水素社会を拓くエネルギー・キャリア(9)
エネルギー・キャリア各論:液体水素
塩沢 文朗
国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター
一方、FCVの燃料向けには、液体水素は、先にも述べたとおり極めて高純度であることから、水素STにおいて再圧縮、蓄圧、プレクール等は必要であるものの、精製する必要はなく、FCVの燃料として供給することが可能である。
川崎重工は、国からの研究開発面での支援を受けつつ、海外のCO2フリー水素を日本に輸送してくるための供給チェーンづくりにも取り組んでいる。オーストラリアに大量に賦存する安価な未利用褐炭を原料として、その改質による水素製造とCCS(二酸化炭素の回収、貯留)を組み合わせることによりCO2フリー水素を生産し、それを液体水素にして専用の水素輸送船で日本に運び、発電燃料、FCV燃料などに用いるという構想を描き、その実現を目指した取組みである。その構想の全体像は、「将来的に水素輸送量を770トン/日(22.5万トン/年、水素輸送船2隻、65MWの発電)、15,400トン/日(450万トン/年、同40隻、13,000MWの発電)、30,800トン/日(900万トン/日、同80隻、26,000MWの発電)と徐々にスケールアップしていく」というものであり、最終段階の規模になると水素は18円/Nm3で供給することが可能となり、その際の発電単価は11円/kWhと、現在のLNG発電と遜色のないコストで発電することが可能になると説明されている注6)。
この構想の実現に向けて、現在川崎重工は、オーストラリアで褐炭から10トン/日の水素を生産、2,000トン/年の水素を日本に運び、7MWの発電を行うという規模の水素の供給、利用チェーンのパイロット・モデルを動かすための取組み(先述の水素輸送船、液体水素貯蔵タンクの開発等)を行っている。
液体水素にも、その物性に起因するいくつかの問題がある。それらは、液体水素というエネルギー・キャリアのコストを高める要因となる。
その一つは、液化に要するエネルギーが大きいことである。水素の液化には最低でも0.35kWh/Nm3のエネルギーを要する(水素の理論液化仕事量)ことから、液化により10%程度のエネルギー損失が生じることは避けがたい。現状の技術では、液化の際に水素のもつエネルギー量の約30%が失われてしまう注7)。今後、新たな冷凍サイクルの採用や液化機の大型化等により、損失量は15%程度まで下げられると見られている注8)が、この水準を実現するためには、今後さらなる技術開発が必要である。
液化に要するエネルギーが大きいこと、液化のための冷熱源が必要となること等から、液体水素の製造場所に建設される水素液化プラントの規模は大きなものになる。これは設備コストの上昇につながる。
気化熱の非常に小さい液体水素の取り扱いで、避けることのできない液体水素のボイル・オフの問題は、技術進歩によりかなり抑えられるようになった。これまでの開発成果によりボイル・オフ率として0.1%/日のレベルを目指せるようになったと言われている。液体水素輸送船で長距離輸送中に蒸発する水素は船の燃料として活用するというようなアイデアも出されている。それでも輸送、貯蔵中及び輸送、貯蔵施設への受入れ、払出し時に数%程度のロスが発生することは避けられない。特にエネルギー・セキュリティ対策として必要となる備蓄など、大量、長期間の貯蔵が必要となるケースでは、このボイル・オフの問題は、それが仮に0.1%/日のレベルで抑えられたとしても、その影響は決して小さいとは言えない。
液体水素の輸送、貯蔵施設は、一部で既に実用に供されているものがあるとは言っても、それらは大量の液体水素を扱えるものではない。液体水素が「水素社会」を支えるエネルギー・キャリアとしての役割を果たせるようになるためには、既存の輸送インフラとは別に新たなものを建設、整備する必要がある。また、それらは、先にも述べたように特殊な材料を用い、高度の断熱構造をもったものとする必要があるために、その施設の建設コストは従来のものよりも高額にならざるを得ないだろう。
規制との関係でも、多くの取組みを必要とする。液体水素は、法令上は「高圧ガス」に該当するため、高圧ガス保安法等の法規への多くの対応が必要となっている。このほか水素については、人の健康や環境に対する毒性面の懸念は恐らくないと考えられるものの、着火しやすく、爆発しやすい、また、漏洩が分かりにくく、気がついても漏えい個所の特定が難しいといった水素のリスクに対する懸念は小さくないことから、水素についての社会からの受容を得ることも大きな今後の課題である。
液体水素が「水素社会」において主要なエネルギー・キャリア、供給チェーンとしての役割を果たすためには、上述のようにいくつかの技術開発課題や社会インフラを構築していく上での解決すべき問題がある。しかし、液体水素は、一部で既に実際の供給チェーンが構築され、実用化されている。こうしたことから、「水素社会」を担うエネルギー供給チェーンの中で、特に水素ST周りでは一定の役割を果たしていくことになるだろう。加えて液体水素の持つ、高純度、超低温といった特性の活用注9)が実現すれば、その魅力は、より高まっていく可能性があると期待されている。
- 注6)
- 日経エコロジー、日経クリーンテック研究所共催「水素社会の到来とビジネスチャンス」第5回「進化する水素の貯蔵と輸送」における川崎重工業(株)の発表資料:「水素サプライチェーン構想への取り組みと輸送・貯蔵技術の開発」(2014.6.24)から。
- 注7)
- 1Nm3の室温の水素を液化するために必要となる理論液化仕事量は0.35kWh/Nm3だが、液化機の現状のプロセス効率(=最小液化仕事量/実際の仕事量)が30~35%であるため、液化に際し実際に消費されるエネルギー量は約1kWh/Nm3となる。一方、1Nm3の水素ガスから得られるエネルギー量は3.54kWh(LHV)。
- 注8)
- 窒素水素二段冷凍サイクルの冷凍サイクルの採用や大型化等により、実際に要する仕事量は0.55kWh/Nm3まで低下(効率は65%程度まで上昇すると考えられている。(「低品位炭起源の炭素フリー燃料による将来エネルギーシステム(水素チェーンモデル)の実現可能性に関する調査研究」、p84、NEDO(委託先:川崎重工業(株))2012年4月)ので、それが実現した場合には、液化の際に消費されるエネルギー量は、水素のもつエネルギーの15%程度となる。
- 注9)
- 超伝導を利用した電力変換システムへの活用など。(「液化水素市場の現状とエネルギーとしての可能性」、宮崎淳ほか。水素エネルギーシステム Vol.36、No.4 (2011))