原子力災害における発展的復興(その2)


相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師

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(前回は、「原子力災害における発展的復興(その1)」をご覧ください)

 実際に相馬市で原発事故の後に行われた対策を例に、災害対応(減災)と地域創生の可能性について述べてみます。

(1)逃げ遅れ対策と地域開発

 福島の原発事故において、避難勧告の後に多くの独居老人が逃げ遅れ、場合により衰弱死したことを以前の稿で述べました注1)

 避難区域の北に位置する南相馬市小高区の消防隊の記録によれば、避難勧告の後20㎞圏内からの救急要請が7件あったとのことです(南相馬市森田医師らデータ)。そのほとんどが車などの移動手段を持たず、逃げ遅れた高齢者でした。

 このような交通弱者である方々こそが、本来は最優先で避難を誘導されるべきだったと思います。しかし、交通弱者は多くの場合情報弱者でもあります。事故の後のパニックの中、各家のインターホンを押して避難誘導をした方がいたとしても、その時にインターホンの音が聞こえない、インターホンまでたどり着けないなどの場合には、誰も居ないものとして見過ごされた可能性も高いと思います。

 しかしもし事前に地域全体で、このような交通弱者・情報弱者の所在が把握されていれば、逃げ遅れは防げたのではないでしょうか。
 
 震災の後避難の危険が迫る中、相馬市では急きょ町内会ごとに寝たきりの高齢者の人数と氏名を提出させたとのことです。そして万が一に原子力災害が拡大した時のために担架を人数分用意し、その方々の搬送に備えたといいます。

 有事の対応ではありますが、同じ試みを平時に行っていれば、高齢者の孤独死・孤立死を防ぐ有用な試みとなります。逃げ遅れを出さない社会とは、=孤独死を出さない社会です。今後原発周辺地域がこのような原子力災害対策を講じることで、結果として孤独死の出ない街づくりをすることが可能なのです。

(2)流通確保と広域災害対策

 避難勧告のもう1つの問題は、物流の停止が設定された避難区域よりもさらに広範囲の50㎞圏域で起きたことです。

「政府が30㎞と設定しているのであれば実際にはもっと広範囲まで危険に違いない」
 企業を含む多くの人々の間でそのような思いがあったと思います。居住可能とされた町ですら食料が手に入らない状況で大きな被害を受けたのは、やはり交通弱者である高齢者でした。

 軽度の認知症を持つ後期高齢者は、火災の懸念の為に調理器具を持たない(持たされない)こともよくあります。また、交通事故の危険から運転免許を返上して車を持たない方もいらっしゃいます。そのような方にとって、徒歩圏内のコンビニエンスストアやスーパーマーケットが閉鎖することは、そのまま「ライフライン」の途絶を意味しました。

 私は震災当時は東京都心の病院に勤めていたのですが、高齢の関節リウマチ患者さんが
「コンビニエンスストアの食料が売り切れてしまって飢えかけました」
と外来で訴えられたことを覚えています。

 今回の事故では、避難勧告の後約3日間で住民が極端に減少し、およそ2週間たったあたりから徐々に人が帰宅し始めた、というデータがあります(南相馬市立病院 坪倉らデータ)。つまり水、食料、(車のある方の場合はガソリンも)が最初の2週間保たれることで、これらの方々が救われる可能性が高まるのです。

 相馬市では、将来の災害に備え、防災備蓄倉庫が建設されました注2)。毛布や水、米などの備えをするものですが、相馬市だけで使用する場合には不良在庫が大量に出てしまいます。そこで、相馬市はほかの自治体と災害時応援協定を結び、遠隔地の災害支援の物資として倉庫の備蓄を活用しています。
 このような試みに学び、たとえば原発職員と原発周辺地域の住民が共有するような倉庫を建設してもよいかと思います。そして別の原発周辺地域や大都市との災害協定を結ぶことで、原発事故だけでなく全国の大規模災害に対する遠隔支援の拠点ともなり得ると思います。

(3)放射線防護教育とがん教育

 原発事故の後、福島県のあちこちで放射線に関する健康講話が開かれるようになりました。しかし一旦事故が起きてしまった後の極度なストレス下では、どんな話も冷静に語ることは困難です。

 たとえば避難区域のすぐ外の物流を保つためには、地域の住民だけでなく、その地域に関わりを持つ流通業者全ての方々が、原発災害より前に放射線の知識を深めておくことが必要だと思われます。シーベルトやベクレルの意味するところ、それがたとえばレントゲン写真何枚分で、何時間でどのくらいの健康影響をもたらすものなのか。もちろんこのような知識があっても、実際に事故を目の当たりにすれば恐怖心やパニックが完全に抑えられることはないでしょう。しかし平時に知識を蓄えておくことで、行き過ぎた混乱は抑えることができるのではないでしょうか。

 しかし、実際に放射線災害に遭遇したことのない方々の中には、平時の放射線教育に価値を感じない方もいるのではないか思います。今後原発事故の記憶が風化するに伴い、人々の関心はさらに低下することでしょう。

 また、放射線の知識を得るだけでは、放射線に対する恐怖を本当に減らすことはできません。なぜなら放射線の恐怖はがんの恐怖と密接に関係しているからです。がんに対する正しい知識を得ない限りは放射線に対する恐怖は軽減されない、つまり放射線教育はがん教育を同時に行われることがより重要であるといえます。

 2人に1人ががんにかかる日本では、がん教育は放射線教育よりもはるかに重要です。常日頃からがんになりにくい生活を送ること、たとえば禁煙、適度な運動、魚や野菜の摂取、ストレス回避等々…。そのような知識を得ることで、放射線があってもなくてもより健康な生活を送ることができます。

 今南相馬や相馬で放射線の説明をする医師たちは、放射線の話だけするのではありません。がんとは何か、発がんリスクにはどんなものがあるのか、それが放射線と比べてどの程度多いのか。そのような内容を必ず一緒に説明することにしています。

 放射線に対する関心が高まっている原発周辺地域は、今、がんの少ない地域づくりのチャンスを抱えています。放射線とがん教育を統合した健康講話が浸透すれば、数十年後の福島は、もしかしたらがんの低リスク地域になっているかもしれないのです。

注1)
http://ieei.or.jp/2015/04/opinion150415/
注2)
http://www.city.soma.fukushima.jp/topics_contents.asp?kijino=9301666

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