鉄鋼業は東日本大震災をどのように乗り切ったか
関田貴司・日本鉄鋼連盟 環境・エネルギー政策委員会委員長[前編]
松本 真由美
国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授
西日本への生産シフトや夜間生産へのシフトなど、日本の鉄鋼業は、東日本大震災の打撃からいち早く復旧を果たした。その要因について、日本鉄鋼連盟環境・エネルギー政策委員会委員長を務めるJFEスチールの関田貴司副社長は、「社会に迷惑をかけないことを意識し、日ごろから地震対策に取り組んでいた成果だ」と話す。鉄鋼業は東日本大震災にどのように危機を乗り越えたのか――。
震災後の復旧は早かったが、自動車などの生産が止まったことが生産に影響
――東日本大震災は鉄鋼業界の事業活動にどのような影響を与えたのでしょうか。
関田貴司氏(以下敬称略):今回の場合、電力が一つキーワードになると思います。わたしの所属するJFEスチールで見ると、電力については自家発電を持っていますので、他の製造業とはちょっと違うところがあります。我が社は東西に製鉄所を持っていますので、西日本へのシフトや生産時間帯の夜間シフトに取り組んでピーク電力を低減しました。また、東京電力の要請に応じて、製鉄所内の発電設備をフル稼働させ、地域社会への給電では微力ながら貢献させていただきました。
――サプライチェーンには、どのような影響がありましたか。
関田:鉄鋼製品を作るためにはいろいろな工業薬品や油脂、塗料などが必要ですが、それらが一部入手困難に陥りました。しかしながら、震災発生直後から情報収集や代替品の調達に努めた結果、なんとか乗り切ることができました。ただ自動車メーカーなど、お客様の生産活動に大きな影響が出たため、JFEスチール本体の生産は比較的早く復旧したのですが、製品を作ってもお客様に出荷できないという問題に直面しました。
一生懸命に早期復旧を果たし、必要とされる鋼材はサプライできる状況になりましたが、我々の大きなお客様の一つである自動車の生産が止まり、鉄鋼生産面では若干大変な時期もありました。現在は、まったく何の影響もなく100%復旧しています。
――鉄鋼業のサプライチェーンは想像以上に復旧が早かったのですね。
関田:災害に備えて、予め定めていた手順や日頃の訓練がよく機能したのではないかと思います。
関田貴司(せきた・たかし)氏。1975年に川崎製鉄(現在のJFEスチール)に入社。水島製鉄所管理部長、常務執行役員、専務執行役員などを経て、2011年4月に執行役員副社長スチール研究所長に就任、現在に至る。日本鉄鋼連盟では、環境・エネルギー政策委員会委員長として鉄鋼業界をリードする