リオ+20参加報告 ②

成果文書をどう読むべきか?


経団連自然保護協議会 顧問

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(※これまでの解説は、「リオ+20参加報告 ① リオでの交渉プロセスをどう読み解くか?」をご覧下さい)

 期待外れと言われる成果文書 “The Future We Want” だが、予断を持たずに通読をしてみよう。「持続的発展」という概念を2012年時点の現実に照らしてどう捉え直すべきか、について包括的な記述※1がされている、と筆者は前向きに評価したい。

グリーン経済

 そのことが端的に表れたのが「リオ+20」の主要テーマの一つ “Green Economy” (グリーン経済)に関する記述である。

 最初の草案の段階から既に「グリーン経済」は「持続的発展と貧困撲滅の文脈における」という条件句とセットになっていた。このことは、「グリーン経済」という概念の中に「持続的発展」や「貧困撲滅」という概念は自動的には含まれないのでわざわざ断り書きをする必要があった、という事情を端的に表している。

 「グリーン経済」の定義がはっきりしない、と良く言われるが、EUの提案※2 を読めば一目瞭然である。

 「EUとそのメンバー国は、ライフサイクルアセスメントならびにカンクン合意に基づく低炭素開発戦略管理の全面的な実施により資源効率を向上させ物質の持続可能な管理を行うことの重要性を強調する。資源の価格・サービスの価格に環境外部性を反映すること、そして負の外部コストと非経済性に対してマイナスの動機付けをすること、さらに正の外部効果のある活動を奨励することが重要である。」

 経済学で謂う所の「外部性の内部化」こそが「グリーン経済」の根幹部分であると分かる。

 このEUの主張は、気の毒なほど矮小化されて合意文書パラグラフ60に痕跡を留めている。

 「我々は、持続的発展と貧困撲滅の文脈におけるグリーン経済を、自然資源を持続的に管理しつつ環境へのマイナスの影響を低くする我々の能力ならびに資源効率を高め廃棄物を減らす我々の能力を高めるものとして、認知する。」

 それ以外の「グリーン経済」に関する記述は、ああしてはいけない、こうしてもいけない、という手足を縛る禁止条項ばかり、といっても過言ではあるまい。複数のレッドラインに囲まれた狭苦しい領域が漠然と「グリーン経済」と定義されたに留まっている。

 これでは確かに何のことか良く分からない。なぜそうなったか?

脚注)
 
※1
むろん全く言及すらされなかった重要テーマもある。例えば、reproductive rights。 http://www.nationalreview.com/corner/303360/holy-see-forges-consensus-around-human-dignity-rio20-elyssa-koren 参照。諸問題の根源=人口問題がいかに微妙なテーマであるか良く分かるエピソード。
※2
http://ec.europa.eu/environment/international_issues/pdf/rio/EU%20Submission%20to%20the%20Zero%20Draft%20of%20the%20Outcome%20Documnet.pdf

「貧困撲滅」という文脈

 それは、“The Future We Want” の基調が実に「貧困撲滅」にあるからだ、と思う。通読すればすぐ分かる。ボリビアのモラレス大統領の演説※3を聞けば、もっと良く分かる。

グリーン経済とは装いを新たにした植民地主義だ

 「外部性の内部化」は、必ずしも「貧困撲滅」や、その前提として必要な「持続的発展」を保証するものではない。国際経済の仕組みが途上国に不利になっている以上、先進国にとってますます有利になるだけだ。

 このような途上国の声が色濃く反映された合意文書と読むべきであろう。そして、この途上国の声は、実は「外部性の内部化」理論の一番の弱点を突いているものだ、と思う。

 「貧困」を日本で想像するのは難しい。筆者は団塊の世代なので「貧しかった日本」の記憶はある。しかし、名著『貧困の光景』新潮社(2007)で曽野綾子氏が描き出した「貧困」の諸相と比べれば、かつての日本の貧しさなど比較の対象にならない。

 リオは犯罪が多く危険な街だと日本領事館からさんざんに聞かされていた。東京で開催されたその説明会の最後に「何か質問は?」と訊かれたのだが、会場は重苦しい沈黙に支配され誰もあえて質問しようとしなかった。筆者は「なぜそんなに危険なところで会議を開催するのでしょう?」と不謹慎な質問をしそうになったが、かろうじて呑み込んだ。

 今回行ってみて、なぜリオで開催したのか、よく分かる気がした。「貧困の撲滅」の文脈はやはりリオで語る必要があったのだ。

 リオの街は、ところどころ広大なスラム(ファベーラ※4)が広がっている。場所によっては、ファベーラの海の中に通常の街の機能がところどころ埋まっているようにすら見える。夜は明るく電灯が点りとてもスラムとは見えないが、電気は不法に近くの配電線からひっぱってきたもの(だそうだ)。そして内部は犯罪組織が取り仕切っている(らしい)。会期中にも、某領事館の車がファベーラに迷い込んでマシンガンを手にした自警団にとり囲まれたあげく軍の武装ヘリコプターによってかろうじて救出された、という事件が報道された。

 こういう光景・風聞を毎日会場への行き帰りに見聞きすると、途上国の都市問題を議論するときに我々がとかく陥りがちな先進国的発想、再生可能エネルギーでスマートコミュニティ!など、いかに無力な提案か、よく分かる。

 子供達の未来のために美しい地球を守ろう! というスローガンすら、むなしい。

 「貧困の撲滅の文脈におけるグリーン経済」は、日本や欧米の豊かで安全な街で議論していては本質を見誤るものなのであった。

脚注)
 
※3
http://webtv.un.org/search/bolivia-general-debate-3rd-plenary-meeting-rio20/1700808292001?term=Bolivia
※4
http://sekaiissyuuu.blog136.fc2.com/blog-entry-275.html, http://blog.goo.ne.jp/kunihiko_ouchi/e/9995e2f4fcff6f7cf84fa7beccdf8aac, http://isshu-sekai.com/2011/07/334th.html 参照。

トップダウンからボトムアップへ

 日本の若者代表が以下のように総括している※5ことは示唆に富む。

 「グリーン経済は … 意欲的な国、地方自治体、企業、NGO等による合同のフォーラムで成功や失敗の事例を共有し、取り組みを促進するための施策を計画したり、ニーズに合わせて主体間のマッチングをしたりするなど、具体的なやることベースで話す方がふさわしいテーマではないか … 。」

 トップダウン的アプローチよりも、「具体的なやることベース」のボトムアップ的アプローチの実践が若者の間で増えていくことに期待したい。

 成果文書は、地に足をつけて活動することの有効性に気づかせてくれたようだ。

脚注)
 
※5
前掲 http://www.mri.co.jp/SERVICE/rio20/pc08/20120720.html 資料4-4参照。

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