真の原子力再生に必要なことは何か?

(下)真の原子力再生に向けて


組織論リサーチャー

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真の改革に必要なことは?

 以上のような日本の原子力界についての現状認識を踏まえた診断と処方は以下のとおりである。この検討は、3.11事故以前に筆者を含む有志の勉強会で議論されていたものであるが、その大半はいまだにあてはまると思われるのでここにそのままご紹介する。

ⅰ)診断

現行システムの病根は、〈計画経済的な産業の枠組み〉〈階層的な権力構造〉〈人材流動性の低さ〉に起因する〈一方的な歪んだ関係性〉が、原子力業界における客観性と説明責任の不足と重なり合った結果もたらした〈タコ壺構造〉である。これらの要因が繰り返し相互作用するとともに、組織の拡大基調が止まることを契機に病理症状は悪化し、組織的学習プロセスが機能不全に陥って、不祥事・トラブルの再発や続発、サイクルの停滞、稼働率の低迷という結果が発生しているものと診断される。病状はかなり進行しており、現行システムは求心力や活力を回復不能に至る寸前まで喪失している。

ⅱ)処方箋

〈タコ壺解消〉のため思い切った改革を行い、新しいシステムへの移行を図るべき。最も重要なのは規制当局から現場に至るまで、主要組織間に全体最適を図る合理性を共通項とした関係性〈つながり〉が形成され、維持されるように信頼関係を構築することだ。そのためにはセクター全体で産業の安定的・健全な発展と安全性確保が相互依存関係にあり常に両者への目配りが必要なことや、最終的な顧客は日本国民であるが産業に携わる一人ひとりへの適切な目配りを通じて初めて目的を達成しうること、例えばお金をかけて設備や人を増やせば増やすほど安全性が高まるというような合理性のない規制は原子力安全をむしろ損なうことなどを明文化して共有したうえで、当局を含めた原子力界全体を対象に独立・客観的な評価を行う専門の監査組織によりモニタリングする制度を作ることが望ましい。
人材と知識の流動性を高めるための改革を行うべき。特に研究開発にあたっては国民を含めたユーザーの目線とニーズに基づいて方針を決定し、国の研究機関だけでなく、テーマに応じて事業者やメーカーもコンソーシアムとして資金・要員面で参加できる柔軟で自律的な体制とすべき。
安全規制を初め、国全体として以下のとおりガバナンス体制の整理・合理化を進めるべきである。具体的には、原子力委員会の委員長を内閣の一員たる国務大臣にして国民の意思を機動的に反映できるようにするとともに、原子力安全・保安院の安全規制機能は原子力安全委員会と統合して経済産業省から分離し(*原子力規制庁として実施済み)、資源エネルギー庁は環境省と合体してエネルギー安全保障と環境問題の最適解を一元的に策定・推進する役割を担うエネルギー・環境省にするのが適当である。
大艦巨砲主義のような巨大プラント一辺倒の計画を無理に進めるのではなく、より国民の身近に受け入れられやすく投資リスクの低い、普遍的な原子力システム・製品開発および技術開発への移行を志向するべきである。

最後に ~過ちを繰り返さぬには人の視点を第一に

 最後に、日本の原子力界における問題の一番底には、問題の存在が分かっていてもそれを直視しようとせず、アカデミズムや規制当局など権威者から与えられた目的は個人がどんな犠牲を払っても実現させねばならないとする原理主義的な態度が垣間見えることを指摘したい。これは、神風特攻隊のように究極において個人の尊厳と価値を軽視する東洋的思想のもたらすものかもしれないが、原子力長期計画をバイブルかコーランのような聖典と崇め、それらを疑うことがあってはならないという暗黙の縛りが優秀なはずの人々の思考を停止させ、本来最も重要な問題の数々から目を背けさせ、あり得ないようなリスク感覚の麻痺をもたらしている根本的なメンタリティである。ストイックと言えば聞こえはよいが要は働く人々への目配りや心配りの欠如だ。関係者はその危うさに早急に気付くべきである。

 本論考で一貫して申しあげたかったことは、実は原子力をめぐる組織や産業のように極めて複雑なシステムの挙動を還元主義的に分析しコントロールしようとすることの限界と誤りである。そのような生命現象類似のシステムであればあるほど、栄光の日々における先人のように、あらゆる階層の問題を貫く基本軸を見極めて重点的にポイントを押さえて全体の学習能力を高め、緩やかに舵取りしていく発想こそが経営者や規制当局の責任者には必要だ。原子力の再生はこうした道の先にしか存在しないであろう。

 その意味で、経営の自由度を狭め、ただでさえ疲弊した当事者に一層の管理強化を求めてやまない今の日本の原子力改革のありようはむしろ原子力の安全性をこれまで以上に損なっている可能性が高い。あまりにも重い十字架を背負わされた東電に本当に原子力の再生はできるのか?安全確保の大前提である組織的学習を再生することは平常時であっても難事業であろう。組織存続のために差し迫った黒字化が必要という状況下で東電にそのような余力が残されているであろうか?大いに疑問である。少なくとも東電の原子力部門は厖大な損害賠償債務から切り離し健全な経営が可能な状況にするべきである。そのためには国による事業買い取りと新会社への衣替えなど思い切った対策を考えるべきだ。再稼働論議をする以前に事業者はもとより、国などの関係者も含めて原子力界に身を置く組織や人々はこうした根本的な問題への考察と自省をもっと深めるべきである。

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