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技術は進歩しているのに電気料金が「上がる」のは何故か


キヤノングローバル戦略研究所/IPCC1.5度特別報告書代表執筆者


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 医療費が増大して国民経済の負担が増していることが問題となっている。ある時、国民負担増大の理由の一つが技術進歩である、という説明を受けて、不思議に思った。普通は、どのような技術でも、進歩すればコストは下がる。負担が増えるのは何故か?
 答え。同じだけの医療サービスを与えるためのコストはもちろん下がる。だが、新しい技術が出来ると、人々はその分だけより良い治療を求める。特に医療費の場合には保険制度があるので、人々は高価な医療でも受けられる。このようなからくりで、医療費はふえていく。もしも保険制度が無ければ、人々は自分の医療の効果とコストを天秤にかけて、高額な医療を受けることにもっと慎重になるのだろう。そうなれば、さほど国民負担は増大せず、ことによっては下がるかもしれない。だが今はそうなってはいない。よい技術が出来たら、それを使って医療を行うこと、そのために費用が増えることが社会としては是認されている訳だ。
 初めこれを聞いたとき、変な話だなあ、と思った。筆者の専門は医療ではなくエネルギー環境政策であり、そこでの常識は、技術進歩イコールコスト低減である。だが、よくよく考えてみれば、実はエネルギー環境も医療も全く同じであることに気がついた。

 太陽電池や風力発電等の再生可能エネルギーのコストは、技術の進歩によって下がってきた。但し、石炭火力やガス火力発電など、既存の発電技術に比べればまだかなり高い。それでも、政策的に再生可能エネルギー全量買取り制度(FIT)で後押しした結果、大量に導入された。その結果、電気料金は上がった。これは電力の消費者にとっては負担の増大となった。技術進歩のおかげで、再生可能エネルギーを利用できるようになったところで、社会としてはそれを選択したのである。
 もちろん、高度な医療も、エネルギーを再生可能なものに置き換えていくことも、それ自体に価値がある。しかし問題なのは、医療費と電気料金のどちらについても、国民はそれが高い負担となって跳ね返ってくることを認識しないままに、制度が導入され運用されていることである。結果として、医療費も電気料金も、今その負担のあり方が問い直されている。
 これはジェボンスのパラドックスないしはリバウンド効果と呼ばれるものの一つの変種である。ジェボンスは、蒸気機関の発明によって石炭の利用効率が高まった結果、かえって石炭の消費量が増えた、と指摘した。蒸気機関が進歩して、より安くかつ性能がよくなると、人々はそれを多く使うようになるからだ。エネルギー効率改善は、しばしば、このような期待とは逆の結果をもたらすことがある。
 医療費も電気料金もこれの「変種である」と書いたのは、ジェボンスのパラドックスという場合には、普通は、費用便益に関して経済合理的な判断をするプレーヤーのみを想定しているからである。ジェボンスのパラドックスでも、石炭の消費量と売り上げは増える。だがそれは、当事者のためにも、経済全体にとっても良いこととなる。その一方で、医療費と電気料金では、政府が制度や政策を通じて介在し、その国民負担が見えにくくなっているために、経済全体にとっては悪いことが起きているかもしれない。
 多くの財について、そのコストは技術進歩によって大幅に下がってきた。卵などの食料品、テレビなどの電気機器、机や戸棚などの耐久消費財など、どれも大幅に価格が下がってきた。テクノロジーもビジネスモデルも進歩して、その恩恵を受けてきたのである。もちろん、高いお金を払う人もいる。だが同じ仕様・性能のモノを買うためのコストは大幅に下がってきた。
 いま、ICTを活用して、更なる技術進歩によって、あらゆる財・サービスの性能向上と費用削減が期待されている。Global e-Sustainability Initiative (GeSI)のSmarter2030レポートによれば、e-commerce, e-hospital, e-education, smart electricity, smart manufacturing, telecommuting, virtual conference, smart mobility, smart agriculture 等が期待されている。どれも面白い技術で、次々に実現していくとは思うが、では国民経済の負担は減るのだろうか? 工業や商業など、民間活動に関するものは、コスト低下による便益を国民が実際に享受するようになるだろう。しかし、政府が運営ないし介入する医療、エネルギー、教育、行政サービス等については、これまでの実績を見ても、かえって国民経済の負担が嵩む畏れもある。
 医療も教育も、政府の介入を減らし、むしろ民間にもっと多くを任せたほうが、全体としての費用の負担は下がり、サービスの質も向上するという意見がある。医者や先生が、上司にではなく、対価を支払う患者や生徒に直接向き合う構図になるからだ。実際に開発途上国では公立の学校よりも私立の(そして非公式の)学校の方が教育に成功しているという事例も報告されている(例えば、マット・リドレー「進化は万能である」を見よ)。負担の在り方を見直すことで、社会全体として、より安価かつ良いサービスをもたらすことが出来るかもしれない。
 電気料金の現状はどうなっているか。これまでのところ、FITにおける再エネの負担の構図としては、「再エネ事業者には充分な補助」を与える一方、そのコストについては「国民全体にツケ払い」という形で行われてきた。結果として、太陽光発電は大量導入されて、FITの負担が年々高くなっている。このため、今、FITの見直しの議論が政府で進められている。
 どんなに技術が進歩して、個々の技術のコストが下がっていっても、国民負担がどうなるかは、制度や政策に大きく依存する。うまく舵取りしないと、電気料金は際限なく高くなってしまいかねない。



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