最終話(3の3)「ポスト『リオ・京都体制』を目指して(その3)」
加納 雄大
在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使
6.エピローグ~2012年春 東京お台場~
2012年4月15日の朝、筆者はお台場にいた。この日に日本が主催する「東アジア低炭素成長パートナーシップ対話」の会場の一駅手前で「ゆりかもめ」を降り、海辺の公園を散策しながら会場に向かっていたのである。日曜日の朝であり、人影もまだ少ない。前日の雨で残っていた桜の花の多くが散ってしまっていたが、快晴の青空の下、ひんやりとした空気を感じながら、桜の花びらが敷き詰められた道を歩くのは心地よかった。レプリカの「自由の女神像」の周りでは、まだ咲いている枝垂れ桜をバックに何組かのアジア系の外国人観光客が写真を撮っていた。もうしばらくすると、この辺りは一面が新緑で埋め尽くされるのだろう。
午前9時45分、「東アジア低炭素成長パートナーシップ対話」が始まる。会議場では野田総理大臣が正面中央に座り、両脇に共同議長を務める玄葉光一郎外務大臣とインドネシアのウィトラル大統領特使が居並ぶ。コペンハーゲンの最終日のようなロの字型の配置だが、趣はやや異なる。中国の解振華国家発展改革委員会副主任やロシアのベドリツキー大統領府顧問、シンガポールのバラクリシュナン環境大臣など、COPで各国代表団長を務める馴染みの顔が揃う。インドネシアのウィトラル特使もバリのCOP13で議長を務めた環境外交のベテランだ。米国席にはルース駐日大使、韓国席にはヤン・スギル緑色成長委員会委員長が座っている。世銀やUNDP、ADB、JICA、JBICなどのオブザーバー機関のほかは、参加国は東アジア首脳会議(EAS)メンバー国の18カ国のみだが、これだけで世界のCO2排出の6割以上を占めていると思うと感慨深い。
会議の冒頭、野田佳彦総理大臣が東日本大震災への各国の支援に謝意を述べつつ、挨拶をする。
「この未曽有の(東日本)大震災は、幾多の反省や教訓をもたらしましたが、私たち人類全体に投げかけられた最も根源的で大きな問いかけは、何だったのでしょうか。私は、『持続可能な社会とは何か』という点にあったと考えています。」
「我が国には、古来より自然との共生を重んじる思想があります。草や木にも魂があると信じることで、人間が大自然の『恵み』にも、『脅威』にも、謙虚になろうとしてきたのです。震災後の日本から世界に向けて、自然と調和した文明のあり方を問いかけていくことは、我が国の伝統にも根差した歴史的使命の一つです。」
「本年こそ、人類全体が『持続可能な社会』の実現に向けて何をなすべきか問い直し、コミットメントを新たにする絶好の好機です。その責任の大きな部分を担うのは、ここに集う東アジア首脳会議のメンバー国に他なりません。」
続いて、共同議長の玄葉外務大臣がキーノートスピーチを行う。
「東アジアは,経済成長段階,産業,文化等,極めて多様な国々からなる地域で,高い経済成長を実現してきました。その一方で世界最大の温室効果ガスの排出地域であり,EASメンバー国が占める比率は約63%に上ります。また,急激な人口増加,経済発展に伴うエネルギー需要増大,都市化など,様々な課題を抱えています。この地域において,より少ないエネルギー,CO2排出で引き続き持続的な経済成長を実現していくため,いかなる具体的な協力を進め,ウィン・ウィンの関係を強化していくか,本日の会議では,そうした観点から,皆様と議論して参りたいと思います。」
一日の会合は、滞りなく終わった。午後にはCOP17で日本代表団長を務めた細野環境大臣も顔を見せるなど、日本側はフルキャストの対応だった。国連交渉とは異なり、成果文書の文言交渉を巡って徹夜をするわけではないことは、当初から分かってはいた。かといって、数多の国際会議に見られるような各国代表の単なるスピーチ合戦でもなく、中身のある議論がされたと感じたのは、主催者側の手前味噌かも知れない。
それでも、各国代表の発言に耳を傾けながら、ある種の「心地良い緊張感」を自分が感じたのは何故だろうか。中国をはじめ多くの国々が、国連交渉で見られがちな南北対立を徒に煽り立てる調子ではなく、実務的な形で「低炭素成長」実現に向けた自国の取組みを紹介していた。率直で抑制的なトーンが各国の真摯な姿勢を際だたせ、好感が持てたのだと思う。同時に「低炭素成長」実現が如何に困難な課題かという現実に思いを馳せ、慄然とせざるを得なかったのだろうか。
この日の会議に参加した国々の多くは、今後、世界経済の中で益々重きをなしていくだろう。その一方で、人口、貧困、食料、水、防災といった様々な課題を抱えている。課題解決のためには経済成長を続ける必要があり、エネルギー消費、CO2排出が避けられないが、それが野放図になれば、温暖化という形で成長への制約がかかってくる。40年前にローマ・クラブが指摘した「成長の限界」のジレンマを如何に克服するか。世界経済を牽引する東アジアの国々こそは、この問題を最も切実に感じているのではないか。
今世紀半ばまでに人口の倍増が見込まれるアフリカも同様である。来年はお台場からほど近い横浜にアフリカ54カ国の首脳が集まり、第5回アフリカ開発会議(TICADⅤ)が開かれる。経済と環境の両立が主要議題となることは間違いなかろう。
アジアとアフリカでの取組みが、これからの地球環境のグローバル・ルールを左右するといっても過言ではないだろう。世界の重心の移動とともにルール・メイキングのあり方も変わるのは歴史の必然ともいえる。
この中での日本の役割は何だろうか。「沈みゆく国」として屈折した優越感と敗北主義がないまぜになった形で感傷に浸ることではないだろう。どうすればよいか、確たるルールや処方箋があるわけではない。それは当たり前である。我々が直面しているのは前例のない課題だからだ。日本がすべきは、既存のルールや処方箋にひたすら順応したり、反発したりすることではなく、持てる技術力、資金力、外交力を活かして、課題に即したルールや処方箋を見出し、世界に提示することであろう。それが格好良くできるかどうかは分からない。泥臭く試行錯誤を繰り返す(muddle through)可能性の方が高いようにも思う。しかし、それが「課題先進国」としての日本の責任でもあり、日本の活路を見出すことにもつながるのではないか。
既に日が落ちたお台場から霞ヶ関への帰途、薄暮の中のレインボーブリッジを渡りながら、そんなことを考えていた。
(おわり)
*「環境外交:気候変動交渉とグローバル・ガバナンス」の連載は今回でひとまず終わります。
来年以降は、環境外交・気候変動交渉の動きをみながら随時発信していく予定です。