第4話「気候変動交渉の舞台裏(1)」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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 前2話では、時系列的にCOP16,COP17に至る気候変動交渉の流れと日本の対応について触れてきた。今回から2回にわたり、気候変動交渉の現場を様々な切り口から紹介してみたい。

 国連の気候変動交渉は外からはなかなか見えにくい。
 まず、COP(コップ)という言葉の響き自体が、馴染みにくい。
COPとは“Conference of Parties”(締約国会議)の略であり、気候変動や生物多様性など環境関連条約の全締約国代表が参加する、意思決定のための会議を指す。気候変動枠組条約のCOPは1995年の第1回より毎年開催されている。開催地は世界各地域の持ち回りである。日本で最も良く知られているのは、京都議定書が採択された1997年のCOP3であろう(ちなみに、名古屋議定書が採択された2010年のCOP10は、生物多様性条約の締約国会議である)。
 例年11月末になると、このCOPに尋常でない数の人々が集まり、約二週間にわたり各種会議・イベントが繰り広げられる。最終段階では閣僚クラス(コペンハーゲンCOP15では首脳までも)を巻き込んで、成果文書の表現を巡って徹夜の交渉。疲労困憊して会議場内の机に突っ伏している各国代表の姿や、最後に成果文書が採択されて皆が抱き合って喜んでいる光景を報道で観た方も多いだろう。
 この光景はしかし、気候変動交渉のほんの一断面に過ぎない。ここに至るには1年にわたる長い交渉プロセスがある。各国とも、毎回のCOPが終わると、様々な情報収集、分析を行いながら、次のCOPに向けた交渉戦略を立てる。本番までにどれだけの仕込みが出来るかがカギである。一方で、どんなに入念な事前準備を行ってもCOP本番では様々なハプニングが起きるので、臨機応変の対応も欠かせない。特に最後の数日間は、報道でみられるような一見華やかな国際会議や各種イベントの裏側で、各国交渉団による真剣勝負の交渉が最終段階まで断続的になされる。厳しい、真の交渉ほど、カメラが届かないところで行われる。最後に議長が成果文書採択を告げ、木槌を打つまで、気は抜けないのである。

 気候変動交渉には実に多くのプレーヤーが集まる。政府代表団、各国議会関係者、研究機関、NGO、民間セクター、報道関係者など、その総数は数万に上ることもある。中心的役割を果たすのが各国政府代表団だが、各国毎にカラーがあって興味深い。「武器無き戦争」を戦うだけあって、各国とも歴戦の強者ぞろいである。なかには「傭兵」として各国代表団を渡り歩く猛者もいる。
 かつて日本の人気映画で「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」という名セリフがあった。国連の交渉では「会議室」イコール「現場」であり、そこでは様々な事件もドラマも起きる。本稿から、少しでも交渉現場の雰囲気を感じとって頂ければ幸いである。

*以下は、気候変動交渉の一年のハイライトである、COP本番の流れについての別添本文からの引用である。

(1)COP本番第1週(11月末~12月第1週)
 COP本番は通常、11月最終週の月曜日から始まる。週末のうちに各国代表団とも現地入りして、先進国、途上国毎の交渉グループの会合で協議を行ってから、月曜日からの国連の公式会合に臨むのが通例となっている。
 第1週は、実務レベルの会合ということもあり、6月のボン中間会合(後述)など、それまでの作業部会と大きな違いはなく、通常は淡々と進む。しかしながら、往々にしてサプライズも起こる。
 COP15のサプライズは、第1話で触れたとおり、英紙ガーディアンにデンマーク議長国提案なるものを掲載されたことである。この報道により、議長国デンマークが少数の国々で秘密裏に成果文書をまとめようとしていたとして、途上国の反発を招き、会議の進行が何日かストップした。
 COP16のサプライズは、第2話で紹介した、初日における日本代表団の京都議定書「延長」問題についての発言である。「如何なる状況においても、第二約束期間に数値目標を書き込むことはしない」との日本発言は、基本的に従来から表明していた立場の繰り返しだったが、COP本番初日で表明されたことから、日本が交渉を妨げようとしているのではないかとの驚きをもって受けとめられた。もっとも、この発言もハプニングだった面がある。前述のとおり、全体会合では、通常は交渉グループの議長国が代表してステートメントを行い、個別の国が単独でステートメントを行うことはない。日本の場合でいえば、日本が所属するアンブレラ・グループの議長であるオーストラリアが代表してステートメントを行うのみであり、日本として個別のステートメントを行うことは予定していなかった。しかしながら、このときは通常の慣例に反し、いくつかの途上国が京都議定書を「延長」すべきとの自国の立場のステートメントを相次いで行った。マルチの交渉では、沈黙は同意(“Silence means consent”)と見なされることが往々にしてある。このため、急遽、日本代表団としてステートメントを行ったのである。
 COP17のサプライズは、第3話で紹介した、カナダの京都議定書「脱退」報道である。カナダ発の報道が現地に伝わり、環境NGOの「化石賞」イベントで連日カナダが授賞されるなど、第1週の話題はカナダが独占する形となった。
 COP18ではどのようなサプライズが出てくるのであろうか?

