原子力問題の今 -課題と解決策-(その2)


国際環境経済研究所前所長

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最後に-原子力問題を語ることの困難さ-

 1950年代、60年代に原子力の平和利用に乗り出すと決めたときに、立地対象になった地域ではいろいろな分裂や内部紛争が起こりました。立地地域では、そうした苦難を乗り越えてきた歴史をそれぞれ抱えています。そうした立地地域で最終的に方針を決定した際の大義は、国のエネルギー政策、あるいは国の経済成長に対する自分たちの協力だということだったのではないでしょうか。こうした国からの最終的な要請が、地域での合意の源となっているとすれば、エネルギー政策を転換しようとする現在の政府関係者は、そうした立地地域に対する感謝の気持ちと敬意の念をわすれてはならないと思います。例えば、新しい時代において、もしも脱原発あるいは依存度を低下していくということであれば、そうしたエネルギー政策の変更については、トップレベルの人が立地地域に説明に赴かなければ、今までの立地地域の苦労が報われないのではないかという思いがいたします。これまで、原子力は日本にとって特別に重要だと言って立地を受け入れてもらったという歴史を背負っているにもかかわらず、「これからの世界は自由化です。需給は市場が調整しますから、原子力はそのうちの一つの電源で火力と同じですよ。これからの自由化の時代、原子力は立ちいきませんが、それが改革というものです」と言うだけでは、行政的・政治的にあまりにも無責任すぎるという印象をもちます。原子力を語るときの基本姿勢に誤りがあるのではないでしょうか。
 一方、電力消費地域を中心に、原子力に対する世論が厳しいという現実があることは否定できません。原子力というエネルギーは巨大であり、暴れ馬ですから、その制御は他のエネルギー源に比べて格段に難しい。だからこそ、その制御技術をマスターし、次世代に引き継いでいくことが重要だという思いをもつ原子力関係者は多いと思います。原子力技術はその他のエネルギー技術に比べて、日本にとって「特別に必要」だという認識なのでしょう。しかし、だからこそ安全性に対する心配が尽きないというのが、世間の一般的感覚だと思います。
 こうしたエネルギーの巨大さという物理的性質に加えて、原子力に携わる事業体や組織も巨大だというパーセプションが一般にあることも忘れてはいけません。日本のエリートのトップレベルの人が携わってきたということ、さらに産業的広がりも非常に大きい。さらに、原子力発電所のオペレーションやっている電力会社も地域で一番トップ企業です。すべて「ビッグ」な人たちが携わっているわけです。そうすると、そのコミュニティの外にいる人には、そのコミュニティに対して、えも言われぬ不透明性を感じる、あるいは脅威を感じるということが実際問題としてあるわけです。そういう状況が原子力問題に関する議論を混乱させているところがあります。
 情報は全部開示していますと巨大な組織体から言われても、個人という小さな存在の方からすれば、その巨大組織体はきっと何か別に隠していることがあるにちがいないと思われがちです。ですから、原子力のコミュニティが外から見られたときに、自分たちがいかに巨大に見えているか、また不透明で脅威を与えている存在であるかを自分たちで自己認識しないといけないのです。