工藤智司氏・日本基幹産業労働組合事務局長に聞く[前編]

震災を経験し、切に感じた日本の強さ


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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今回ご登場いただくのは、日本基幹産業労働組合事務局長の工藤智司氏。日本基幹産業労働組合は、主要な基幹産業である金属産業のうち、鉄鋼、造船、非鉄鉱山、航空、宇宙、産業機械、製錬、金属加工などの他、関連業種で働く25万人(748組合)を有する労働組合である。基幹労連の震災直後の対応、今後の環境・エネルギー政策の考え方などについて聞いた。

――震災後の復興現場で働いている方々は、こちらの労働組合連合会にもたくさんいらっしゃると思いますが、苦労されていることなど、これまでを振り返っていかがですか。

工藤智司氏(以下敬称略):まず労働組合としてやったのが全員とのネットワークの確認で、電話連絡を最優先しました。どうしても連絡が取れないところが数多くありましたが、3,4日経った後に連絡が取れた時の嬉しさといったらなかったです。衛星電話で電話をかけてきてくれた人もいて、非常に印象に残っています。また組合員から私どもへ被災に関しての問い合わせの電話も多かったです。

 現在基幹労連25万4千人、748組織ありますが、基本的に私は事務局長としてなるべく多くの人間が現場へ助けに行けるように、まとめ役としてずっと東京に居ることにしました。

工藤智司(くどうさとし)氏。1990年に三菱重工に入社。同社労組長船支部執行委員、労組中央執行委員長を経て、2010年に日本基幹産業労働組合事務局長に就任、現在に至る。

震災後、被災地での支援活動は現在進行中

――東京にある本部の多くの職員が現場へ行ったのですか。

工藤:タイミングを変えながら多くの職員が現地に入りました。現地の方々のご苦労に比べたら苦労に入りません。危機に帳面すると、人の強さや弱さがわかります。事務局長として、本部職員の意識を平時から戦時に変える努力をしました。

 まだ自分の中でまったく終わっていません。震災での対応について総括はできないし、現在進行中の話です。震災があった一週間後、全国すべての県を統括している事務局長をここに呼んで、「今からボランティアをやっていく、各県はそのための用意をしてくれ」と指示を出しました。「一週間準備したら現地へ行ってもらいたい」と言った時に、ある県が「無理です」と言った。なぜなのかと話を聞いたら、ボランティアですでに現地に行っている人もいるが、瓦礫の作業をやっている時に、まだ1ヶ月以内ですからご遺体が発見されることもあった。1週間の予定でボランティアで行ったものの、心がやられて2日で帰って来た人がいる。そういうことに対してフォローしきれるのかと言われました。しかしその時、私は「やる。皆協力してくれ」と言いました。いろんなことが起こりましたが、気持ちを1つにしてやってきて、今も続いています。

――被災された組合員の方はどれだけいらっしゃいますか。

工藤:被災した組合員の内、死亡された方が14名。配偶者が10名、行方不明の配偶者がいる方が3名います。また組合員のお子さん17名、父母104名が震災で亡くなられています。住宅の全壊が387件、半壊が863件、一部損壊が3007件です。原発の被害では80名が避難しました。この数字は今後変わってくると思いますが、これだけ大きな被害が出ています。

震災を経験し、切に感じた日本の本当の強さ

――胸が痛みます。被災地での支援活動も大変ではないでしょうか。

工藤:今回あるベースキャンプを支援してきて、200人のところに190食しか支給できず、彼らが食べなかったのを見た、分け合っているのを見たというような報告が上がってきています。たとえば行方不明者の捜索のためにガソリンがほしいというリクエスト等、組合にはいろいろな電話がかかってきます。

 支援しながら思いだした言葉が、「乏しきを憂えず、等しからずを憂える」です。日本人は、貧しいとか少ないということに対しては、あまり感じない民族なのだと。「和をもって尊しとなす」という思いも抱きました。この国では、震災前の状態でも、一千兆円にのぼる借金や、超円高の状態、経済協定の遅れや、少子高齢化の状況、国のトップセールスのやり方などに相当危機感があった。震災でまたさらにきつい状況になってきて、エネルギーの話などいろいろと出ている。

 しかし、そんな中、私は日本の強さを切に感じています。私たちの強さは、これではないかと。我々の産業は、海外にモノを売っています。一般的に多くの製品は1年2年の保証無償の期間がありますが、その後全くサポートしないものが案外多い。しかし、造船業や鉄鋼業もそうですが、我々は非常に長い期間に保証無償をやりながら、お客様とタイアップしてずっとやってきたビジネス・モデルを積み重ねているのです。

――そこに強みであるということですか。

工藤:ここが私たちの強みではないかと思います。なおかつ、我々には技術力がある。我々のモノづくりの考え方は、日本の製品のすべてに入っているように思います。我々の考え方は欧米のビジネス・モデルと全く違うし、このビジネス・モデルで闘っていけば、全く問題ないとも思えるのです。

長いスパンで物事を考えるビジネスモデルで世界と闘うべき

――震災で日本の強みを見直したということでしょうか。

工藤:もっと長いスパンでものを考えるビジネスのやり方で、もっといろいろなことができないかと思っています。

――日本人の忍耐強さと誠実さがビジネスでも強みだということでしょうか。

工藤:まちがいなく世界で一番勤勉で優秀な国民だと私は思っています。モノづくりにしてもそうでしょう。これを生かすには、長期的なスパンでものを考えていくことが大事です。原発の問題もすぐには収束しないかもしれない。しかし、我々は先に目標があればそれを目指していく民族だと思います。国として今こそそういう方向性を示すべきだし、そこに向かって行くのが日本人ではないか。私自身も、組合員にそう話しています。

