私的京都議定書始末記(その31)

-コペンハーゲン(3)-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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コペンハーゲン合意

 首脳自身がドラフティングに関与するという異例のプロセスで合意されたコペンハーゲン合意はこれまでの国連交渉や主要経済国フォーラム(MEF)での議論の主要論点を含める形で主に米、英が中心になって原案を作成したといわれる。主な項目は以下のとおりである。

産業革命前からの気温上昇を2度以内に抑えるとの目標を共有
先進国の緩和目標及び途上国の緩和行動を提出し、別表に記載(2010年1月31日までに提出)
途上国が自発的に行う緩和行動も国内的MRV(計測・報告・検証)を経た上で国際的な協議・分析(International Consultation and Analysis: ICA)の対象とし、支援を受けた緩和行動については国際的MRVの対象とする。
早期資金(Fast Start Financing)として2010年から2012年までの3年間で300億ドルの資金援助。2020年までに官民を含む多様な資金源からなる1000億ドルの資金を動員。コペンハーゲン緑の気候基金を設立
炭素市場の追求
技術メカニズムの設立
2015年に実施状況を評価(1.5度を含む長期目標の強化の検討を含む)

 コペンハーゲン合意の画期的な点は、先進国だけが緩和義務を負い、別表に目標を記載するという、これまでの京都型のレジームから脱却し、先進国、途上国がそれぞれ緩和目標、行動を別表に記載するということだ。更に途上国の緩和行動についても一定のMRVの対象とし、それなりの説明責任を持たせたことも重要である。

 他方、盛り込めなかった点としては2050年半減の長期目標の共有である。これはG8サミットでは盛り込まれてきたが、MEF首脳会議では中国、インドの強い抵抗により何度となく見送られてきた論点である。その場にいなかったので詳細はわからないが、中国の外務次官がオバマ大統領、サルコジ大統領、メルケル首相等を相手に徹底的に反対を貫いたという。これまで中国は国連交渉の場ではG77+中国の陰にかくれ、表立って悪役になることを避けてきた傾向があるが、首脳協議の場では最も後ろ向きな姿勢を示し、中国の国際的評判を落とす結果になった。サルコジ大統領は「国家元首である自分が、何故に役人風情にあれこれ文句を言われなければならないのか」と激昂していたという。

 コペンハーゲン合意で一点だけ、気になったのは Annex I Parties that are Party to the Kyoto Protocol will thereby further strengthen the emissions reductions initiated by the Kyoto Protocol という表現であった。京都議定書をどう改正しようが米国は絶対に戻ってこない以上、日本が京都第二約束期間に参加することは認められない。このため、京都第二約束期間の下で目標を強化するような表現は、絶対に不可であった。この表現も一読した際、非常に気になったのだが、同様の問題意識を持っているカナダ交渉団の法律専門家に確認したところ、「京都議定書で始められた(initiated by the Kyoto Protocol)」という表現は、目標の強化を京都議定書の下で行うことを意味するものではないとのことであった。加納雄大氏の「環境外交:気候変動交渉とグローバルガバナンス」にもあるように「京都議定書に基づき(based on the Kyoto Protocol)」とでは全く意味合いが違うのである。

明け方のバトル

 しかし16日木曜日から17日金曜日は非常に長かった。コペンハーゲン合意は首脳レベルで密室で議論されていたため、休憩時間に戻ってくる杉山審議官からデブリを受ける以外、やることがない。ひたすら待ち続けるというのは交渉に参加しているよりも、ある意味でもっと疲れる。それ以上に気の毒だったのが、コペンハーゲン合意の議論に参加していない大多数の首脳たちであった。ハイレベルセグメントということで次々に登壇してスピーチをするのだが、コペンハーゲン合意の議論が行われていることは皆の知れるところであり、会場にはほとんど誰もいなかった。わざわざ首脳を連れてきたのに、ほとんど誰もいない会場でスピーチをするのでは、各国の面子も丸つぶれであった。

 ともあれコペンハーゲン合意は17日深夜、首脳間で合意され、あとはCOP全体会合での採択を残すのみとなった。しかし待てど暮らせど全体会合が始まらない。屋内とはいえ、代表団室は冷え冷えとしており、コートにくるまってソファーで仮眠をとりながら、いつ始まるとも知れぬ全体会合の開会を待っていた。16日以降、ほとんど寝ていないため、耐え難い眠気が襲ってきて、ついうとうととしたのだが、はっと目を覚ますと18日土曜日の午前3時過ぎで、代表団室は閑散としている。全体会合がついに始まったという。「すわ、遅刻だ」と走って会場に向かうと、まさに壇上でラスムセン首相がコペンハーゲン合意について説明を終えたところであった。

 首脳レベルでの激しい交渉の結果、「代表的な首脳」の間で合意が成立した、1時間の間で文案を検討した上でCOP決定として採択をしたい、というのがラスムッセン首相の説明であるが、ここからが大波乱となったのである。少数国による密室での協議プロセスが不透明であるとして、ボリビア、ヴェネズエラ、ニカラグア、キューバ、スーダン等が採択に猛然と反対したのである。あろうことか、ラスムッセン首相はマイクを切らないままに「数ヶ国が反対しているだけなのだから押し切れる」云々と事務局に話しかけているところが皆の耳に入ってしまった。これが更に火に油を注ぐ結果となった。

