真の原子力再生に必要なことは何か?

(下)真の原子力再生に向けて


組織論リサーチャー

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市場原理主義の落とし穴

 前回ご紹介した失敗メカニズムの本質的構造から類推すると、MC調査の時代にはそれこそ世界の優等生であった東電原子力部門における組織的学習がおかしくなったとすれば、それは東電と社会・規制当局との基本的な関係が大きく変わったのがきっかけであろうと思えないであろうか。この疑問こそ、各種の事故調査が、そしてそもそも東電自体がしっかりと深掘りして検証すべき核心的問題であろう。だが、原子力、そして東電の動向について実務者の立場で内側から逐一眺めてきた者としては、限られた範囲で到底全体像には及ばないかもしれないがこの仮説に対してそれなりの裏付けを与えることができると思う。あるいは無謀な試みかもしれないが、真の原子力再生に向けて議論が正しい方向に向くように一石を投じる意味で、以下に筆者なりの見解をご紹介することとしたい。

 そもそも東電と社会・規制当局との基本的な関係が変質する契機はあっただろうか?確かにあった。そしてその頃から東電の社風がおかしくなってきたことも紛う方なく実感されてきたのである。2000年頃に起きたいわゆるグローバル化を背景とした電力自由化および規制緩和の動向を背景として、電力の社会に対するスタンスは大きくシフトした。いわゆる『兜町を向いた経営』『普通の会社化』である。これによってコストダウンがまさに至上命題とされ、それまで東電の組織的学習を支えてきた基盤は大打撃を受けた。ムダの排除を合い言葉に社員のモチベーションを保ってきた処遇制度も大きく変わり、組織的学習の要であった管理職がプレイイングマネジャーとして管理業務の過負荷に喘ぐこととなった。その結果、会社全体が書類を右から左に流すことに忙殺されて部下を育てたり人間的な信頼関係を築いたりする健全な余裕が失われ組織的学習が萎縮してしまったように思われる。

 規制当局との関係性も激変した。原子力に対する規制が事後規制に大きくシフトしたことを契機として事業者のいわゆる『自己責任論』があらゆる場面で一人歩きし始めた。事業者としてもあれこれうるさいことを言われないようになるなら好都合と考えていたのかもしれないが、その結果は両者の関係性と対称性の破壊であった。

 端的な例としては、それまで国策としてともに推進してきた核燃サイクル政策について、中央のレベルで一部官僚が怪文書を作成して揺さぶりをかけるようにまでなってしまった。官僚が国の政策を自由に論じることは国の健全性を保つうえで重要なことかもしれないが、数十年来一貫したポリシーの下に進めてきた国家的事業はその一貫性を信じて運命を左右する決断をしてきた多数の国民がいることを意味している。正々堂々と透明性のある議論をするならともかく、怪文書のようなものをばらまくのは立派な妨害行為だ。『規制の虜』などとは絶大な権限を握る立場ではあまりに身勝手な言い分であり、当局と事業者の関係がぎくしゃくし始めた証拠と見るべきだろう。

 実務レベルでは、事後規制のために人手が必要という理屈で、新たに検査官に採用される人が増えたが、それまで以上に重箱の隅をつつき壊すような振る舞いが多くなったことは、現場でよく事情を聞いて頂ければ分かる事実である。規制緩和と言うなら自分の面倒は自分で見ればよいだろうと、自治体への説明責任は『一義的に』事業者だという役人が散見されるようになったのは、それまでの責任感ある人々を知る者にとっては衝撃であった。地方の閉塞感を背景に、原子力に批判的なスタンスを売り物にする首長も増えたため、結果的に事業者は霞ヶ関と県庁や役場の板挟みになって振り回されるようになり、事業者とこれらのステークホルダーとの関係性や対称性(「関係性」や「対称性」については、(上)の最後の図参照)は急速に悪化したのだ。

一方的関係性の恐ろしさ

 この関係性や対称性の悪化を決定的にしたのが、平成14年に明るみに出た東京電力による一連の原子力不祥事である。この時は内部告発に対する初期対応が規制当局を含め不適切だったのだが、結果的に当事者である東京電力が猛烈な批判に晒される一方、規制当局は、事業者に厳しく対峙して懲らしめる“正義の味方”だというイメージを国民に植え付けるようになっていった。その結果起きたのは、厳しく締め付ければ締め付けるほど安全だという規制強化一辺倒の礼賛である。

 こうしたやり方が日本的ソクラテスメソッドの真逆を行くものであることや、組織的学習の四元素をいかに損なうものであるかについては多言を費やさずともご納得いただけるのではないだろうか。ここに日本の原子力の混迷が始まり、それが東電の事故に波及していると考えるのは決してこじつけではあるまい。

 こうした対称性の破壊は、規制当局と事業者の間だけではなく、事業者とメーカーの間や、事業者の中でも親会社と関係会社の間、発注元と協力企業の間でも起きている。これらの企業同士の関係では、電力自由化要求に伴うコストダウン圧力と原子力産業の停滞が悪影響を及ぼしている。どの組織も、取引上の有利な立場を利用して、自分たちが吸収しきれない無理を下流側にしわ寄せするのはある意味自然な振る舞いであることと、原子力業界では競争的なマーケット構造が存在せず、サプライヤーにとって他の売り先を探すという選択肢がないため、発注者による無理な要求でも無下に断りにくいことがこうした傾向を促進しているのだ。

 このように、日本の原子力界の状況は、皮肉なことに規制緩和を契機とした規制強化と電力自由化によるコストダウン圧力がもつれ合ったことによって、対称性の破壊と関係性の劣化が業界内部にカスケード的に波及して、自発性や感受性を含めた四元素全体の劣化に向けて相互強化反応を引き起こし、業界全体の各レベルで組織的学習が著しく劣化してしまう結果をもたらしたと考えられる。