正統な競争力を付与する仕組みが最も重要に

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地震がなくても躓いていた日本の政策

 国際環境経済研究所のサイトでは、エネルギーセキュリティーについて強く論じておられますが、結局のところわずか4%エネルギー自給率を高めようとして国が努力してきた原子力政策は、躓いたと言わざるを得ないのではないでしょうか?要するに、国が進めてきたセキュリティーに重点を置いた政策は破綻したということになる。

 昨年6月に改定されたエネルギー基本計画では、原子力の積極推進の章でこう論じています。「・・・核燃サイクルは原子力の優位性をさらに高めるもので中期的にブレない確固たる国家戦略として着実に推進する。そのため、まず国が第一歩を踏み出・・・」。印象的な用語です。

 地震がなくても躓いていたのではないでしょうか?もともと、使用済み燃料の保管プールが満杯に近づき、さらに高レベル廃棄物の処理に最終解決がついていないエネルギー安全保障政策は破綻せざるを得なかったのではないでしょうか? 国は残念ながら見通しの段階で間違っていたし、従来型の限定的で、かつ方向付けの明らかな意見集約の下で推進するという方法論でも間違った。少なくとも廃棄物の最終処理は「あとは野となれ山となれ」ということではなく、それこそ数千年先の人類に、責任ある姿勢で対応するという姿勢と実行が伴わなければ、国民はついてこないと思います。これも「上がる、上げる」という議論と「下げる、下がる」というバランス論と同じです。

 このようにして「セキュリティーに重点を置いた政策」の当初案で挫折したのですから、これからは見通しの段階で誤らないようにし、同時に、国民との綿密で融和的な協議の下で編み出さなければならないでしょう。公益事業であれば、なおさらです。国民目線にとって最大の今日的問題は、公益事業であるにもかかわらず、一企業の利益に政府機関が肩入れしてるという印象を与えてしまっていることだと思います。国民は、公益事業がどうして華美な保養所を多数所有し、その費用を電力料金に響かせているのかと思っています。公益事業なのに、どうしてこれほど情報開示に後ろ向きなのかと訝っています。

 公益事業の原点に立ち返って、国は頭ごなしにこうだと決め付けるのではなく、従来とはまったく違った発想で情報を全面的に開示して、国民の前向きなエネルギーが広範に結集できるように、中立的な対話を生む必要があると思います。そうしてこそ日本の優れた能力を発揮して、真の「セキュリティーに重点を置いた政策」が国民的合意になるでしょう。