リオ+20参加報告 ②
成果文書をどう読むべきか?
立花 慶治
経団連自然保護協議会 顧問
「貧困撲滅」という文脈
それは、“The Future We Want” の基調が実に「貧困撲滅」にあるからだ、と思う。通読すればすぐ分かる。ボリビアのモラレス大統領の演説※3を聞けば、もっと良く分かる。
「外部性の内部化」は、必ずしも「貧困撲滅」や、その前提として必要な「持続的発展」を保証するものではない。国際経済の仕組みが途上国に不利になっている以上、先進国にとってますます有利になるだけだ。
このような途上国の声が色濃く反映された合意文書と読むべきであろう。そして、この途上国の声は、実は「外部性の内部化」理論の一番の弱点を突いているものだ、と思う。
「貧困」を日本で想像するのは難しい。筆者は団塊の世代なので「貧しかった日本」の記憶はある。しかし、名著『貧困の光景』新潮社(2007)で曽野綾子氏が描き出した「貧困」の諸相と比べれば、かつての日本の貧しさなど比較の対象にならない。
リオは犯罪が多く危険な街だと日本領事館からさんざんに聞かされていた。東京で開催されたその説明会の最後に「何か質問は?」と訊かれたのだが、会場は重苦しい沈黙に支配され誰もあえて質問しようとしなかった。筆者は「なぜそんなに危険なところで会議を開催するのでしょう?」と不謹慎な質問をしそうになったが、かろうじて呑み込んだ。
今回行ってみて、なぜリオで開催したのか、よく分かる気がした。「貧困の撲滅」の文脈はやはりリオで語る必要があったのだ。
リオの街は、ところどころ広大なスラム(ファベーラ※4)が広がっている。場所によっては、ファベーラの海の中に通常の街の機能がところどころ埋まっているようにすら見える。夜は明るく電灯が点りとてもスラムとは見えないが、電気は不法に近くの配電線からひっぱってきたもの(だそうだ)。そして内部は犯罪組織が取り仕切っている(らしい)。会期中にも、某領事館の車がファベーラに迷い込んでマシンガンを手にした自警団にとり囲まれたあげく軍の武装ヘリコプターによってかろうじて救出された、という事件が報道された。
こういう光景・風聞を毎日会場への行き帰りに見聞きすると、途上国の都市問題を議論するときに我々がとかく陥りがちな先進国的発想、再生可能エネルギーでスマートコミュニティ!など、いかに無力な提案か、よく分かる。
子供達の未来のために美しい地球を守ろう! というスローガンすら、むなしい。
「貧困の撲滅の文脈におけるグリーン経済」は、日本や欧米の豊かで安全な街で議論していては本質を見誤るものなのであった。