原発事故の健康影響(その2)
越智 小枝
相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師
3.避難生活による健康被害
避難生活による健康被害は、寝たきり、入院中、のような極端な健康状態にある人に限りません。特に長期避難生活による高齢者の健康被害は、福島に関わらず大きな問題となります。
福島県相馬市では、災害直後より仮設住宅の高齢者に対し、健康調査を行っています。一般的な健診だけでなく、2012年からは身体能力テストを行い、長期避難生活が及ぼす筋骨格系への影響を調べています。図に示したのは、2012年の相馬市の健康診断データから抜粋したものです。これを見ると、男女ともに、仮設住宅の方々は特定健診の方々より握力は強い、しかし開眼片足立ちテストという足のバランスを見るテストは非常に悪くなっています。
仮設住宅の方々は、比較的一次産業(農業・漁業)従事者が多いと言われています。握力よりも足のバランスは急速に減衰することが知られていますので、元々筋力が多い(握力の強い)人々が、仮設住宅生活により急速に転びやすくなっている、という可能性を示しているのです。
4.今後起こり得る災害の為に
ここまで、原発事故によって間接的に起きた健康被害につき、かなり長々と述べてしまいました。ご理解いただきたいのは、私はこのことで特定の機関や人物を攻撃したいと思っているわけではありません。どの一場面をとっても、誰にも悪意はなかった、見捨てるつもりもなかった。そう思います。
しかし言うなれば、これらの健康被害は私たち全体が負うべき「無知の罪」なのではないでしょうか。
国会事故調査委員会では、調査報告の末尾にこのように記しています。
「…原発立地道県及び市町村、並びに原発周辺の医療機関は、原子力災害に対応するマニュアルの見直しや訓練、通信手段の整備、事故時の連携などを検討し、整備しておく必要がある。」
もちろん、今後の原発災害のために、これらの対策は必須です。しかし、対象者を限定した「対策見直し」の実効性に、私個人としては疑問を感じています。
このような被害者を出してしまった直接的な原因はたしかに、医療スタッフが避難してしまった、交通手段がなかった、各々の病院が独自で避難先の決定を行わなくてはならなかった、申し送りが十分にされなかった、など行政・医療の問題なのかもしれません。また、患者を避難させたい、と役所に電話したらマイクロバスが来た、などという話や、病院ではなく避難所に搬送された、などというも聞かれます。つまり、いざという避難計画の中に弱者と患者の避難が全く想定されていなかったことで、多くの方が命を失ったことも事実です。
しかしそのような一つ一つの大本の原因は、何よりも外部、特にその場所に物資を送ることのできる機関に所属する方々に、災害弱者に対する理解がなかった、という事ではないでしょうか。例えば流通業者、例えば原発内に人を送ることのできた人々、ジャーナリスト、等々、様々な業種の人々が災害弱者に対する知識をもっていれば、少しずつの気遣いで改善できた面もあるかもしれないのです。
この健康大国、日本ですら、健康対策の話、というと、他人事であると思っている方が大勢いらっしゃいます。あるいは医療従事者の仕事、と考えている方も多いかもしれません。しかし、医療従事者、特に病院関係者の仕事は、実は「病気」を診ることであって、彼らは健康の専門家ではありません。
「Health is everyone’s business (健康は全ての人の仕事である)」
公衆衛生の世界ではこのような言葉があります。
道が直っても、経済や商業が復活したとしても、そこに住む人々が健康にならなければ意味がありません。逆に、原発事故の対策は、放射線の影響に限らず起こり得る住民の健康リスクを十分に想定してなされなければならないと思います。様々な立場の、職業の方々が、健康という共通の目標を見据えて未来へと進んでくださることを願っています。