 ベネズエラのクラウディア・サレルノ交渉官は血の流れる掌をかざしながら、コペンハーゲン合意は主権国家の権利を尊重していないと議長国デンマークを激しく非難した。彼女は会議の場で誤って手に怪我をしたそうだが、それを実に劇的に使った。これにキューバ、ボリビアのような反米中南米諸国が賛同した。コペンハーゲン合意は米国主導のイニシアティブという反発もあったのであろう。スーダンのルムンバ大使は「コペンハーゲン合意に盛り込まれた資金援助は途上国に対する『賄賂』であり、2度目標はアフリカに対して焼却合意に署名しろというものだ。欧州で6百万人を焼却炉に送り込んだホロコーストのような文書だ」とまで言い放った。

 これに対して多くの国がコペンハーゲン合意の採択を主張した。特にスーダンの「賄賂」「ホロコースト」という発言に対してはスウェーデン、ノルウェー、カナダ等、多くの国が強い怒りを表明し、撤回を要求した。相手をホロコースト呼ばわりすることは、まともな外交感覚では考えられないことだ(ルムンバ大使は挑発的な物言いが特色の人物で、非公式閣僚会合に出席した小沢環境大臣も彼の発言に立腹していたことを思い出す)。 

 米国、英国、スウェーデン等が次々に発言を求め、「コペンハーゲン合意は先進国、主要途上国、最貧国、島嶼国、産油国等、幅広いバックグラウンドの国々の首脳が参加して合意された文書であり、現時点で合意できる最良のものである。これが合意できなければコペンハーゲンの成果は何だったのか」として採択を主張した。既に土曜日の明け方であり、オバマ大統領はじめ、各国首脳は帰国の途についていた。自分たちが策定し、合意したコペンハーゲン合意がCOP決定になることを信じて、である。したがって米国のスターン特使、英国のミリバンド・エネルギー気候変動大臣等は何としてでも合意を採択する必要があった。

 しかし会場の雰囲気を大きく動かしたのはモルジブのナシード大統領の発言であった。彼は「島嶼国として1.5度目標が合意されていないのは残念だ。しかし自分はこの文書を支持する。これは交渉を継続し、2010年までに法的拘束力のある枠組みを生み出す根拠になり得る。途上国の友人たちがこの文書を存続させることを望む」という真情のあふれたスピーチを行い、会場から大きな拍手がわいた。グレナダのウィリアムズ大使は「自国の首相がコペンハーゲン合意の交渉に参加し、その作成プロセスは真摯で合法的なものであった。自分はこの文書とその作成プロセスを支持する」と述べるとともに、ホロコースト発言をしたスーダン代表を諌めた。レソト、ロシア、日本、フィリピン、シンガポール、エチオピア、アルジェリア等、多くの途上国、先進国もこの文書の採択を支持した。

 コペンハーゲン合意が採択されるチャンスがあったとすれば、まさにこの瞬間であったろう。事実、ラスムッセン首相はこうした発言に勇気付けられ、何度か採択に話を持っていこうとしたが、そのたびに少数の国の強い反対意見に押されて右往左往し、あたかも濁流の中の木の葉のような状態になった。何度となく議事は中断し、そこかしこに閣僚レベルのハドル(群れ集まって相談すること)ができた。ついに疲労困憊したラスムッセン首相は「満場一致を旨とする国連の意思決定方式ではこの文書は採択できない」として結論を次回に先送りする姿勢を示した。間髪をいれず、英国が休会を要求し、次なる展開が見えないままに暫く時間が流れた。一昼夜、場合によって二昼夜ほとんど睡眠をとっていない各国交渉官はそこかしこで疲れ切って眠っていた。

 どれだけ待ったことだろう。午前10時半過ぎ、議長席に見知らぬ人が座り、「2009年12月18日付けのコペンハーゲン合意については、これを留意するとの決議を採択する」と手短に宣言すると木槌を打った。彼はCOP副議長のバハマのウィーチ氏であった。ラスムッセン首相の姿はどこにも見えなかった。まさに「あれよあれよ」の間の出来事であった。米、英を初め、コペンハーゲン合意を主導した主要国から、ラスムッセン首相は議長の任に耐えずと判断されたようだった。

 こうしてコペンハーゲン合意は「採択」ではなく、「留意」となり、100ヶ国を超える首脳が参加し、世界中の注目を集めたCOP15の最大の山場は終わった。壇上にはデンマーク政府関係者の姿はなく、デボア事務局長が行った記者会見にもヘデゴーエネルギー気候変動大臣の姿はなかった。記者団から「ヘデゴー大臣はどこにいるのか」と聞かれ、デボア事務局長は皮肉たっぷりに「彼女は自宅でこのテレビを見ていると思う」と答えた。

 コペンハーゲン合意が片付いても、それで終わりではなかった。その他のCOP、CMP決定が残っている。今となっては何の案件だったか覚えていないが、CMP決定の際に南アフリカが先進国にとって非常に問題のある表現をさらりと入れようとし、先進国、途上国間で小競り合いが生じた。お互いほとんど寝ておらず、頭が朦朧としている中で、なおかつこのような「爆弾」を仕掛ける南ア交渉官のたくましさ舌を巻き、最後の最後まで油断できないと思ったものだ。

 ようやく全てが終わり、よれよれになって会議場を出たのは19日土曜日の夕方であった。ホテルのシャワーから温水が出なくなったのは、まさしくその晩であった。良い思い出のなかったCOP15の最後を飾るハプニングであった。

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