②農業・漁業の活動停止③せまい仮設住宅での生活④精神的ストレスなどの原因が挙げられるが、中でもより①の影響を受けやすいこども、③の影響を受けやすい高齢者の運動器への影響が懸念された。
こどもに関し、福島県の8小学校で震災前後のスポーツテストの結果を比較したところ、上体の運動能力のスコアは変化がなかったが、反復横飛びなど下肢を使う運動能力では震災後にスコアの悪化が見られた。また高齢者においては、2012年相馬市の仮設住宅とそれ以外の住民を比較したところ、仮設住宅の住民は握力は高いが片足立ちテストの結果は悪く、下肢の不安定性のリスクが5倍以上に上がっていた注2)。このことから、トリプル災害は特に下肢の運動能力に影響を及ぼすことが示された。
運動能力は子供の正常な発達や将来的な学習能力にも影響を与ええる。また高齢者の下肢筋力の低下は寿命・健康寿命にもかかわることを考えれば、この結果は原発事故の健康影響が予測される以上に大きかったことを示している。今後は運動不足になった原因の精査を行った上で、今後の避難方法や避難解除時期の議論に役立てたい。
まとめ
前稿でもいえることだが、本シンポジウムでは、「誰に責任がある」といった、責任追及論議がなされないことにより、むしろ講演者が未来への施策を提言できる良い機会であったと感じる。もちろん個々の関係者は自省を続けなくてはいけない。しかしそれを踏まえたうえで、将来起こり得る災害への提言を示さなければ、福島のトリプル災害は単なる規模の大きな災害で終わってしまうだろう。そのような意味でも、本シンポジウムが被災地内の人間によって企画された意義は大きい。被災地の経験は、ある特定の組織の失敗を責めるためではなく、将来の被災地となり得るすべての地域への学びとして伝えられるべきである。
- 注1)
- Nomura S, Blangiardo M, Tsubokura M, Nishikawa Y, Gilmour S, Kami M, Hodgson S. Post-nuclear disaster evacuation and survival amongst elderly people in Fukushima: A comparative analysis between evacuees and non-evacuees. Preventive Medicine, Volume 82, Issue null, Pages 77-82
- 注2)
- Ishii T, Ochi S, Tsubokura M, et al. Physical performance deterioration of temporary housing residents after the Great East Japan Earthquake. Preventive Medicine Reports. 2015;2:916-919. doi:10.1016/j.pmedr.2015.10.009.