(2)COP本番第2週(12月第2週)
 第1週が終わった週の日曜日は、国連の公式日程も予定されず、現地代表団にとって束の間の休息の時期である。しかし、休息の時間は短い。この頃から、各国閣僚級代表団が順次現地入りするため、先着組は第1週の交渉状況を整理して、自国の閣僚が到着次第、交渉の現状をブリーフィングして第2週に備えることになる。
 第2週月曜からいよいよ後半戦になる。ハイレベル・セグメントとよばれる閣僚級セッションの公式日程は火曜日午後あたりから始まる。議長国の元首やパン・ギムン国連事務総長が出席する開会式を皮切りに、各国閣僚がその国の立場を表明するステートメントが順次行われていく。しかし、実際の交渉は、このスピーチ合戦のなされる国際会議場の外で行われる。
 第2週半ばになってくると、COPの成功に腐心する議長国が交渉の打開を試みる様になる。この議長国の出てくるタイミングが重要である。あまり早すぎると、COP15のデンマークが批判されたように、締約国主導(party driven)のプロセスを蔑ろにするとして急進的な国々から批判を受ける。交渉が煮詰まって時間も限られてくる中、議長国の調停が必要とされる雰囲気が出てくる事が必要なのである。
 議長国の対応は交渉の進み方にもよるし、そのときの議長国のスタイルにもよる。
 COP16の議長国メキシコは、1年を通じて非公式会合を頻繁に開催して各国の立場の聞き役に徹し、COP本番の第2週までその立場は変わらなかった。第2週になって主要テーマ毎にファシリテーターを指名して関係国の議論を行わせ、第2週水曜日にようやくテーマ毎の成果文書の文言交渉プロセスを主導する様になった。その後、最終日の金曜日まで個別折衝を水面下で続け、金曜日夕刻の全体会合になって初めて成果文書案の全体像を議長提案として正式に示した。平場に出た段階では実質的に合意がなされていた。メキシコの粘り強い「根回し」によるものである。
(ちなみにこれは、COP16の一ヶ月前に名古屋で開催された生物多様性条約COP10の際の議長国日本の対応に似ている。このときも、日本は各国の意見を粘り強く聞き続け、最後の最後、絶妙のタイミングで皆がギリギリ呑めると思われる名古屋議定書案文を議長提案という形で出し、コンセンサスを得る事ができた。)
 COP17の議長国南アフリカは、かなり異なるスタイルだった。前年のメキシコに比べると、非公式会合を行ってきめ細かく各国の意見を聞いて回るという形ではなかった。COP本番になって議長国主催の非公式会議(INDABA)を様々な形で行い、最も関心の高い将来の法的枠組みについては、議長のマシャバネ外務大臣自らが主催した。このプロセスが本格化したのが第2週の木曜日(最終日の前日)である。ただし、議長国の提案に対し各国から様々なコメントがついて案文が二転三転した。最終日を30時間程過ぎた日曜未明の全体会合でも、新たな枠組みの法的性格についての文言を巡ってEUやインドなど主要国間の応酬がなされるという状況であった。通常このタイミングなら、各国とも議長提案の支持表明を相次いで行い、少数の異論を押さえ込んでコンセンサスに持ち込むのが通例であるにもかかわらず、である。しかし、南アフリカの凄いところは、ここでめげること無く、まとまるまで何十時間でも延長して構わないとの気力で臨んだ点である。現地の代表団関係者は、「まとまるまで南アフリカから帰してもらえないのではないか」と思ったらしい。南アフリカ政府の関係者には、マンデラ元大統領をはじめアパルトヘイト下で投獄されていた人も少なからずいる。8月の南アフリカ訪問で意見交換をした元閣僚にも、経歴に「拘束されていた
(“Detained”)」と堂々と書かれている元政治運動の闘士だった人もいた。どれだけ時間がかかっても会議をまとめようという不屈の姿勢は、さすがはインビクタスの国ならではと言えようか。

COP17最終段階で成果文書の文言を巡り協議を行う各国交渉団
(Courtesy of IISD/Earth Negotiations Bulletin)

(3)COP終了
 第2週後半の山場を経て、合計何十時間もの会合を経て成果文書案が主要関係国の間で合意されても、それはまだ終わりではない。成果文書案が全ての締約国が参加するCOP全体会合にかけられ、議長が文書案について一本ずつコンセンサスを確認して(第1話で述べたとおり、採決手続きが確立していないため、コンセンサス以外の選択肢はない)、木槌を打って正式決定として採択しなくてはならない。
 COP15ではコペンハーゲン合意が主要国の会合で合意された後、COP全体会合にかけられた。そこで、ボリビア、ベネズエラ、ニカラグア、スーダンといった少数の国々が異論を唱えて紛糾し、コペンハーゲン合意自体はCOP決定にならず、同合意に「留意する」ことが決定されるという、中途半端なものになってしまった。最終日の金曜日から日付が変わり、土曜日の正午近くのことである。翌年のCOP16では議長国メキシコの入念な根回しにより、最終日の夕方の時点でほぼ全ての締約国がスタンディング・オベーションで議長を迎えたため、すんなり採択されるかと思われた。が、それでも唯一ボリビアが反対討論を繰り広げ、結局全ての文書が採択されたのは、土曜日の午前3時頃であった。COP17に至っては、最終日の金曜日から約30時間後、国連と会場施設側との契約も終わり、撤収作業が始まっている中での日曜日未明に全てのプロセスが終了した。
 COP終了の瞬間は、各国交渉責任者は疲労困憊の一方、ある種の高揚感もあり、会議場や各国代表団の作業室は、独特な雰囲気に包まれることになる。
 本国政府への報告や現地での最後の記者会見、作業室の後片付けなど、全ての作業を終えると各国代表団とも各々帰国の途につき、クリスマス休暇や年末年始の休暇に入る。そして、疲れを癒しながら、来年の交渉戦略を練るのである。

別添:第4話「気候変動交渉の舞台裏(1)」
*本文中意見にかかる部分は執筆者の個人的見解である。