――10年、20年先の日本の姿を考えながら行動するということでしょうか。

工藤:私たちの造っている製品は特にそうです。造船にしても2年はかかりますし、原子力発電所も時間をかけて造っています。入社して施設が完成する前に退職されている方もいます。ロケットも小型旅客機も鉄鋼もしかり。鉄鋼製品は、長い時間をかけてあれだけの品質ができています。時間的に、我々は皆、非常に長い考え方をしています。

――日本の誇る技術は、実際に組合員の方達が作っているわけですね。

工藤:はい。たとえばキャタピラ屋、建設機械も我々の組合員です。橋もそうですし、さまざまな復興に役立つ機械を造っている連中がたくさんいるわけです。そうした現場で、計画停電など電気が止まったことが我々には衝撃的でした。仕方がないとはいえ、復興のために作業している現場では、電気を止めないでほしいと要請しながら作業を続けました。

――昨夏の節電要請はずいぶん厳しかったですか。

工藤:そうですね。ただ大手企業では自家発電を持っている所が幸い多かったので何とかなりましたが、小さい企業はただでさえ電力を使うところが多いので、本当に大変でした。

組合員からの雇用不安の声

――組合員の方からもこれからの不安や相談が寄せられていると思いますが、どういうお話が一番多いですか。

工藤:昨年8月お盆の前に、被災地へ線香を上げさせていただこうと行ってきました。3県の事務局長、委員長と会い、いろいろ話をしました。中央災害対策本部の体制を組み替える際に、事務局長として協力してほしいと要請も受けました。

 我々の体制は、ボランティア、支援の物資、機能ごとに初め分けていました。それを8月以降は、地域や県ごとに分けて細かいことを吸い上げられるようにしていく体制にしようということになった。しかし、県によって復興のスピードがだいぶ違う。釜石市や仙台市などグランド・デザインを示してほしいという要望が強い地域もある。今、組合として、行政に対するさまざまなアクションが必要なのだと感じています。

 被災地でも、ものは結構来ているので、ものを欲しいということはない。しかし、復興のために工場の中でみんな相当働いています。先が見えないところで一生懸命働いて、瓦礫の処理などで無茶もしてしまう。いろいろな災害が起きていますから、組合の役員にはきちっと安全・衛生対策をチェックしてくれ、非常時でも安全が優先のワーク・ルールをわからせるようにしてくれという要望が強い。その他には、企業をたたむところも出ていますので、やはり多いのは雇用不安の声です。

――雇用不安は震災後、各地で広がっています。雇用不安を払拭することはできますか。

工藤:今の政策の中では円高で企業は海外移転をしようとしますから、国内の空洞化を防止するために円高に対する対策を打ってほしいと言い続けています。また経済連携協定を、TPP(環太平洋経済協定)を含めてきちっとやってほしいことも要請しています。少なくとも、まともに闘える体制を作ってほしい。法人税率の引き下げもありますし、企業が闘いやすいような体制を作ることが大事です。

――被災地の現場で働いている人達の安全管理、精神衛生面、雇用の状況を確認しつつ、また産業全体の空洞化への行政への要望等も行い、組合の活動は多岐にわたりますね。

工藤:被災地では現地の部隊が相当しっかり動いていますから、そこでやっていてくれています。

――本部はいつも情報をキャッチ・アップして、拾い上げているのですか。

工藤:そうですね。現場ではしっかりやってくれていますが、必要なら現場から本部に戻って対応をさらに一緒に考えています。

震災後、政府は情報を統制しながら発信していたと思う。

――震災、原発事故についての政府の対応や情報発信についてどう思いましたか。

工藤:福島第一原子力発電所の事故は大変でした。福島県の組合員の方も大変でしたし、原子力関連施設を製造している人も組合員です。情報発信はどんどん出していくべきだと思いますが、やはりパニックになるようなことだけは避けるべきです。きちっと情報を統制しながら発信していたと思うし、私は枝野さんの誠意はテレビで見ていて感じました。

――情報を適宜コントロールしながら、発信すべきところは発信していたと思われるのですね。

工藤:はい。いろいろな所に情報発信センターがあり、機能が分化されていたと思います。そういうところは、どんどん集約して一元化するべきです。どんな世界でもそうですが、情報を1カ所に集めて、発信する所も1カ所にするのが一番いい。情報を吸い上げるスピードも上げて、発信するスピードもきちっとタイムリーにやっていく。早いことが必ずしもいいのではなく、情報はタイムリーさが一番大事です。今回は、それについてはどうだったかわかりませんが。

――基幹労連としての情報発信はいかがでしたか。

工藤:情報発信は、中央災害対策会議を週1回行い、そのタイミングで情報発信していこうと言い続けました。非常時には情報を出しますが、基本的には週1ペースで発信していきました。

――情報発信はとても難しいですね。原発事故についても政府はパニックを回避しようとして発信している姿勢はわかりましたが、事故のインパクトの大きさから海外からもさまざまな情報が流れた。インターネットで即時に情報が飛び交い複雑化している中、私たちは何を信じていいのか混乱した局面はあると思います。

工藤:そうですね。ただ今回暴動が起こらなかったのは、すごいと思うんです。海外だったら、起きても全然おかしくない。日本は耐え忍ぶような文化だと思うのです。

後編に続く)

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